第16話 勇者の危機
「ちょ!? どういう事!? 迅華がやられたって!!」
夕実は飛び跳ねるように立ち上がると、揺れるタケルの肩に掴みかかった。が、するりと通り抜けてどてーん! っと転んでしまった。
「痛たた……って、タケル! こういう時は触らせなさいよ!」
「いや無理だろ! 俺の方からコントロール出来るもんじゃないし!」
「あほ! 節操無し! 電池!」
「なんか全然響かない悪口だな」
夕実を見下ろすタケルは、ただただ真顔で揺れるだけだった。
「おい! そんな言い合いしてる場合じゃないだろ! タケル、どういう事なんだよ? 迅華さんがやられたって」
未だに尻もちをついたままのくせに口調だけは冷静な駒場が問い掛けると、タケルはハッと目を見開いて揺れ直した。
「そうだった! 大変だ、大変なんだよ!」
「大変なのは分かったから、どう大変なのか教えてくれって」
「そ、そうだな……ええとだな。俺達は、迅華さんの次の仕事場に向かったんだ。隣町の、ここからそう遠くない場所にあるただの廃屋だったんだけど……」
タケルの言う通りで、その廃屋は特に何か事件などが起こった記録の無い、普通の民家だった。
築年数はかなり古く、高度経済成長期に竣工された二階建ての一軒家。住民は何度か入れ替わったが、ここ数年は誰も入居者がおらずに老朽化が著しく、取り壊しが決まっている建物だった。
問題は、解体工事の際に起こった。
業者が取り壊しを始めると、必ず何かしらの事故が起きたのだ。
重機の故障、作業員の怪我、ガス管の破裂……毎回発生する様々な事故により、作業はその都度、延期となった。
業を煮やした管理会社は、遂に強硬手段に出た。
海外で大型建築の解体などで使われる、発破解体に踏み切ったのだ。
その工事の際、遂に死者が出た。
それは直接的な事故などではなく、作業員のひとりが心臓発作で倒れるというものだった。
しかし、その作業員は若く、元々の疾患なども無い完全なる健康体だった事で、いよいよ本格的に工事は頓挫した。
管理会社はこの廃屋が、隠れ事故物件だと判断したのだ。
そして、夕実の父、尾栗吾郎の紹介を受けた迅華が調査へとやって来たのが、その日の昼の事だった。
「うーん、確かにそこそこの霊力は感じますが、特に変わった点は無いようですね。ファンタジー力もほぼ無いですし、ただの一般家屋と思われます」
解体工事の際に庭木や雑草などは伐採され、思いの外に整理された廃屋。足を踏み入れた迅華が抱いた感想がそれだった。
「ファンタジー力が無いってのはどういう事なんですか? 事故自体はあったんですよね?」
風船のように迅華の背後に浮かぶタケルが尋ねた。
「ここが事故物件として認知されてないからって事でしょうね。事故の事実を知っているのは管理会社と解体業者、恐らくは近隣住民のひと握りでしょうから。一般的な心霊スポットのような高い認知度が無い状態だからと考えられます」
迅華は管理会社に借りてきた鍵を使い、曇りガラス張りの引き戸を開けた。
中は薄暗く、カビ臭さが充満する、不快な空間だった。
土足で上がって構わないとの許可を得ていたものの、迅華は最低限の礼儀としてヒールにビニール袋を被せて室内に上がった。
間取りもなんて事はない。玄関から続く廊下の左右にキッチンとリビング。廊下の先には階段があり、その裏手にはバスルームとトイレがあった。
それぞれの部屋を確認して回ったが、家具ひとつ無い空き家だけに、特に時間が掛かる事もなかった。
1階の確認を終え、2階へと上がり始めた時だった。
2階から、物音が聴こえた。
「あら、やはり何かしらは居るみたいですね」
人が歩くような、床板の軋む音がゆっくりと響いてきた。
「俺が先に行って見てきましょうか?」
「いえ、一緒に居て下さい。あなたに何かあったら、私にも死活問題ですから」
タケルの申し出をやんわりと断ると、迅華はゆっくりの階段を登って行った。
1段登る度、ラップ音が響いてくる。
どうやらこれは警告らしい。
そう感じ取った迅華は、改めて警戒を強めつつ、更に階段に足を掛けた。
軋むような足音だけだったラップ音は、壁を叩く音、天井裏を走るような音、ガラス窓を引っ掻くような音と、次々に種類を増やしていった。
そして階段を登りきった先に待ち受けていたのは、ひとりの男性の亡霊だった。
「……え?」
迅華は思わず声を上げた。
男の霊は、特に変わった所の無い、至って普通の容姿をしていた。
中肉中背。髪型にも顔付きにも特徴が無く、強いて言えば、特徴の無い所が特徴。そんな男だったのだが、その手には、ひと振りの日本刀が握られていた。
迅華が声を上げたと同時だった。
迅華の左肩口から右腰にかけて、ざっくりと斬り降ろされていたのだ。
「迅華さん!?」
タケルが驚愕の声を上げた時には、迅華は既に階段を転げ落ち、1階の廊下に仰向けに倒れ込んでいた。
「マジですか!? 大丈夫ですか!?」
急いでタケルが迅華の元へと飛んで行くと、迅華はなんとか意識を保ち、肘を突いて体を起き上がらせ始めていた。
「油断しました。まさか、こんな普通の場所にあんな強烈な霊が住み着いているなんて」
「うわ! 凄い血が出てますよ!? 死にますか!?」
「ええ、このままでは死にますね。それにしても運が無い。たったの数日で、こんな弩級の霊に2体も出会うなんて」
迅華が完全に起き上がり、膝を突いて肩で息をしていると、男の亡霊が階段を降りてくるのが目に入った。
「あちらも完全に仕留めに来ているようです。ここは一旦、逃げましょう」
迅華は振り向き様に脚に力を入れたが、一歩を踏み出す事が出来なかった。
それはダメージの影響ではなく、目の前にあるはずの玄関が消え失せ、古びた廊下がずっと先まで続いていたからだった。
「隔絶界域ですか。確かにあのレベルの霊なら使えるでしょう。どうやら私達はこの家に取り込まれてしまったようですね」
「ええ!? じゃあ、逃げられないんですか!? まさか俺、迅華さんとここで心中ですか!? それはそれで嬉しいですけど。愛する女性と心中とか、浪漫しか無いですよね」
背後からは、日本刀の霊の気配が濃くなるのがひしひしと伝わってくる。
「タケルさん、今は冗談を言っている暇は無いです。私はあなたと心中するつもりはないですし、ふたりとも助かる道しか探してません」
迅華は走りながら、頭上を併走するタケルに向き直った。
「タケルさん、一度、あなただけをこの隔絶界域の外に出します」
「俺を!? 俺を出しても何の役にも立ちませんよ!?」
「あなたが役に立たなくても、役に立つ人を探して来て下さい」
「じゃあ迅華さんが出たらいいじゃないですか!?」
「今、あなたから貰い受けてるファンタジー力では、流石に私自身が外に出られる程の強度はないんですよ。なんせ、彼の標的は私なので。ですが標的外のあなたなら、何とか外に出せそうです」
「ええ……責任重大」
「そうです。責任重大です。では、行きます。セレ・ドゥ!」
迅華が呪文を唱えると、無限に続く廊下の脇に小さな穴が開き、タケルはその中に吸い込まれていったのだった。




