エピソード 2ー4
セシリアと一緒にやってきたのは王都にある有名なカフェのまえ。馬車から降りて店に入ろうとすると、聞き覚えのある声に呼ばれて振り返る。そこには私服姿のアイリスの姿があった。
「ごきげんよう、ソフィア様。それに……セシリア様も? 学校を休んでいたので心配していましたが、お元気そうでなによりです」
アイリスがにこりと微笑んだ。私はごきげんようと挨拶を返したあと、セシリアに、「貴女が休んでいる理由について、勝手な憶測が流れないように協力してくれたのよ」と耳打ちする。
「あ、その……その節はお世話になりました」
セシリアがぺこりと頭を下げると、アイリスは「いえ、私はなにもしていません」と慌てたように否定した。けれど――
「なにもしていないということはないでしょう? 私も色々とお世話になったもの」
今回の一件だけじゃない。
最初の浄化に向かうまえにも、身を守るための訓練をしてもらった。あれがなければ私は死んでいたかもしれない。そう思う程度にはなにかと世話になっている。
それに……
「貴女のお父様にも申し訳ないことをしたわ。いつか、謝らなくてはと思っていたの」
あの日、シリル様は聖女候補達を連れて撤退しろとアルスターに命じた。でも私は、シリル様を助けるために、アルスターに命令違反を唆した。
命令違反をさせたのは私。
なのに、罰せられたのがアルスターだけなのを申し訳なく思っていた。
「いえ、ソフィア様は悪くありません。それに父の処罰には配慮があったと聞いています」
「配慮? 聖女候補の護衛から外されたと聞いているけれど……」
「言い伝えによると、瘴気溜まりはこれからも発生するのでしょう? それも一度や二度でなく、同時に発生しないとも限らないと聞いていますが、違いますか?」
「違わないわ。……なるほど、そういうこと」
瘴気溜まりがいくつも発生したら、人手不足を理由にアルスターを復帰させる――というところまで織り込み済みの処罰、ということね。
「ただ……私自身は迷っています。国が大変な時期に、私だけがのんきに夢を追いかけていていいのかな……って」
「……アイリス?」
アイリスは第一騎士団の隊長を務めるアルスターの娘だ。親からもその才能を認められ、騎士になることを望まれていたが、彼女は魔術師を目指した。というのが原作のストーリー。
そして現実となったこの世界でも、アイリスは魔術師を目指してがんばっている。なのに、そんなふうに悩んでいたなんて……と、私は驚いた。
でも……分かる気がする。
原作の彼女は、第一騎士団が罰を受けた後、苦難を乗り越えて魔術師になった。魔術師になってから、家や周囲が大変な状況になったいまは感じ方が違うのだろう。
「アイリス、私なら、どちらかを諦めたりなんてしないわ」
「どちらも諦めない、ですか……?」
「家族が心配なら、魔術師を目指しながら手助けをすればいいのよ」
私は自由に生きて幸せになる。その夢のために世界を救おうとしている。なにかを諦めた方が簡単かもしれないけれど、諦めたくないモノまで諦める必要なんてない。
私がそう言って笑うと、アイリスは少し困った顔で笑った。
「ソフィア様は強いですね。でも、そういうところに憧れます。私も、がんばってみようかな」
「それがいいわ。諦めるのなんて、いつだって出来るもの」
そう言って微笑めば、アイリスもまた花咲くように微笑んだ。
それから、ハッとした顔になり、「引き留めてごめんなさい。ソフィア様はどこか行く途中だったのでは?」と口にする。
私は時計を確認して、「そうね、そろそろ行かないと」と頷いた。
そうしてアイリスと別れると、それを見送っていたセシリアがぽつりと呟いた。
「……みんな、色々なことで悩んでいるんですね」
「そうね。本当に、その通りね」
どの子の悩みも、原作では知らなかったものばかりだ。設定が同じでも、少しの変化で大きな結果の違いをもたらす。オラキュラ様の言ったとおり、原作の強制力なんてないんだと、あらためて認識する。
でもそれは、原作では大丈夫だったから――なんて理屈が通らないという意味でもある。
だからこそ、いまのうちに出来ることはやらなくちゃと、気を引き締め直した私はカフェに足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ、お二人ですか?」
「待ち合わせよ。スノーホワイト家のご令嬢と」
「ソフィア様ですね。ご案内いたします」
店員に連れられて、店の奥にあるVIPルームに通される。庶民をメインターゲットしたお店ながら、VIPルームはそれなりの調度品で揃えられている。
その部屋の中頃、席から立ち上がったナビアが私を出迎えてくれた。
「お待ちしていました」
「こんにちは、ナビアさん。今日は求めに応じてくださってありがとうございます」
「いえ、私も色々と聞きたいことがありましたから。それと――」
ナビアがセシリアに視線を向ける。
「妹のセシリアです。貴女に会いたいというので連れてきました」
「――セ、セシリアです。今日はお邪魔してすみません」
「貴女が噂の聖女様ですね。初めまして、スノーホワイト家のナビアと申します」
二人が挨拶を交わし、テーブルを囲むように席に着いた。
その後、やってきたウェイトレスに紅茶とケーキを注文し、私は姿勢を正してナビアに向き直った。直後、セシリアが口を開いた。
「ナビアさん、解毒ポーションを開発してくれてありがとうございます! おかげで、私の友人が助かりました。心からお礼を言わせてください」
ナビアは少し驚いた顔をするけれど、すぐにふっと笑みを零した。
「お力になれたなら安心しました。臨床試験をすることが出来なかったので心配していたんですが、容態は問題なく回復していますか?」
「え、あ、それが……」
セシリアが言葉を濁して私を見る。
「熱や倦怠感は確実に改善しているんだけど、魔力の操作がまだ出来ないそうなの。なにか心当たりはないかしら」
「……すみません、その辺りの情報はなくて。ただ、病気やケガが治っても、それまでに低下した体力の回復には時間を要することがあります。魔力操作も、それと同じかもしれません」
言われてみると、あり得る話だと納得する。
「ありがとう。少し様子を見てみるわ」
「ええ、そうしてください。こちらでも調べてみるので、なにかあれば連絡ください」
「そうさせてもらうわね」
「――よろしくお願いします!」
私のあとにセシリアが続く。
アナスタシアのために頑張る姿を微笑ましく思いながら、私はナビアへと意識を戻した。
彼女は緑色の瞳に思慮深さを滲ませながら、私の言葉を待っているようだった。
「ナビアさん、貴女を呼んだのはお礼をしたかったから――と言うのもあるけど、一つ尋ねたいことがあったからなの。その……魔石の改良はどうなっているかしら」
「魔石の改良、ですか? 量産ではなく?」
想定外のことを聞かれたと言いたげにナビアが首を傾げる。
「将来的には量産も必要になると思うけど、私はあの改良の件が気になっているの」
瘴気溜まりが複数同時に発生することを、私は原作で知っている。だから、浄化に使う魔石は多い方がいい。それは分かっている。
原作でも魔石の量産を行っていたはずだ。でも魔石の強度については描写されていない。
私はそれが気になっている。
「改良については、既に少し強度を上げるところまで来ています。ただ、これ以上の改良となると、魔力量が豊富な魔術師が必要になり……」
「――それなら、私に協力させてください」
再び、セシリアが割って入った。
「セシリア、落ち着きなさい」
「あう、ごめんなさい。でも……その、魔石は、私の魔力を使って、ソフィアお姉様――聖選の癒し手が瘴気溜まりを浄化するのに必要なんですよね? なら、私に協力させてください」
「でも、貴女には魔石に魔力を込める役割があるでしょう?」
「それだけじゃ……嫌なんです」
セシリアがそう言って唇を噛む。
「聖女だなんて持て囃されているけど、一度目の瘴気溜まりを浄化したのはお姉様でした。二度目は私が浄化をしたけれど、危険を冒したのはお姉様達だった。私は……」
「セシリア。貴女が、なにもしてない、なんてことは絶対にないわ。人には役割があり、貴女はその役割を果たしている。だから、みんな貴女を護ろうとしているのよ」
唯一無二の世界を救える存在、セシリアに代わりはいない。
――とはいえ、セシリアの気持ちも分からなくはない。身体が弱いからと、みんなと同じことが出来なかった。前世の私と、いまのセシリアは似たような歯痒さを感じているのだろう。
だから私は、「それでも」と続けた。
「貴女がやりたいと思ったのなら、やっちゃダメなんて理由もないわね」
「……いいんですか?」
「危険なことじゃないのなら好きにやりなさい。聖女だからって、他人の目を気にする必要なんてない。もしもそれで文句を言う人がいたら、私が黙らせてあげる」
私がそう言って微笑むと、セシリアは嬉しそうな顔をした。それからハッとしたように顔を伏せると、上目遣いで私を軽く睨みつける。
「……お姉様って、やっぱり人誑しですよね?」
「そうかしら? 私は本音を口にしただけよ?」
「~~~っ」
私が微笑むと、セシリアはテーブルに突っ伏した。相変わらず、外見だけは完璧という設定の、私の可愛さは色々おかしいと思う。なんか、ナビアまで震えているし……
そんなことを考えながら、私はナビアに声を掛ける。
「という訳だから、迷惑でなければセシリアを使ってくれるかしら?」
「え? あ、いえ、はい――っと、研究のお手伝いでしたね。セシリア様は、本当に研究のお手伝いをしてくださるのですか?」
「は、はい、ご迷惑でなければ!」
その言葉で正気に返ったのか、ガバッと起き上がったセシリアが元気よく答える。
「……分かりました。では、一応確認させてくださいね。私は学生ですが、研究は遊びではありません。今回、貴女のご友人を救ったように、人の命に関わることもございます。それでも――」
「だからこそ、私も協力したいんです!」
セシリアが強い意志を秘めた瞳でナビアをまっすぐに見つめる。その視線を受け止めていたナビアが、ほどなくして「分かりました」と息を吐いた。
「それじゃ……」
「はい。どうか、私の研究室にお越しください」
こうして、セシリアは魔石の研究に関わることになった。この選択が、後に私達の命運を左右することになるのだけど、このときの私はそんなこと、夢にも思っていなかった。
一巻好評発売中です。
表紙は下にあるのでよければご覧ください。




