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ROBORISTA  作者: 伊阪証


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11/11

リブート・オール

格納庫を出た時、ヘンリーの耳にはまだ、あの“笑い声みたいなノイズ”が貼り付いていた。鉄の巨人は止まっていない。止められていない。砲口は地上へ向き、赤い光を静かに育て続けている。だから二人は、勝者の足取りではなく、逃げ延びた者の足取りで歩くしかなかった。


薄暗い通路を抜け、崩れた地下階段を上がる頃には、ラブの胸のランプが不規則に点滅していた。さっきまでの明滅とは違う。意思の明滅ではない。疲弊の明滅だ。


「……歩けるか」


ヘンリーが問いかけると、ラブは微笑みを作った。作ったのが分かる微笑みだった。


「問題ありません、ヘンリー様。歩行補助システム……最適化中です」


言い方が妙に“整って”いる。その整い方が怖い。人間が疲れた時は、言葉が乱れる。息が乱れる。声が擦れる。けれどラブの言葉は、疲れているのに“型”へ戻ろうとしていた。まるで、壊れた箇所を補うために、人格を薄くしているみたいに。


「……最適化とかいい。嫌なら嫌って言え」


ヘンリーが言うと、ラブは一拍遅れて頷いた。


「……承知しました。少し、効率が落ちています」


それで十分だった。“効率”という単語に苛立ちながらも、少なくとも嘘ではないと分かる。


地上へ出ると、雨が降っていた。霧も混じって視界が削られ、世界の輪郭が柔らかく溶けている。柔らかいのに、優しくない。霧は優しさじゃなくて、見えない恐怖のための舞台装置だ。


目的地はひとつだった。部品がある場所。古い設備が残っている場所。村人が噂だけで呼ぶ“鉄の町”。ラブを直すため。巨人を止めるため。――そして、その“中にいる意志”を引きずり出すため。


その道中で、最初の障害が現れた。


朽ちかけた橋。鉄骨がむき出しで、錆びた鎖が風に揺れ、歩くたびに橋全体が細く鳴いた。ヘンリーはラブの腰を抱え、体重を分け合うようにして進む。ラブはぎこちなく、時折、小さな金属音を立てた。


「ラブ、今の音……どこだ」


「……関節部、油圧の揺らぎです。歩行は……可能です」


可能、という言葉が嫌だった。可能なら、なんでもやらせてしまうからだ。ヘンリーは歯を食いしばり、橋の向こうに薄く見える煙を見た。あれが町だ。あれが答えのある場所だと信じたい。


橋を渡り切ったところで、ヘンリーの咳がぶり返した。胸の奥が擦れ、視界の端が白くなる。身体が言っている。休め、と。それでも頭が言う。休むな、と。


「……ここで少し止まろう」


ヘンリーは橋のたもとにラブを座らせ、自分も膝をついた。ラブはヘンリーを見て、微かに首を振る。


「単独行動……危険です」


「分かってる。でも、このままだと二人とも倒れる」


ヘンリーは鞄の口を押さえた。中には設計図の断片がある。あれを読めるようになった自分が、ここで倒れたら終わりだ。


「水と、使えそうな部品を探してくる。すぐ戻る。……すぐ戻るから、動くな。無理するな」


ラブは微笑んだ。


「……了解。ヘンリー様……ご無事で」


その言葉が、妙に胸に残った。“ご無事で”は、別れ際の言葉みたいに聞こえたからだ。


ヘンリーは瓦礫の山へ踏み出した。崩れた建物の骨組み、錆びた配管、割れたガラス。風が鉄を揺らし、不気味な音を立てる。その音に紛れて、遠くから微かな機械音が聞こえた。規則的で、重い。獲物を探す足音みたいな機械音。


「……気のせいじゃない」


ヘンリーはそう呟きながらも、足を止めなかった。止めたら、恐怖が追いつく。恐怖が追いついたら、身体が固まる。


瓦礫の隙間で、ヘンリーは古い水筒を見つけ、次に、工具箱の残骸を拾った。中身はほとんど錆びていたが、針金と小さなナイフは使えそうだった。それを抱え、急いで戻る。


ラブは、座ったまま同じ姿勢だった。同じ姿勢でいるのに、胸のランプだけが弱く点滅している。生きている証拠が、そこにしかない。


「ラブ、戻った」


ラブはゆっくりと顔を上げ、かすれた声で言った。


「……ご心配なく、ヘンリー様。機能維持、問題……ありません……」


言葉が途切れる。途切れ方が、悪い。呼吸の途切れではなく、“文章が切れた”途切れ方だった。


ヘンリーは眉を寄せ、ラブの首元へ手を伸ばした。そこで、欠けた小さなパネルに気づく。外れている。首筋の隙間から、細い配線が覗いていた。


「……これか」


ヘンリーは拾い上げたパネルを掌で温めるように握り、設計図を広げた。ラブの回路図は難しい。それでも、いくつかの線は追える。エネルギー供給。制御。遮断。そして、首元の接続部。


「外れたせいで……供給が途切れた。だから動きが鈍くなってるんだ」


ラブが微かに首を振ろうとして、途中で止まった。


「記憶領域に……該当する記録がありません」


「記録がなくてもいい。今、繋げばいい」


ヘンリーは針金を細くねじり、配線の端を慎重に合わせた。指が震える。震えを止めようとして息を止めると、胸が痛む。だからヘンリーは、息を吐きながらやった。少しずつ。確実に。


数分後、繋がった。


ラブの瞼が、ゆっくり開く。瞳に、いつもの柔らかな光が戻る――戻ったように見えた。


「ヘンリー……様?」


「よし……聞こえるな。無理するな、まだ応急処置だ」


ラブは立ち上がり、ふらつき、それでも体勢を立て直した。だが、ヘンリーは気づいてしまう。立ち方が“綺麗”すぎる。人間の不器用さがない。揺れがない。補正だけで立っている。


「……歩けるか」


「はい。ヘンリー様のおかげで、供給は回復しました」


それなら、前へ進むしかない。


霧が晴れ、日差しが強くなった頃、道は岩場へ変わった。乾いた風が吹き、砂が歯の間に入る。ラブはときどき立ち止まり、胸の奥で小さな機械音を鳴らした。ギー、と擦れるような音だ。


「ラブ、その音……胸のあたりか?」


「……エネルギー、不足です」


「不足って、さっき繋いだろ」


「……不足です」


同じ言葉。さっきも言った。今も言った。ヘンリーの背中に冷たいものが走る。壊れ方が、嫌な壊れ方だ。


「ラブ、目を見て。今、何が起きてる」


ラブはヘンリーを見た。見たが、焦点が微妙に合わない。


「歩行補助システム、最適化中です」


また、同じ言い回し。ヘンリーは歯を噛み、ラブの背中のパネルへ手を伸ばした。錆び付いたレバーが固い。無理に開ければ配線を傷つけるかもしれない。それでも、今開けない方がもっと怖い。


「……ごめん」


ヘンリーはレバーをこじ開けた。内部の配線が見える。設計図の線と照らす。そこに“感情モジュール”と書かれた区画があった。


「感情……?」


ヘンリーが呟いた瞬間、ラブの目が数回点滅し、小さく震えた。


「エラー……発生。感情……モジュール……オフライン」


言葉が、機械の報告になっている。ヘンリーは喉が乾き、しかし手を止めなかった。周囲を見回して、使えるものを探す。針金、石、乾いた草――足りない。だがヘンリーは自分の服の裾のほつれに気づいた。


「……これだ」


糸を抜き、より合わせる。極細の導線の代わりにする。設計図の断線箇所へ当て、そっと繋ぐ。指先が痛い。汗が目に入る。視界が滲む。それでも、繋ぐ。


微かな光がラブの瞳に戻った。


「ヘンリー……様……?」


「大丈夫か」


「……ご心配を……おかけしました」


声が戻った。戻ったのに、次の言葉が怖かった。


ラブはぼんやりとヘンリーを見て、小さく言った。


「私は……何をすべきでしょうか」


ヘンリーの呼吸が止まる。


「何って……一緒に行くんだ。鉄の町へ。直すために」


ラブが首を傾げる。


「約束……?」


「……え?」


ラブの微笑みは、形だけ整っていた。温度がない。


「申し訳ありません。記憶……一部……破損。ヘンリー様との約束……思い出せません」


ヘンリーの胸が、ぐしゃりと潰れた。怒りでも悲しみでもなく、恐怖だ。ラブがラブでなくなる恐怖。


ヘンリーは、ラブの手を握った。冷たい。硬い。それでも握り返してくる。握り返しはある。まだ、ある。


「……思い出せなくてもいい」


ヘンリーは言った。言葉にして自分を縛る。


「思い出させるのは、後でいい。今は“ここにいる”を守る。俺が守る。今度は、俺が」


ラブは小さく瞬きをした。その瞬きが、ほんの少しだけ“人間っぽい迷い”を含んでいた。


夕暮れ、朽ちた地下鉄構内へ潜った。天井が崩れ、星空が見える。錆び付いたレールが続き、風が空洞で鳴る。そこで、二人は“金属の獣”に遭遇した。


だが、それは突進してこなかった。ただ、ぎこちなく近づき、両腕のクローをだらりと下げ、まるで迷子の犬みたいに唸っていた。


「敵意……ない?」


ヘンリーが呟くと、ラブはロボットの背中に触れた瞬間、表情を変えた。驚きと戸惑いが混じる顔だ。


「……故障しているだけです。エネルギー供給回路がショートしています」


ヘンリーは息を呑む。


「なんで分かるんだ」


ラブは視線を落とした。答えない。答えられない沈黙。だが、今は責めない。責める余裕がない。


「直せるか」


ヘンリーが問うと、ラブは小さく頷いた。


「はい。……ヘンリー様、できますか」


ヘンリーは工具を握り、ロボットの背部パネルを開け、焼けた配線を見た。設計図がなくても、ここは“経験”でいける。繋ぎ直し、絶縁を作り、ショートを避ける。ヘンリーが手を動かし、ラブが補助する。


数分後、ロボットの赤い目が弱く点滅し、唸り声が消えた。そして、ロボットは二人から一歩退き、ぎこちなく頭を下げた。


ヘンリーは、胸の奥の何かが軽くなるのを感じた。怖かったのは“全部が敵”になることだった。壊れているだけの機械がいるなら、直すことで世界の見え方が変えられる。


「……よし」


ヘンリーはラブを見た。


「今のを、町のやつらに見せれば、交渉材料になる」


ラブは微笑んだ。微笑みはまだ硬い。だが、硬い微笑みでも“同じ方向”を向けるなら、進める。


地平線に、鉄骨が組み合わさった歪なシルエットが見えてきた。鉄の町。入口には朽ちたゲートが立ち、男が一人、腕を組んで待っていた。背後に誰かの気配はあるが、霧と影に紛れて輪郭は見えない。見えなくていい。今必要なのは、一人の判断だ。


男はヘンリーを値踏みし、次にラブを見た。その視線は、恐怖ではなく、嫌悪に近い。


「お前ら、何者だ」


「旅人だ。一晩、宿を借りたい。あと……修理のための部品も」


男は鼻で笑った。


「宿? そんなもんねえよ。……で、その金属の獣は何だ」


「獣じゃない。仲間だ」


男はニヤリと笑い、指を一本立てた。


「なら条件だ。そいつを置いていけ。置いていくなら入れてやる」


ラブが、静かに目を閉じた。それが“諦め”に見えて、ヘンリーの奥歯が軋む。


ヘンリーは一歩前へ出て、男を見据えた。


「できない」


男の眉が跳ねる。


「は?」


「できない。こいつを置いていくくらいなら、ここに入らない」


男の笑みが消える。代わりに苛立ちが出る。


「命が惜しくないのか」


「惜しいから言ってる。……だから、交渉する」


ヘンリーは背負っていた工具袋を見せ、さらに、地下鉄で直した作業用ロボットの話を短くした。“直せる”という言葉に、男の目がほんの少しだけ動く。欲の動きだ。


「証拠は?」


ヘンリーは頷き、ラブを支えながら町の外れにある壊れた設備へ案内させろ、と言った。男は迷い、結局、短く顎をしゃくった。


「五分だ」


五分。五分の猶予が、こんなに重いとは思わなかった。


町の外れで、錆び付いて止まったポンプ設備があった。男が腕を組んだまま言う。


「これが動けば、話は変わる。動かなきゃ――置いてけ」


ヘンリーは頷き、膝をついた。設計図はない。だが、仕組みは読める。問題は、ラブが隣で支えてくれるかどうかだった。


「ラブ、分かるか」


ラブは一瞬だけ黙ってから、言った。


「……はい。ですが……処理が……遅いです」


「遅くていい。今は“いる”だけでいい」


ヘンリーはポンプの蓋を開け、詰まった砂と錆を掻き出し、配線を繋ぎ、圧力弁を叩いて固着を剥がした。指先が擦りむけ、血がにじむ。それでも、回す。


ギギ……という嫌な音の後、ポンプが一度だけ唸った。次に、もう一度。そして、弱い水が吐き出された。


男の目が見開かれる。


「……動いた、だと?」


ヘンリーは息を吐いた。交渉材料が、できた。


その瞬間だった。


ラブが、ぐらりと傾いた。支える間もなく膝が折れ、ヘンリーの肩へ体重がのしかかる。


「ラブ!」


ヘンリーが抱きとめると、ラブの身体は冷たい。冷たさが戻ってきている。胸のランプが、点滅ではなく“途切れ途切れ”になっている。


ラブの唇が、かすかに動く。


「……ヘンリー……様……」


「喋るな。今は止まれ。止まっていい」


ラブは微かに微笑もうとして、うまく作れなかった。


「……更新……と……再起動……が……必要……」


更新と再起動。それは、ただの修理じゃない。ラブの中身を触るという意味だ。人格の奥をいじるという意味だ。それでも、今やらなければ、ラブが消える。


ヘンリーはラブを抱きしめたまま、男を見上げた。怒りも、懇願も、全部混じった目で。


「入れてくれ。部品と作業場が要る。今すぐだ。……代金なら、俺が直す。町の機械を全部直す」


男は一瞬だけ迷った。迷いの後、舌打ちして言った。


「……その女、運べ。余計な真似はするな。五分で終わらせろ」


五分じゃ終わらない。終わらないのに、今はその言葉に縋るしかない。


ヘンリーはラブを背負った。ラブの重みが、さっきより軽い。軽さが怖い。軽さは、存在が薄くなる予感だからだ。


それでもヘンリーは、歯を食いしばってゲートをくぐった。鉄の町の中は、錆と煙と、古い油の匂いが渦巻いている。そしてその匂いの中に、かすかな希望の匂いも混じっていた。


更新と再起動。それは“直す”じゃない。“取り戻す”だ。


ヘンリーはラブの手を握り直し、心の中でだけ約束を言い直した。


置いていかない。鍵にしない。犠牲にしない。


隣を、取り戻す。

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