エピソード 4ー1
目を開けると、ローテーブルが見える。その上にはショートケーキと、薫り高い琥珀色の飲み物が注がれたティーカップが置かれていた。
「……見慣れた光景ね」
どうやら私は、オラキュラ様のいるリビングのソファで目が覚めたようだ。顔を上げると、向かいのソファにオラキュラ様が座っていた。
彼女は私を見て苦笑している。
「本当に、よく気を失う子ね」
「お恥ずかしい限りです。それで、みんなは無事、ですか?」
私は間に合ったのだろうかと問い掛ける。だけど、オラキュラ様は「それは起きてから自分で確認なさい」と口にした。
「……もしかして、言いにくい結果、なのですか?」
「いいえ。観測者として、ネタバレをしないように気を付けているだけよ」
いいえって、わりとネタバレをしているような……と思ったけど、もちろん声には出さない。私は、「なら、どうして私をここに?」と尋ねる。
「それは、貴方に種明かしをするためよ」
「……さっき、ネタバレはしないって言いませんでしたか?」
「あら、ネタバレと種明かしは違うものよ」
首を傾げると、興ざめするのがネタバレで、待ち望んでいたタイミングで明かされるのが種明かしだと教えられる。
「……そうなんですね。じゃあ、なにを教えてくれるんですか?」
「貴女が前回に浄化した方法」
「それなら、答えはもう分かってます。瘴気溜まりに吸われるより早く魔力を放出して、強引に聖女の魔力を魔石から解き放ったんですよね?」
それが私の出した結論――だけど、オラキュラ様は首を横に振った。
「近いけど外れ。瘴気溜まりの中では、どれだけ魔力を放出しても無駄。全部、瘴気溜まりに魔力を吸われるのが落ちよ。あのときの貴女も、ね」
「え? でも、それなら、どうして……」
困惑する私をまえに、オラキュラ様は悠然と紅茶を口にした。それからほっと一息吐いて私を見ると、「貴女はその方法を既に知っているはずよ」と笑う。
「私の知っている方法ですか? 聖女の魔力を使う、ですよね?」
「その他に、もう一つ知っているでしょう?」
「……あぁ、多くの治癒魔術師を集めて、強引に浄化する、でしたか――って、まさか!?」
「そのまさかよ。貴女は一人だけで、十数人分に匹敵する魔力を放出したの。それが、前回の貴女が、瘴気溜まりを浄化できた理由」
「さ、さすがに、冗談ですよね?」
「聖女の次は、魔女と呼ばれるかもね?」
イタズラっぽく笑いかけらるけれど反応に困る。
「と言うか、ホントに、本当なんですか?」
「ええ、本当よ。だから、貴女が浄化を終えた直後、魔石は金色のままだったのよ。貴女が落下したときに護りの魔導具が発動したから、その魔力は失われてしまったけどね」
「……あぁ、そう言えば」
あのとき変だと思ったのだ。いままで、その違和感の正体が分からなかったけど……そっか、もし聖女の魔力を押し出した直後のままなら、魔石は私の魔力に染まっていないとおかしかった。
もっとも、私が落下したときに魔導具が発動したのなら、どのみち魔石は無色透明になっているので、そこから答えを得ることは出来ない。だけど、疑問を抱く程度の切っ掛けにはなったはずだ。
「私も、まだまだだなぁ……」
おのれの不甲斐なさに溜め息を吐く。
「そんなことはないわ。貴女は十分にがんばっているもの」
「そう、だったら……嬉しいな」
ぽつりと呟いて、ローテーブルの上に視線を落とす。底には色取り取りのお菓子や、琥珀色の液体が注がれたティーカップが置かれている。
私は紅茶を一口飲んで、それからオラキュラ様に視線を向ける。
「そう言えば、どうして一輪だけ、離れた場所にアンチュリスの花が咲いていたんですか? オラキュラ様はあまり干渉できないと言っていましたが……」
もしかして、オラキュラ様が用意してくれたのではと言外に問い掛ける。
「あれはただの偶然よ。あの場所にも鉱石の欠片が飛び散っていただけ」
「偶然、なんですか?」
「ええ。もっとも、私はあの場にアンチュリスがあることも、ちょうど花が咲く頃なのも知っていた。だから、貴女に運があれば、見つけるかもしれないと思ってはいたわ」
「運が、よければ……」
運が悪ければ、私は死んでいたと言うことだ。前回に引き続き、わりとギリギリのところで生きている気がする。
「ここが平和な乙女ゲームを元にした世界なら、だいぶ違ったんだけどね」
「それは本気で思います」
馬車ほどもある魔獣に襲われたり、毒殺され掛かったり、人間に襲撃されたり、湖で溺れたり、何度も何度も気絶するハメになるとは夢にも思っていなかった。
「そう考えると、貴女には悪いことをしたかしら?」
「いいえ。自由に生きる機会をくださって、感謝しています」
人と同じように走って、跳んだり跳ねたり出来る。みんなと苦楽を共に出来ることが嬉しい。
「……そう。転生したこと、貴女が後悔していないか心配だったのだけど、杞憂だったようね。これからも大変なことばかりだけど、貴女は自由に生きなさい」
「はい――って、大変なことばかり?」
原作乙女ゲーム的には、瘴気溜まりの問題を解決、聖女が確定して、しばらくは個人ルートでいちゃラブストーリーが続くはずだけど――と、尋ねた。
「以前にも言ったけど、観測者の私には制限があるの。だから多くは語れない。だけど……そうね。一つだけ言えるとしたら、それはあなた自身のことよ」
「私、ですか?」
「そうよ。聖女でもないのに、魔力に明かして浄化を成功させた魔力オバケの貴女」
「うぐ……」
馬鹿力みたいに言われてちょっと傷付いた。
「ちなみに、気付かれていると思いますか?」
「時間の問題でしょうね。そもそも、聖女の代わりになり得る存在が、この国でどれだけ政治的な価値を持つか――言うまでもないでしょう?」
「……聞かなかったことにしたいです」
「貴女の選んだ道よ、諦めなさい」
大変な未来が確定でしょんぼりである。
だけど――
「私は、自由に生きて幸せになりたい。だから、これからもがんばります」
私がそう言った直後、不意にリビングが光に包まれていく。私は慌てて、オラキュラ様に「また会えますか?」と問い掛ける。彼女は光の中でふわりと微笑んだ。
「私はいつだって、貴女の幸せを願っているわ」
次に目覚めると、私は自分の部屋のベッドで眠っていた。これが一度目なら戸惑うところだけど、正直、このパターンにもすっかり慣れてしまった。
私は視線を巡らせて、ベッドサイドにいるお兄様を見つけた。
「おはようございます。……いまは朝であってますか?」
「いや、もうすぐ夕方だ。と言うか、他に聞くことがあるだろう?」
「……誰か、犠牲者は出ましたか?」
「いや、全員無事だ」
「……そうですか」
私はほっと一息吐いてから、あらためてお兄様を見上げる。
シャツは相変わらず胸元が開いている。深いエメラルドグリーンのロングヘアー。それに縁取られた端正な顔に収められた淡いブルーの瞳が、私を気遣うように見つめていた。
「こんばんは、お兄様。今日も格好よくてチャラそうですよ」
「おはよう、ソフィア。チャラそうは余計だ」
「……クラウディアを口説いたことがあると聞きましたが?」
ジト目を向けると、「振られてしまったがな」と、まったく悪びれる気のない答えが返ってきた。
公爵家の長男であるお兄様には、ある程度の自由は許されている。
というか、後継ぎ的な意味では、数人の妻を娶ることも珍しくはない世界だ。その辺りのことは、原作ではぼかされているけれど……貴族社会はそういうものである。
でも、それでも、お兄様はやり過ぎだと思う。
「……お父様やお母様も心配していましたよ?」
「いや、それはこちらのセリフだ。今回の一件で、お父様やお母様がどれだけ心配しているか、分かっているのか?」
「……なるほど。私はお兄様に似たのですね」
「一緒にするな」
即座に否定された。お兄様がつれない。
とか思っていたら、ほっぺを摘ままれた。
「……もしかひて、おこっへ、ます?」
「少し、な」
「でも、あれは必要なことでした」
「分かっている。国のため、あるいは自分の望みを叶えるため、そなたが自分で決めて行動したことにとやかく言うつもりはない。……だが、家族として心配するのは当然だろう?」
「そう、ですね。ありがとうございます」
「何故そこで礼を言う?」
「心配してくれたのが嬉しかったので――いひゃいですっ」
にへらっと笑うと、再び頬を引っ張られた。
「心配を掛けない努力をしろ、まったく」
「ごめんなさい、努力はしたけど無理でした」
悪びれずに言い放つと、「まったく……」と呆れられてしまった。
「それで、私が気を失っていたあいだのことを教えてくださいますか?」
上目遣いでお願いすると、アルノルトお兄様は溜め息を吐きつつ、私が意識を失っていたあいだのことを教えてくれた。
簡単に纏めると、光による合図を確認したことで、事態の収拾を確認。その時点で、残りの解毒ポーションをシリル様に与え、彼は一命を取り留めたそうだ。
「後遺症とかは、大丈夫そうですか?」
「恐らく大丈夫だ。一時は、高熱が出て危なかったと聞いているがな」
「そう、ですか」
危なかったと聞いて、間に合ってよかったと心から安堵する。そうして気が緩んだのだろう。自分の状態も確認する余裕が生まれた。
病み上がりのような辛さはあるが、それ以外の苦しさはない。
「解毒ポーションを飲ませてくださったんですか?」
「ああ。おまえが持ち帰ったアンチュリスの花から、一人分ほどの解毒ポーションが作れたからな。それをセシリアとおまえに飲ませ、残った分を王太子と騎士で分けたそうだ」
「……シリル様が騎士と分け合ったのですか?」
セシリアが優先なのは分かるけれど、王太子殿下より私を優先するのは……と困惑すると、アルノルトお兄様は盛大に溜め息を吐いた。
「おまえはもう少し自分の重要度を自覚しろ。でなければ、周囲に迷惑を掛けることになるぞ」
「……気を付けます」
殊勝な態度を取りつつ、お兄様は大げさだなぁと心の中で思う。
私は上半身を起こし、ベッドから足を下ろす。
「それで、二人は部屋ですか?」
「セシリアは部屋にいるが、王太子は城に戻っている」
「……え? もう戻ったのですか?」
「王太子やセシリアが毒に伏せっていることは隠していただろう? だが、王太子が不在のことに不審がる者が現れ始めてな。急いで戻った、という訳だ」
アルノルトお兄様はそう言って、ちらりとクラウディアに視線を向ける。すると、クラウディアは部屋を退出していった。
部屋に静寂が訪れ、私はコテリと首を傾けた。
「……秘密のお話ですか?」
「いいや。可愛い妹と秘密を共有するのも魅力的ではあるが――」
アルノルトお兄様の言葉を掻き消すように、扉がバーンと開かれた。そこから飛び込んできたのはセシリアだった。
「ソフィアお姉様!」
「セシリア、ただいま――ひゃわっ!?」
ベッドの淵に座っていた私のお腹に、セシリアがダッシュで飛び込んできた。そのままベッドに押し倒された私は目を丸くして、「セ、セシリア?」と声を掛ける。
だが、セシリアは答えない。私にしがみついて肩を震わせている。
「セシリア、私は大丈夫よ」
「なにが大丈夫なんですか! 帰ってきたときのお姉様、いまにも死にそうだったんですよ!?」
「……え? そんなことは……」
ないですよねとお兄様に視線を向けるが、彼は「事実だ。そもそも、解毒ポーションの在庫がなかった。わずかに残っていた分を、王太子が飲んだ後だったからな」と口にした。
「そうですよ! ソフィアお姉様がカースドファングの毒に倒れたって聞いたとき、解毒ポーションはもうなかったから、すごく、すごくっ! 心配したんです!」
それはたしかに不安になる。
でも、私が毒に侵されたのと、アンチュリスの花を見つけたのはほぼ同時だった。報告した人が、先にアンチュリスの花のことを話せばよかったのでは? と思ったけど口にしない。
代わりに、私はセシリアの頭をそっと撫でた。
「セシリア、心配掛けてごめんなさい」
「……許しません」
「あら、困ったわね。どうしたら許してくれる?」
「……今日、一緒に寝てくれたら許します」
うちの妹が可愛すぎる。
私はセシリアの頭を撫でながら、いいわよと微笑んだ。そうして頭を撫でながら顔を上げ、セシリアのあとに部屋に入り、扉のまえに立っていた人物――アイリスに視線を向けた。
「アイリス、貴女もありがとう。私の合図に気付いてくれたのは貴女なのでしょう?」
瘴気溜まりを浄化したという光による合図。あのとき私が上げた光は、本来の合図とは大きく離れていた。合図ではないと判断されていたら、もう一度合図を送る術はなかった。
そして、あれを合図と判断してくれたのはきっとアイリスだ。
そう思って問い掛けると、アイリスは「間違っていなくてよかったです」と笑った。
「ソフィア、彼女は騎士の制止を振り切って、独断で合図を上げてくれたんだ」
アルノルトお兄様の補足を聞いて目を開く。
「もしや、命令違反として罰せられるのですか?」
「お叱りは受けました。でも、陛下やマクシミリアン侯爵からは感謝の言葉をいただきましたし、お父様からも褒めていただきました。問題はありません」
アイリスはそういって小さく笑った。
どうやら、命令違反は命令違反として罰した上で、それとは別に感謝を贈られたらしい。私のせいでアイリスの未来が閉ざされなくてよかったと安堵する。
「アイリス、ありがとう。私からも、貴女に最大級の感謝を。なにかあれば、公爵家の娘として力になると約束するわ」
「もったいないお言葉です。それに――友達のためですから」
彼女はそう言ってはにかんだ。
「ありがとう、嬉しいわ」
早口で捲し立てる。
お兄様やセシリア、それからクラウディアがなにやらニヤニヤと笑っているけどスルー。「それで、アナスタシアとエリザベスは?」と話題を変えた。
それに対して、お兄様が答えてくれた。
「二人とも、すでに帰還済みだ。そなたのことを心配していたぞ」
「そう、ですか。では、後でお礼の手紙を書いて送りますね」
そう言って、クラウディアに手紙の準備をお願いする。そんな私を見ていたお兄様が、「それで、どうやって浄化したのだ?」と口にした。
「それは……」
魔石を砕いただけと言っていいものか、私は答えあぐねた。
「それは?」
「えっと、その、陛下に報告してからでお願いします」
私はそうやって答えを先送りにしたのだけど、「そういえば、陛下から容態が回復次第、王宮に来て欲しいと連絡が来ているぞ」と言われて思わず視線を泳がせた。




