エピソード 2ー5
太陽が地平線の向こうへと旅立ち、空に広がる昼と夜の境界線が幻想的な紫色に染まる。一日に数分だけ、空に昼と夜の境界線が現れるマジックアワー。
その美しい空の下。
城門のまえの広場には、多くの民衆が詰めかけていた。
門の上にあるバルコニーには、夜空のように煌めくドレスを纏ったセシリアがたたずみ、アラン陛下と、ルミナリア教団の司教が彼女の偉業を称えている。
その後、私達にも聖選の癒し手という称号が正式に与えられたけれど、それについては割愛。民衆にセシリアが聖女として紹介された。
そして、城門のまえで祝いとしてお酒が振る舞われる。その話題と共に、聖女セシリアの偉業は瞬く間に国中へと駆け巡ることになる――のだが、それについても閑話休題。
民衆向けの発表を終えたあと、私達は貴族向けのパーティーに参加していた。王宮にある、真っ赤な絨毯が敷き詰められたパーティー会場に多くの王侯貴族が詰めかけている。
基本的には、いままでと同じ立食形式だ。
違うのは、聖女として称えられるのが私ではなくセシリアになったことくらいだろう。公爵令嬢としての私に挨拶する者もいるけれど、基本的なターゲットはセシリアだ。私はそれを横目に、クラウディアと雑談を交わす。
「クラウディア、貴女も踊ってきていいのよ? そろそろ婚約者を見つける時期でしょう?」
「あら、私はこれからもずっとソフィア様の侍女を続けるつもりですわ」
「……結婚するつもりがないの?」
「いえ、ソフィアお嬢様の関係者と結婚しようかと」
私は少し考え、「お兄様に惚れると苦労するわよ? それでも、貴女がどうしてもと言うのなら、紹介してあげてもいいけれど」とからかってみた。
「そういう意味ではございません。それに、苦労するという点については同意するので、紹介は必要ありませんわ。アルノルト様に嫁ぐと、ソフィアお嬢様と一緒にいられなくなりますし」
「……なるほど。と言うか、さりげなく、お兄様を落とす自信があるような口ぶりね?」
私はクラウディアを上から下まで眺める。オリーブグリーンの髪と瞳を持つ、落ち着いた面持ちの女性。地味目な雰囲気のわりにスタイルはよい。
たしかに、お兄様好みかもしれない。
とはいえ、さすがのお兄様も、私の侍女を口説いたりは――
「まあ、一度口説かれたことがありますから」
あったよ!
「……お兄様、節操無しですね」
「いえ、まぁ、冗談だったと思いますけどね」
クラウディアが苦笑するけど、妹としてはあまり冗談になっていない。
そんなことを考えていたら、近くで貴族の子弟と話していたセシリアが急に、「お姉様はそんな方じゃありません!」と声を荒らげた。
幸いそれほど大きな声じゃなかったけれど、近く――つまり、セシリアを取り囲んでいた者達の顔が強張った。トラブルを予感した私は「どうしたの?」と輪の中に割って入る。
「い、いえ、その……私達は……」
気まずそうな面々。セシリアがふんすと怒った顔で、「お姉様が、私のことを冷遇しているというのです」と口にした。
それに、貴族の子弟は慌てふためく。
令嬢がひび割れたようなデザインの指輪をした手を振って「ち、違います。私達はセシリア様を心配しただけで、決してソフィア様に楯突こうとした訳では……っ」と必死の弁解を始める。
「では、どういうつもりなのですか? 私をお姉様のもとから救い出す、などと――あいたっ。お姉様、なにするんですかぁ……」
私にデコピンを食らったセシリアがおでこを押さえて涙目になる。そして、その予想外の展開に、青ざめていた貴族の子弟も驚いた顔になった。
周囲の多くの視線が、様々な感情を込めて私へと注がれる。それらの視線を一身に受けながら、私は腰に手を当てて溜め息を吐いてみせた。
「私がセシリアを冷遇しているという噂があるのは知っているわ。そして、その噂の原因がなになのかにも心当たりがあるわ」
「――え? 噂の原因ってなんですか?」
セシリアが興味を示した。
はぐらかそうと思ったが、子弟の一人が「ソフィア様が、セシリア様は公爵家の令嬢としてふさわしくないから、様付けで呼ぶ必要はないと友人達に仰った、と……」と口にしてしまう。
それを聞いたセシリアが目を見張る。
「え? ち、違います。それは、私が願ったからで……って、まさか! ソフィアお姉様は、こうなると知っていて、だからアナスタシアがあんな顔をしていたんですか!?」
セシリアが、アナスタシアに対等に話して欲しいと願ったときのことだ。
セシリアと対等に話せば、アナスタシアが恥知らずと後ろ指を指されることになる。だから、私のお願いという形で納得させた。
その結果、私がセシリアを見下していると誤解されるのは織り込み済みのことだ。
「別にたいしたことじゃないでしょう? それに私は、自分があれこれ言われるよりも、貴女が友人といままで通り付き合えなくなる方が嫌だっただけよ」
「~~~っ」
セシリアが口元を押さえて打ち震えた。
私は微笑ましく思いながら、今度は周囲で固唾を呑む子弟に視線を向ける。
「――という訳だから、私はセシリアを苛めている訳じゃないわ。周囲が誤解するのは仕方がないことだけど、セシリアに同意を求めても逆効果よ」
「「「も、申し訳ありませんでした!」」」
彼らは一斉に頭を下げた。私は彼らが落ち着くように一呼吸開けてから、「頭を上げなさい」と声を掛けた。彼らは判決を待つ罪人のように顔が青ざめている。
「まずは、貴方達にお礼を言っておくわね。セシリアのことを心配してくれてありがとう」
私がそう口にすると、彼らの周囲に疑問符が飛び交った。そんな中、一人の令嬢が「お礼、ですか? 私達、お叱りを受けても仕方のないことをしたと思うのですが……」と口にする。
「さっき言ったとおり、私が誤解されるのは織り込み済みよ。だからね、私は嬉しいの。公爵家の令嬢である私を出し抜いてでも、セシリアを救おうとした貴女達の行動が」
セシリアを心配してくれてありがとうと微笑めば、その場にいた子弟の半数ほどがビクッと身を震わせて胸を押さえた。だが、残りの半数ほどはどこか気まずそうだ。
「……一応言っておくわね。セシリアを救おうとしたのが打算でもかまわないわ。聖女とお近づきになりたいとか、恩を売っておきたいとか、理由がなんであれ義理を通すなら問題ないの」
問題があるのは、レミントン子爵のように、期待した成果が上がらなかったからと約束を反故にするような不義理な行為。
最低限の義理を果たすのなら、打算で動くのは悪いことじゃない。
……うぅん、ちょっと違うかな? それが悪いことだと、私が思いたくないのだ。
だって、前世の私がそうだったから。
前世の私は、他人が当たり前に出来ることが出来なくて、だからこそ自分が出来ることで人の役に立って、自分が出来ないことの穴埋めをしようとした。
それが、その打算が悪だなんて言われたら、私はきっと泣いてしまう。
だから――
「貴方達にも夢や目的があるでしょう? そのために努力することを、私は悪いことだと思わない。貴方達に出来ることを対価に、私でも、セシリアでも、好きに利用していいのよ」
私はそう言って微笑み、それからセシリアに向き直った。
「それからね、セシリア。私の心配をしてくれるのは嬉しいけど、あんなふうに声を上げたら大事になってしまうでしょう?」
「ご、ごめんなさい。でも、お姉様の悪口を言われたのが許せなくて……」
「そういうときは、冷静に事実無根だと否定した上で、聞かなかったことにすると言うのよ。そうすれば、空気を読める相手なら事実と違うのだと理解してくれるはずよ」
「……なるほど、勉強になります」
素直なセシリアが可愛らしい。
私は微笑ましく思いながら「それじゃ、そろそろ他の場所へ挨拶に行くわよ」とセシリアの手を掴み、集まっていた子達に会釈をしてその場を立ち去った。
◆◆◆
ソフィアとセシリアが優雅に去って行く。その後ろ姿を、貴族の子供達は呆然と見送った。そうして誰もなにも言わない状況が数十秒も続き、ようやく令嬢の一人が口を開く。
「……ソフィア様がセシリア様を冷遇しているって、どこがよ」
その言葉に、他の子弟もうんうんと頷いた。
「と言うか、ソフィア様が想像以上に素敵だったな」
「レミントン子爵から奪ったなんて噂もあったが、お二人の仲は良好だな」
「対価があれば利用してもいい、か。そんな風に言われるなんて思わなかった」
聞く者にとっては傲慢にも聞こえるだろう。だけど、普通の上位貴族は、いちいち下級貴族の相手をしたりしない。話をするだけでも相応の伝手が必要になる。
彼らの多くは、ソフィアの言葉を好意的に受け取っていた。
「私、ソフィア様のファンになりそう」
「分かる。あんなふうに言われたら、損得抜きで助けたくなるよな」
「それに、なんだかんだと、さっきの失言をなかったことにしてもらっているわ。普通なら、強く叱責されたっておかしくないのに……」
そう口にした令嬢が夢見る乙女のような顔をした。他の子弟達も似たようなものだ。
そうして、ソフィアの良さや、セシリアとの仲の良さを語ることに花を咲かせた彼らは、自分達を扇動――つまり、セシリアがソフィアに冷遇されていると最初に話題にした令嬢が、そっとその場から消えていることに気付かなかった。
ところ変わって、会場内の別の場所では、国王のアランと第二騎士団の隊長であるマクシミリアンが密談を交わしていた。
「アラン陛下、まだ未確認の情報ではありますが……」
「……また見つかったのか?」
アランは瘴気溜まりが、とは声に出さずに問い返す。急な知らせとはいえ、パーティーに参加する者達に聞かせては混乱が起きかねない。
マクシミリアンもまた静かに頷き、「規模は前回以上に小さいようです」と告げた。
「……ふむ。前回よりも小さいのは朗報だな。急いで周囲の安全確保を進めてくれ」
「既に手配済みです」
「さすがに優秀だな。では、毒の対策はどうなっている?」
「口を覆う布を用意し、騎士には長袖を徹底させます」
「……それで対処可能なのか?」
「はい。詳細についてはこちらに」
マクシミリアンはそう言って、サンプルから調査した結果をアランに渡す。
「……ふむ。炎では無毒化しないものの、風の魔術で吹き散らすことは有効、か」
「はい。素肌に付着しただけでも毒に侵される可能性がありますが、少量であればほとんど影響は見られません。ゆえに、口元を布で覆い、肌を隠すだけでも効果はあると思われます」
「この短期間でよくぞ調べた。ならば、準備が整い次第、浄化の任務をおこなってもらう。問題は、どの聖選の癒し手を連れていくかだが……」
「アラン陛下、その件ですが、今回は我が娘にお任せいただけないでしょうか?」
パーティー会場を包む喧噪がその声の大半を掻き消した。殊更に潜められたそのセリフを耳に、アランは整った顔に懸念を浮かべた。。
「理由を申してみよ。まさか、功績が欲しいという私欲ではないだろうな?」
「野心がないとは申しませんが、理由はそれではありません。私は、ソフィア嬢以外にも瘴気溜まりが浄化できるという確証が欲しいのです」
「……それは、どういう意味だ? セシリアが聖女であることは確認できたのであろう?」
「はい。セシリア嬢が聖女であることは間違いないでしょう。しかし、ソフィア嬢の活躍もめざましいものがあります。彼女がもう一人の聖女ではないかと疑うほどに」
その言葉にアランは軽く目を見張った。
「そのようなこと、あり得るのか?」
「……分かりません。ですが、だからこそ、余裕のあるうちに検証しておきたいのです。ソフィア嬢とセシリア嬢の二人がおらずとも、本当に瘴気溜まりを浄化することが出来るのかを」
「それでそなたの娘、か」
聖選の癒し手の中で、ソフィアの次に優秀な成績を収めているのはアナスタシアだ。だが、彼女は療養中であり、次点がエリザベスとなる。
野心もあるのだろうが、マクシミリアンの言葉に嘘はないとアランは判断した。
「いいだろう。ならば、次の浄化はそなたの娘、エリザベスを筆頭に、聖選の癒し手から優秀な者を数名ほど連れていくがよい」
「その命、しかと拝命いたしました」
マクシミリアンはそう言って踵を返す。だが、その背中に向かって、アランが声を掛けた。
「マクシミリアン。そなたの忠信は疑っておらぬ。だが、もし浄化に失敗すれば、たとえ事なきを得たとしても、責任の追及はそなたに及ぶだろう。そのことは分かっているな?」
アランの言葉に、マクシミリアンはピタリと足を止めた。
それからゆっくり、半身になって振り返る。
「陛下、アルスター殿が愚かにも命令に背き、シリル殿下の命を救ったと聞いたとき、私は心の底から嘆いたんですよ。なぜその愚か者が、私ではなかったのか、とね」
国のために罰せられるのなら喜んで――と、彼は今度こそ立ち去っていった。
乙女な悪役令嬢には溺愛ルートしかない1巻好評発売中!
そして――
乙女な悪役令嬢には溺愛ルートしかない2巻、8月25日発売予定です!
いやぁ、1巻から二ヶ月後に2巻発売とか都市伝説だと思ってました。コミカライズあわせて40冊以上出してますが、二ヶ月後2巻は初めてです。
という訳で、1、2巻あわせてよろしくお願いします!




