エピソード 2ー3
翌日、アナスタシアの容態は目に見えて回復していた。
微熱にまで下がり、倦怠感もだいぶ緩和したようだ。念のために、一日に何度か治癒魔術を施しているけれど、それもほとんど必要がないところまで回復した。魔力はまだ扱えないとのことだけど、それも時間の問題だろう。
と言うことで、先延ばしにしていたあれこれの対応をする。一番は、セシリアが真の聖女であることを正式に発表するパーティーの開催だ。
セシリアがパーティーに出席できる状態になったと王宮に伝えると、一時間後くらいには返事が来た。明日の夕方に城門の上から民衆に発表、その後に貴族向けのパーティーを開催予定らしい。
その反応からも、王宮がどれだけ焦れていたのかがよく分かる。私の無茶を聞いてくれた王家に申し訳なく思っていると、そこにシリル様がやってきた。
私はすぐに身だしなみを整え、シリル様の待つ応接間へと足を運ぶ。そうしてドアを開けると、シリル様はソファに座らず、入り口の辺りで私を出迎えてくれた。
「ソフィア、急な訪問ですまない」
「いえ、こちらこそ。先日の件では無茶を聞いてくださってありがとうございます」
「他ならぬソフィアの頼みだからな」
「~~~っ」
さすが乙女ゲームの攻略対象、返答に隙がないと身悶える。私は「それで、用件は明日のパーティーについてでしょうか?」と問い掛けた。
「ああ。急な開催で、セシリアのドレスが間に合わないのではと思ってな」
「仰るとおり、なにかと忙しくてまだドレスを作っていません。いまから店を押さえるのも難しく、今回は私のドレスのサイズを直そうかと思っています」
「やはりか。服飾の店に予約を入れてあるので、そちらで仕立ててもらおう」
「まあ、手際がよろしいですね」
私はお姉ちゃんなのに後れを取ったと、少ししょんぼりする。
「私が気付いた訳ではない。ウォルフに指摘されてな」
「ウォルフ様ですか? ……あの方、セシリアのことが好きすぎません?」
ストレートに聞くと、シリル様が盛大に咽せた。
「ソ、ソフィア、そなた、気付いていたのか?」
「気付くもなにも、あのように露骨な態度なら分かると思いますが……」
攻略対象の一人として、最初から惹かれあう要素はあったのだろう。私としてはむしろ、シリル様は一体いつになったらセシリアを好きになるんだろう? という疑問が強い。
そんなことを考えながらシリル様を見上げていると、彼はなにやら考え込んでいた。
「……鈍感なのか、そうでないのか判断に悩むところだな。いや、あるいは、分かっていて、分かっていない振りをしているという可能性も……」
「……シリル様、なにか悩み事ですか?」
独り言を言っているのが気になって声を掛ける。彼はハッとした顔になると、少しだけ優しい目をして「だとしたらどうするんだ?」と聞いてきた。
「もちろん、シリル様が困ってるなら力になりますよ?」
「……そうなのか?」
「え? ええ、もちろんです。だって、その……シリル様には何度も命を救われていますから」
「そうか……。だが、心配しなくても大丈夫だ。気持ちだけ受け取っておこう」
シリル様は私の頭にぽんと手を乗せた。私はシリル様の力になれないのがなんとなく残念で、「そうですか……」と視線を落とす。
すると、なにか考えていたシリル様が「そうだ」と声を上げる。
「セシリアを服飾店に連れて行く必要があるんだが、よかったら同行してくれないか?」
「私がですか?」
「ああ。コーディネートを手伝って欲しい」
このあとは、ナビアに解毒ポーションを飲ませた経過の報告で会う約束があるのだけれど……と、私は時間を確認する。約束は夕方なので、服を見に行く時間は十分にある。
「……仕方ありませんね。今回、だけですよ?」
片手を腰に、私はシリル様に指を突きつけ、にへらっと笑みを零した。
それからほどなく、私とセシリアは、シリル様の馬車で王族御用達の服飾店――ラ・ノーブル・ステラというお店へと向かった。
王都の整備された石畳をの上を、王族用の豪華な馬車がゆっくりと走る。そうして到着した店のまえで馬車から降りると、店の従業員が勢揃いで出迎えてくれた。
「シリル王太子殿下と、そのお連れ様。本日はようこそおいでくださいました」
「マダム・ステラ。今日は急な要望に応えてくれて感謝する」
マダムと言うことは、彼女がこの店の支配人にしてデザイナーだ。
原作乙女ゲームに登場する美麗なドレスをデザインしたのは、デザイン監修をおこなった者である。だが、乙女ゲームを舞台としたこの世界において、それらのデザイン――現代の技術で産み出された美麗なドレスを考えたのは、目の前のマダムということになる。
中世がベースになった世界観なのに、現代のデザイナーと同等の力を持つデザイナー。私はその偉大な存在に胸を躍らせながら、「お会いできて光栄です」と目を輝かせた。
そうして案内されたのはサロン・ド・クチュール――豪華なソファにローテーブル、生地やデザインの見本が並ぶ応接間である。
私とセシリア、そしてシリル様がソファに座ると、斜め横にソファに座るマダムがローテーブルの上でカタログを広げて見せた。
さらには、店員が私達からよく見える場所にドレスを着たマネキンを並べていく。
「パーティーが明日と言うことで、今回は既製品をアレンジしつつ、サイズを整えることになります。そこで、既製品からいくつか候補を挙げさせていただきます」
彼女はそう言って、エンパイアラインのドレスと、マーメイドラインのドレス、それにプリンセスラインのドレスから、いくつかの候補を挙げて見せた。
「まずは、どのタイプがよいか、ご希望はございますか?」
マダムがセシリアに向かって問い掛ける。彼女は困った顔で、「お姉様、助けてください」と私の袖を摘まんだ。その姿が可愛すぎて、私は「お姉様に任せなさい」とサンプルに目を向ける。
でも……これはたしかに迷うわね。
マダムが選んだだけあって、どれもセシリアに似合っている。ハズレがない分、選びにくいという欠点はあるかもしれない。そんなことを考えながらも、私はあるドレスで目を止めた。
セシリアの瞳と同じ、アイスブルーを基調としつつ、シルバーの生地も使ったプリンセスラインのドレス。それは品格だけでなく、セシリアの可愛らしさも引き立てるだろう。
「これはどうかしら?」
「お姉様がそう言うならそれで!」
「もう少しちゃんと考えなさい」
冷静に突っ込むと、セシリアは「私はお姉様のセンスを信じています」と断言した。妹の私に対する信頼が厚すぎる――と、私はわずかに視線を泳がせた。
それからマダムに意見を聞こうと視線を向けると、彼女は静かに笑みを深めた。
「とてもお似合いだと思いますよ。さすがウィスタリア公爵家のご令嬢ですわ。ですがセシリア様、アレンジを加えることも考慮して、一度試着してはどうでしょう?」
私のセンスを褒めつつも、試着するように持っていくマダムの答えは完璧だった。そしてセシリアはその誘導には気付かず、「ではそうします!」と元気よく頷いた。
という訳で、私はクラウディアにセシリアの着替えを手伝うように命じ、マダムは職人にセシリアの採寸をするように命じた。
セシリアが席を外したあと、私はアレンジ用のサンプルに視線を向ける。基礎的な部分をアレンジするだけの時間はないので、可能なのはレースやフリル、あとは刺繍くらいだろう。
それをしばらく眺めていると、ドレスを身に着けたセシリアが戻ってきた。
幻想的なアイスブルーのドレスで、袖などに繊細なシルバーの刺繍が施されている。セシリアがクルリとターンを反ると、それが夜空に輝く星々のように輝いた。アレンジまえなのに、すでにうちの妹が可愛すぎると胸を押さえた私は、そのまま隣に座るシリル様の腕を掴んで詰め寄った。
「シリル様、シリル様、うちの妹、可愛いですよね」
「ああ、さすがソフィアの妹だな」
「そうですよね――って、え?」
逆説的に私も可愛いと言われていることに気付いて心臓がドクンと鳴った。頬が熱くなった私は、それを手の甲で冷ます。
「ソフィアお姉様、少し席を外しましょうか?」
「か、からかわないの。と言うか、主役が席を外してどうするのよ」
恥ずかしさを誤魔化しながら、私はアレンジについて考えを纏める。
「えっと……そうね。レースを少し足しましょう。それと、聖女であると同時に、私の義妹でもあると示すために、ウェストにウィスタリアの紋章を刺繍するのもいいと思うわ」
「ウィスタリアの紋章を刺繍してもいいんですか!?」
セシリアが思いのほか声を弾ませた。そのままドレスを翻して駆け寄ると、ローテーブルに手をついて身を乗り出してくる。私はその勢いに少しだけ気圧された。
「え、えぇ、もちろんかまわないわよ?」
「じゃあそれがいいです、そうします! お願いします!」
私に希望したあと、シリル様に宣言、マダムに懇願した。やっぱりうちの子が可愛いと、苦笑しながら「そうしてあげてください」とマダムに伝える。
「かしこまりました。では、位置の調整をさせていただきますね」
マダムはそう言ってセシリアを誘導する。その後に続くセシリアの歩みが弾んでいた。私はそれを微笑ましく見送りつつ、紅茶を口にして一息ついた。
「シリル様、ありがとうございます。あの子、聖女の重責や、アナスタシアのことが重なって気を張っていたので、今回のことはよい息抜きになったと思います」
「……そうか。そなたらには重責を背負わせてすまないと思っている」
シリル様が申し訳なさそうに顔を伏せた。
「いえ、王家には十分に配慮してもらっていますから」
「そなたらの貢献を思えば当然のことだ。それと……アナスタシアのことだが。回復に向かっていると聞いたが、その後はどうだ?」
「解毒ポーションの効果が目に見えて現れました。魔力の操作はまだのようですが……」
もうすぐ回復するはずだと断言できなかった。回復しなかったらどうしようと、そんな私の不安が伝わったのか、シリル様は少し思案顔になった。
「……文献には、解毒ポーションで回復するとあるのだろう?」
「その通りです。ただ、アナスタシアは魔力量が多いようですから、もしかしたら、普通の人なら解毒ポーションを服用してすぐに、魔力の操作もある程度は回復するのでは、と」
原作では、その辺りについての描写が少なかった。
いまのアナスタシアの状態が普通なのか、それともイレギュラーなのかは分からない。このまま魔力を操作できないままという可能性も完全には否定できない。
「……恐らく大丈夫だ。毒に侵された騎士も解毒ポーションの服用を開始したが、まだ魔力の操作はできていないようだからな」
「そう、なのですか?」
「ああ。だから、魔力を操作する力が回復するのはもう少し後なのではないか?」
「そう、ですね。そう願っています」
アナスタシアは家族のためにがんばりたいと言っていた。このまま――なんてことにはなって欲しくない。そんな願いを込めて、私はきゅっと拳を握りしめた。
それから、私はシリル様を見上げた。
「……シリル様、勇気づけてくれてありがとうございます」
「そなたの不安が少しでも晴れたのならよかった」
そう言って笑うシリル様はいつにも増して素敵だ。シリル様が私にとっての運命の相手ならよかったのになと、少しだけそんなことを考えた。
と、そこにセシリアが戻ってくる。
「戻りました……って、真面目な顔をしてどうかしたんですか?」
「いいえ、なんでもないわ。採寸とかは終わったの?」
「はい、おかげさまで」
それを聞いた私はマダムに視線を向ける。
「パーティーは明日の夕方だけど間に合うかしら?」
「はい。明日の朝一番にお届けして、そちらで最終調整をさせていただきます」
「分かった、門番に伝えておくわ」
こうして、私達はラ・ノーブル・ステラをあとにした。
お店のまえにはシリル様の馬車の他に、私が普段使いにしている馬車が止まっている。その馬車のまえで、私はセシリアとシリル様に視線を向ける。
「シリル様、申し訳ありませんが、セシリアを家まで送っていただけますか?」
「それはかまわないが……そなたはどうするのだ?」
シリル様が怪訝な顔をした。
「私はナビア――スノーホワイト家のご令嬢と、解毒ポーションの件で会う約束があるんです。ですから、セシリアを家までエスコートしていただけると嬉しいのですが……」
そんなふうにお願いをする。
事前に分かっていたことなので、本当ならば馬車を二台呼ぶことも出来た。でも、私はあえてそれをしなかった。シリル様とセシリアを一緒にさせるためだ。
私はセシリアに幸せになって欲しい。
そして、シリル様は攻略対象の筆頭――つまりはセシリアにとっての運命の相手だ。プレイヤーだった頃の私にとっての推しキャラでもあるし、出来れば二人にはくっついて欲しい。
そんなふうに考えていたのだけれど、セシリアが予想外のことを口にする。
「ソフィアお姉様、スノーホワイト家のご令嬢というのは、魔石の開発者ですよね? その方と会うのでしたら、私もついて行きたいのですが……ダメですか?」
「ダメではないけど……会いたいの?」
「――はい」
強い意志を秘めた瞳が戸惑う私の姿を映し出した。私は仕方ないわねと、セシリアの動向を許可し、それからシリル様へと向き直る。
「シリル様、申し訳ありません。さきほどの言葉は撤回させてください」
「ああ、問題はない。ただ、最近は王都に怪しい連中を見かけたという噂もある。ウィスタリア公爵家のご令嬢に手を出す者はいないと思うが、護衛から離れないように気を付けてな」
気遣うような優しい声に、私はもちろんと微笑みを返した。
乙女な悪役令嬢には溺愛ルートしかない1
昨日までは(たぶん)好評発売中だったんですが、各データを見るに本当に好評発売中です(嬉しい)
2巻はすでに書籍作業中。この調子なら3、4、5巻と重ねていけるかも?(個人の予想)な感じです。
応援してくださった方ありがとうございます。末長くお付き合いしていただけるように頑張りますので、今後ともよろしくお願いします!




