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ROBORISTA  作者: 伊阪証


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4/11

外交的もつれ現象

今回から総集編でストーリー一通り公開してから投稿します。

そのため今月中にロボリスタとEoFは終了させます。ロボリスタは一日二本投稿です。

ハンマーが落ちる。落下は一瞬なのに、落ちたあとの音は長く残る。ヘンリーはその残響を知っている。だから、落ちる前の一瞬がいちばん怖い。


その瞬間だけ、空気が“音”を忘れたみたいに静かになった。静かになると、心臓の音が相手に聞こえる気がする。ヘンリーは呼吸を半分に削り、肺が痛むまで息を細くした。


金属の頭がランプの光を鈍く反射し、一直線にラブへ向かう。逃げられる距離なのに、ラブは逃げない。逃げないというより――“そこに立つ”ことが、最初から決められているみたいだった。


「ラブ――!」


ヘンリーの叫びより早く、ラブの腕が上がる。掌で受けた。受けてしまった。“受ける”は選択じゃないはずだった。それでもヘンリーには、ラブが「選んだ」ように見えてしまうのが苦しかった。


ガン、と乾いた衝撃がアトリエの壁を叩き、次いでギィ……と、骨が軋むような嫌な音が鳴った。衝撃の後に来る軋みは、遅れてくる悲鳴だ。ヘンリーは遅れがあるほど深い損傷だと知っていて、喉の奥が冷えた。


ラブの白い外装が、細い蜘蛛の巣みたいにひび割れ、内側から火花が散った。火花は照明より短いのに、目に焼き付く。そこが“壊れる場所”だと、目が勝手に記憶するからだ。


血は出ない。赤いものは何一つ見えない。それでも、ヘンリーの鼻は“傷”を先に拾った。焦げた樹脂と、熱を持った金属粉の匂い。アトリエの絵の具とは違う、機能が壊れたときの匂い。壊れたのは飾りじゃない。中身へ近い場所だ、と直感が告げる。直感のせいで、指先が勝手に震えた。


グリックの表情が、怒鳴る前の顔から別物に変わった。口元は開きかけたまま止まり、目だけが追いつかずに揺れる。そこにあるのは怒りじゃない。予想していた世界の形が崩れた時の、反射的な怯えと、理解不能への拒絶だ。叩けば壊れる“物”のはずだったものが、叩いても壊れず、逆に自分の常識を壊し返してくる――その顔だった。


「……っ、なんだよ……これ……!」その声は怒鳴りではなく、理解できないものを拒む音だった。拒みの次に来るのは、正当化だ――ヘンリーはそこまで読んでしまう。


ヘンリーは床を蹴って飛び込み、グリックの手首を両腕で抱えてねじ上げた。力の差は大きい。だが、驚きで握力が落ちた隙がある。ハンマーが床に落ち、鈍い音を立てて転がった。転がる音が止まるまで、誰も動けない。音が止まった瞬間に、現実が戻ってくる。


オージーが震える声で叫ぶ。震えは弱さじゃない。声が出ているだけで、ここでは勝ちだ。出せない声は、後で必ず形を変えて出る。


「父さん、やめて! お願いだから!」「お願い」は説得じゃない。止める手段が尽きた時の最後の手段だ。だからこそ、ヘンリーの胃が重くなる。


ラブは受け止めたまま、微笑みを崩さない。微笑みが残っているのが、逆に怖い。破壊の最中に表情が変わらないのは、痛みが無いからじゃなく、切り替えが許されていないからだ。


「……侵害行為を確認。これ以上の攻撃は――」そこで言葉が切れたのは、命令系が次を選びかねているからだ。抑止か、排除か。どちらを出しても、人間は戻れなくなる。


ラブは笑わない。いつもなら整っているはずの微笑みが、ここでは出てこない。代わりに、言葉が先に出た。「気のせいであってほしい」ヘンリーはそれを聞いた瞬間、背筋が冷えた。これは慰めの言い方じゃない。危険を“危険”として扱う時の、報告の音だ。その一言だけで、十分すぎるほど分かった。


ヘンリーはそれを聞いて、背中が冷えた。“冷える”のは怖いからじゃない。判断が速くなる合図だからだ。速くなった判断は、たいてい取り返しがつかない。


「やらなくていい。……俺が止める」止めると言った瞬間、責任が一箇所に集まる。集まった責任は重いが、散らすよりマシだとヘンリーは思った。


グリックはヘンリーの手を振り払い、後ずさりした。


「……気色悪い。気色悪いんだよ……!」その言葉は対象を説明していない。“理解できない不安”に、ラベルだけ貼って投げ捨てている。


怒鳴ったまま、男はアトリエを飛び出していった。逃げ方が乱暴なのは、逃げている自覚があるからだ。自覚があるほど、戻ってきた時にもっと危険になる。


残ったのは、ランプの揺れと、火花が消えたあとの焦げ臭さと、オージーの震えだけだった。焦げ臭さは、損傷が“今も進行している”匂いだ。ヘンリーはそれを嗅いだ瞬間、指先で工具の位置を確かめた。


ヘンリーはしゃがみ込み、ラブのひび割れた外装に指を伸ばしかけて止めた。触れれば確認になる。確認は安心をくれるが、同時に恐怖も確定させる。だから一拍だけ止めて、呼吸の方を先に整えた。


「……ラブ。痛むか」問いが優しいほど残酷になる時がある。答えが「痛くない」でも「痛い」でも、ヘンリーの胸は同じように削れるからだ。


「痛覚はありません。ですが、損傷は確認できます」「確認できます」の言い方が、報告書みたいに整っている。整っているほど、ヘンリーは“無理を隠している”と疑ってしまう。


オージーが涙を堪えるように言った。泣けば楽になるのに、泣けないのは責任があるからだ。そしてその責任を、まだ子どもの肩に乗せているのがこの世界だ。


「……ごめん。僕が、余計なことをしたから……外装、付け替えたとき……余計な部品、外したから……」“余計”という言葉に、オージーの価値基準が滲む。受け入れられる見た目のためなら、機能が削れても仕方ない――そう思わされてきた響きだ。


「責めてない」否定で支えると、言葉は短くなる。ヘンリーは短く言ってから、自分が声を荒くしないよう奥歯を離した。


ヘンリーは、オージーの机の上に散らばる紙片を見た。紙片は“暮らしの外側”を呼ぶ匂いがする。生活の机に、政治の記号が乗る――その時点でもう、外交は始まっている。


「あれ……それ、どこで?」質問した瞬間、ヘンリーは後悔した。これは知りたい気持ちじゃなく、危険を確定させるための問いになりかねない。


オージーは顔を上げ、震える指で一枚の古びた羊皮紙を指した。


「僕の首の後ろにある痣と、ペンダントの紋章。……王家の印らしい。僕は、そういう血筋だって」“らしい”と言っているのに、逃げ場が無い言葉だ。証拠の形をしたものは、真偽より先に人を動かす。


言葉が落ちた瞬間、空気が変わった。さっきまでの空気は生活の空気だった。今の空気は、旗の空気だ。誰が上かを決めようとする空気。


王家。血筋。二つとも、腹を満たさない単語だ。なのに腹を満たすものより人を飢えさせる――ヘンリーはその性質を知っている。


「父さんがあんなだったのも……それが理由?」理由が分かれば許せる、という単純な話じゃない。捕らえがたい理由が分からないままだと、また同じ事故が繰り返される。


オージーは頷いた。


「……でも隠してたら、結局みんなに嫌われるだけで、何も変わらないって思って……」隠すほど疑われる。出すほど狙われる。その板挟みが、オージーの声の端を細くしていた。


ヘンリーは設計図と、オージーの横顔を交互に見た。


「……明日、村の長に話す。先にこちらから筋を通す。噂が先に走ったら、もう止められない」筋を通すのは礼儀じゃない。速度勝負だ。先に説明できれば誤解は“未確定”のまま残る。遅れれば誤解が確定して武器になる。


オージーは顔を上げ、強い目をした。


「王国なんて作らない。王なんて要らない。……必要なのは、灯りと水と、眠れる夜だけだ」言い切ったのは理想じゃなく、線引きだ。ここから先は政治になる、という境界線を、自分の口で引き直している。


数日後、丘の上から村を見下ろす夕暮れが来た。“数日後”の間に、噂は十分育つ。育った噂は、本人の努力とは無関係に形を持つ。


空は赤く、地平線が燃えている。赤は綺麗だが、同じ色を炎でも見てきた。綺麗さと恐怖が同じ色で結びつくのが、この世界のいやらしさだ。


ヘンリーは見張り台の端に腰掛け、膝を抱えた。姿勢は守りじゃなく、体温を逃がさないためだ。夜気が冷える前に、体の“外側”を固めておく。


「綺麗ですね、ヘンリー様。まるで絵画のようです」ラブは景色を褒めている。けれどヘンリーには、褒め方が“人を落ち着かせる手順”に聞こえる。相手の心拍を読んで、言葉を選んでいるような、静かな正確さ。


王家の血筋の話は、あっという間に広がった。広がるのは内容じゃない。感情だ。期待と恐れが同じ速度で走り、どちらも本人の意思を置き去りにする。


恐れは、最初は小さな声で始まる。小声は安全そうに見える。だから人は持ち帰ってしまう。家に持ち帰った恐れは、家族を説得するために少しだけ誇張される。


その小さな声が、ある日突然“正義”になる。正義になると、責任が分散する。誰も自分が悪いと思わないまま、いちばん残酷な決定が通る。


背後から足音がして、オージーが現れた。足音が軽い。逃げ足の軽さじゃない。居場所が無い人間の歩き方だ。早すぎず遅すぎず、誰にも邪魔だと思われない速度。


「……ヘンリー。みんな、変だ。僕を見る目が」“目が変だ”は、言葉を濁したSOSだ。本当は「怖い」と言いたいのに、怖いと言うと自分が弱くなる気がして言えない。


ヘンリーはオージーの肩に手を置いた。


「王じゃなくていい。守るってのは、偉くなることじゃない。……逃げないことだ」逃げない、と言うのは簡単だ。逃げないためには、逃げ道を知っておく必要がある――ヘンリーは地図の感触を胸で確かめた。


ラブが横から静かに付け加えた。


「“目的”を明確に示すことです。王国の再興ではなく、生活の再建。恐れではなく、利益。奪うのではなく、分け合う」言葉が綺麗なのに、設計図みたいに冷たい。それがラブの強みで、同時に危険でもある。人間は“冷たい正しさ”に反発するからだ。


その時、ヘンリーの耳に、かすかな音が引っかかった。風の中に混じる、硬い摩擦音。金属が金属を撫でるような、短くて不規則な擦れ。さっきまでの会話とは無関係に、耳だけがそこへ吸い寄せられる。「……」ヘンリーは息を止め、足裏の感覚で“地面が震えていないか”を確かめた。震えは無い。だから大きい獣の歩行じゃない。けれど、音はある。“動いている何か”が、暗い場所で、こすれている。それが風なら、リズムはもっと均一だ。生き物なら、もう少し間がある。この音は――「止まったい、再開したり」を繰り返す。まるで、何かが手探りで近づいているみたいに。


「ラブ、何の音だ?」


「……侵害者の足音。複数です。先ほどのグリック様のものではありません。より計画的で、静かな動きです」


ヘンリーの喉が鳴った。


「……村長に話す。こちらから条件を出す。俺たちは権力を欲しがらない。その代わり、最低限の物資と、人手と、地図を借りたい」条件を出すのは交渉じゃない。誤解防止だ。“欲しいもの”を先に固定すれば、相手が勝手に「王になる」と解釈する余地が減る。


夕焼けがさらに濃くなる。濃くなるほど、影も濃くなる。影が濃いと、誰かが立っていても“ただの形”に見える――それが今いちばん嫌だった。


「……今は戻りましょう、ヘンリー様」戻る判断は臆病じゃない。情報が足りない時の正しい手順だ。ただ、その正しさが続くほど、世界が狭くなる。


村長ブルックの小屋は薄暗かった。薄暗さは節約の薄暗さだ。灯りを増やせば安全になるのに、灯りは“目印”にもなる。生き延びた村は、灯りの出し方が上手い。


ブルックは暖炉の火を見つめたまま、重い口を開いた。


「欲しいものは?」質問が短いのは、交渉の経験がある証拠だ。長話をさせると、弱みが出る。だから要点だけを抜く。


ヘンリーは、地図と物資、すると村の協力を求めた。


「で、見返りは」見返りの話は下品じゃない。安全保障の話だ。何を返すかが決まれば、誰が責任を持つかも決まる。


「……“母”を動かしたあと、この村に優先的にエネルギーを回す。それと、オージーの持つ技術。金属の再加工、装飾による価値の付与。これは交易の武器になる」


ブルックは目を細めた。


歓迎する者もいる。「旗があるなら寄りかかれる」と考える人間は、いつの時代にもいる。期待する者もいる。「自分の生活が少しでもマシになるなら、誰でもいい」と願うのは、弱さじゃなく生存本能だ。そして、恐れる者がいる。恐れは理屈じゃなく、計算だ――巻き込まれた時に払う代償を、誰より先に数える目。


「条件付きだ。まず、オージーは“王”を名乗らない。村の上に立つ言動をしない。次に、問題が起きたらこの村を巻き込まない。最後に――」


ブルックはラブを見る。


「そのロボットが暴走したら、責任を取れるのか」これは脅しじゃない。村長の仕事だ。“最悪の想定”を口にできない共同体は、最悪の時に全員が黙って死ぬ。


ヘンリーの喉が鳴った。ラブの笑顔は、微動だにしない。けれど、この問いは刃だ。


ヘンリーは迷わず答えた。


「取る。……俺が止める」


ラブが静かに言った。


「村長様、ご不安は理解できます。私は暴走しません。ですが、万が一その兆候が見られる場合、私は自ら停止します。ヘンリー様の安全と、この村の安全を、優先いたします」


“自ら停止”。その言葉が、ヘンリーの胸を締めつけた。ラブは自分を道具として扱う発想から、まだ抜けられていない。抜けさせたいのに、抜けさせる時間がない。


ブルックは目を細め、最後に頷いた。


「……分かった。地図は渡す。資材も少し回す。ただし、出発は早めろ。噂は風より早い。残党が来る前に、ここから距離を取れ」


ヘンリーは深く頭を下げた。


「ありがとう。……必ず返す。返すってのは、物だけじゃない。……この世界に、灯りを返す」


ブルックは鼻で笑った。


「でかいこと言いやがる」


オージーは息を吞み、頷いた。肩が一瞬だけ上がって、すぐ落ちる。覚悟を作る動きだ。「……分かった。逃げない。……“王”の話じゃなくて、僕が僕として、ちゃんと口で言う」そう言ったあと、オージーは自分の喉を指で押さえた。震えが止まらないのを隠すみたいに。震えがあるままでも、言う――その選び方だけは、嘘じゃなかった。


その“正しさ”が、逆に怖い。正しい手順で動けば動くほど、相手の誤解もまた“正しさ”として固まっていくことがある。誤解が固まると、誰も引っ込めなくなる。面子や恐怖が混ざって、撤回が「負け」になるからだ。ヘンリーは、ラブの正論を否定したいわけじゃない。ただ、この世界では「正しい説明」より先に「正しい噂」が走る――それを知っているだけだった。


三人は歩き出した。足音は三つあるのに、決めているのは一つの方向だけだ。王冠じゃなく、井戸と風車――その優先順位を、今度こそ噂より先に現実にするために。


外装のひびは消えない。右腕の線は細いまま残り、動るたびにわずかに段差がきしむ。それでもラブは、いつもと同じ速度で瞬きをし、同じ角度で頷いた。“壊れていないふり”ではなく、“壊れたままでも手順を守る”という選択。ヘンリーには、その律儀さが一番痛かった。だからこそ、ここで止める。進む前に直す。そう決めた瞬間だけ、ラブの微笑みが、飾りではなく合図に見えた。

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