ひっくり返す魔法6
…
「それじゃあ、出発する」御者がリシェルにだけ言った。10分間の待機時間に他の客が乗り合わせることは結局無かった。
カタカタと車輪が馬力によって回り始める。緩やかな風が生じる。
「お客さんはどうして、サロ・ヴァルデン宅へ向かうつもりで?」出発してから少し経ってから、馬車内の空気を変えようと御者は話し始める。
「珍しいですか?」
「あぁ、珍しいね。サロ・ヴァルデンの住む地域に行くやつなんて、2ヶ月に1人いるかどうかだな。あいつらは至って閉鎖的だ。というかあんた最近、ヴァンダインの所によく向かう娘だろう。今日は違うのかい?」
「えぇ」
「その身なりからしていいところの会社に勤めているだろうに、ヴァンダインにヴァルデンの所へなんて物好きなお嬢さんだな。なんの仕事だい?」
「記者です」
情報の開示にやや息を呑む。自分の仕事は世間的に見れば、あまり好かれない側である。事件に寄りつく鴉などと表現する事もままあるくらいだ。けれど、この人がどこまでサロ・ヴァルデンについて知っているのか、それをある程度知りたいと思った。
「記者か。それでヴァンダインにヴァルデン。確かに彼らなら変わり者としていいネタになるだろうな」
「2人の事はよく知ってるんですか?」
「おぉ、記者らしいな。2人の事か。いや、よく知っているって程知りはしないな。ただ、こんな仕事をしていると七区の中の有名人のことは耳に挟むことが多々あるものでな。ヴァンダインは七区の中で指折りの探偵、まぁほとんど趣味みたいなもので自分でも探偵とは名乗ったりはしないが。生計を立てられる程ではないだろうが、本業が何なのかは知らない。ヴァルデンは対照的に分かりやすい芸術家で、他の区にも名は知られてるだろう?」
「えぇ、ヴァルデンさんはそう聞いています。彼が芸術活動を始めたのが、幼少の時。それから今の住処に引越してたのが三十代の頃、そこから彼の芸術活動に感化された者たちが周辺地域に移り住み、ヴァルビゾン村という集落が出来たと、それくらいは何となく」
「へっ、流石記者さんよく知ってるな。危うく、半端な情報で失言でもするところだ、余計な事を言わなくて良かった」
「でも本当にそれくらいです」
「いやぁ、十分だ。それに村はさっきも言った通り、かなりの閉鎖的な場所だ。同じ区内でも情報なんてそうそう流れやしない。行き来する事がある俺でさえそうなんだ他は尚更知らんだろうな」
御者はこちらを一つも見ることはない。表情はないが、乗せる言葉にはカラカラとした笑みが感じられる。
「が、サロ・ヴァルデンという名前だけは別だわな。その名前だけは他の区へと情報を広げている。彼の作品を俺も少しくらいは見たことがあるが、あれは何というか心に刺さるものだったよ。あれを見れば、あの人がなぜ有名なのか分かる。でも、何故あの人がそれくらいなのかも分かる気がする。ほら、オルセン・ドラモンド、少し前に死んじまったが、俺はあいつの作品の方が活気があって好きだった。芸術といえば、俺はあれを想像するね」
つい先日、死んでしまった、殺されてしまったオルセン・ドラモンド。偶然、私が巻き込まれた事件だったが、彼は資産家の側面に芸術家の面を有していた。
そういえば、彼の作品の価値はどうなっただろうか。ふと鞄から『日刊トリス』を取り出し、見やる。そこには新たに競売にかけられたいくつかの彼の作品が載っていた。どれもが彼の死を皮切りに値段を跳ね上げている、悍ましい死の付加価値というやつだ。
この御者はサロ・ヴァルデンの現在の様子を知りはしないのだろう事は今の会話で大体分かった。彼がサロ・ヴァルデンの死を知ったら、ヴァルデン氏の作品を評価するようになるのか。嫌な想像が頭を過る。




