ネイルと鉛筆だこ
私の爪は一部変形している。
鉛筆だこが大きいからだ。
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ネイルと鉛筆だこ
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転職してからネイルを楽しめるようになった。
今は100円ショップでも色とりどりの
マニキュアがあり、お財布的にも優しく
選べるようになっている。
だけど、私は手放しで喜べない。
なぜなら私の爪は鉛筆だこで一部
ぼこりと変形しているからだ。
これは小学校の時にさかのぼる。
私の祖父はその昔高校の数学教師をしていて、
勉強に取り組むことにあまり甘えを寛容
しない人だった。
当時家庭の事情で祖父母他と同居していた
私は、親よりも祖父母と過ごす時間の方が
長かった。
だから、幼いと呼べる頃は祖父母との思い出
が多い。
その中でも、勉強に対しては厳しい印象が
強い。
私は算数がとても、とても苦手な小学生
だった。
一番最初に躓いた問題は、『11-6』
である。
今でも忘れられないくらいだから、幼心に
相当算数が嫌だったと推察される。
なので、祖父はとりわけ計算ドリルの課題
に厳しかった。
細長い、独特のドリルをめくりながら、
宿題で指定された範囲をヒイヒイ解く。
解き終わらなければ、TVもお菓子もお預けだ。
私は必死に終わらせようとした。
残念ながら祖父にとっては小学生がなぜ
この程度の問題に躓くのか心底わからなかった
ようで、教えてもらったとしても、いつも
問題式を音読されるだった。
その後に続く沈黙の謎の時間も含め、
ただただ苦行であった。
そんなだから、祖父の隣で勉強することを
やめ、私は自分の部屋を手に入れ畳の上で
身体を折りたたんで解くようになった。
だけど、問題が難しいことには変わりない。
だんだん、
「どうせ間違うのだから、適当に
数字を書いてノートを埋めればいいや」
と悪知恵を働かせるようになった。
その後大学受験まで数学で苦しむ人生に
なるとは、この頃はもちろん
想像もできていない。
結局、祖父がほしかった優秀な人間像は、
一生懸命勉強している子、というラベルだ。
だから、その条件を別のラベルで達成できれば
いいだろう、と思ったのだ。
私は手に力を入れてぐりぐりと
ノートに文字を書き込むことにした。
数日後、私の利き手の中指に、小さな
鉛筆だこが生まれ、「こんなのできた」
と殊勝な顔して祖父に報告した。
祖父はとても嬉しそうな顔をしていた
(と思う)。
今ではもはや私の身体の一部となった
鉛筆だこが、書くことが少なくなったからか
少しずつ指に吸収されていっている。
このままいつか、
ただの指になるかもしれない。
そのころには、ネイルも今より楽しめる
かもしれない。
そして変わらず、少しの罪悪感が
ほんのりと皮を張るかもしれない。




