エピソード 1ー2
一巻6/25日発売です!
王城にある大広間。
天井から降り注ぐ魔導具の灯りが真っ赤な絨毯に吸い込まれて消えていく。厳かな空間には、既に多くの聖女候補だった令嬢達が詰めている。
私達が姿を見せると、一瞬だけ広間から音が消えた。私達に尊敬と、わずかな嫉妬の視線が向けられる。私はさりげなく、それらの視線を遮るようにセシリアのまえに立った。
直後、人混みの中から令嬢の一人が近付いてきた。ちょっと気が強そうな顔立ち。ストレートロングの髪はビビットオレンジで、青い瞳は鋭さを秘めている。
彼女はアナスタシア、私達の友人で、モントゴメリー伯爵家のご令嬢だ。
「やはりお二人にも連絡があったのですね」
「ええ、瘴気溜まりが発見されたそうね」
私が答えると、アナスタシアは「こんなにすぐに次の瘴気溜まりが発見されるなんて。大変なことになりましたね」とその整った顔を曇らせる。
聖女ではなかった存在、元聖女候補にも役割があると喜んでいた彼女だけれど、やはり先日の浄化で、多くの犠牲を出しそうになったことに対する心の傷は癒えきっていないのだろう。
私は彼女を励まそうとするが――
「大丈夫ですよ、ソフィアお姉様がついていますから!」
セシリアがアナスタシアの手を取ってそんなことを言う。というか、聖女は貴女なんだから、そこは私がついていますと言うところでしょうが。
心の中で突っ込んでいるとアナスタシアが苦笑した。
「たしかに、ソフィア様はとても頼りになりますね。ですが、聖女はセシリア様なのでしょう? であれば、もう少し自信を持っていただかなくては困りますわ」
「うぅ。それは、そうなんですが……どう考えてもソフィアお姉様の方が聖女っぽいと言いますか。というか、アナスタシア様? 以前のように話してくださいと言いましたよね?」
「セシリア様、そのときにも申し上げましたが、いまの貴女は唯一無二の聖女様であり、ウィスタリア公爵家のご令嬢です。伯爵家の娘である私が対等に振る舞う訳には参りません。でなければ、周囲に妙な誤解を招くことにもなりかねません」
「むぅ……」
セシリアが不満げな顔をする。
アナスタシアは気が強そうな容貌も相まって、出会ったときはセシリアに怯えられていた。だけど、そのあとに和解して、二人はすっかり仲良しになった。
ただ、そのときは伯爵家の令嬢と、子爵家の令嬢という関係で、アナスタシアの方が身分が上だった。それが先日の一件で反転してしまった。
貴族にとって、そういう変化は決して珍しいことではない。養子縁組みや政略結婚などで、身分が変わることはままあることだから。
それゆえに、アナスタシアはセシリアを様付けで呼ぶようになったのだけれど――どうやら、セシリアはそれを居心地悪く思っているようだ。
仕方ないなぁと、私はアナスタシアに視線を向けた。
「セシリアはまだ公爵家の養女という環境に不慣れなところがあるの。だから、いままで通りに接してあげてくれる?」
「ソフィア様がそう仰るのでしたら……でも、よろしいのですか?」
なにがとは言わずに、アナスタシアが問い掛けてくる。魔導具の光を受けた彼女の青い瞳がわずかに揺らぐ。そこには、私を心配する優しさがあった。
「可愛い妹の望みだもの。叶えてあげるのが姉の勤めでしょう?」
「……分かりました。ソフィア様がそう仰るのなら」
彼女は表情を和らげて、セシリアへと身体を向ける。
「セシリア様、私のことはアナスタシアと呼んで、気軽に接してくださいますか? そうすれば、私は以前のようにお話をさせていただきます」
「それは……でも……」
「出来ないと仰るのなら、私もお応えすることは出来ません」
「うっ。分かりました……じゃなかった、分かったよ。だから、アナスタシアもいままで通りに振る舞ってくれる?」
「……ええ、もちろん。これからもよろしくね、セシリア」
ふわりと髪を揺らして微笑んだ。アナスタシアは「セシリアは思った以上に、ソフィア様に大切にされているのね。感謝しないとダメよ」と続ける。
それに対してセシリアは「はい、もちろんです!」と満面の笑みを浮かべた。それを見たアナスタシアが「そうじゃなくて――」と口を開くけれど、その続きは口にしなかった。
大広間が急に静まり返ったから。
王族達が到着したのだ。
アラン陛下にシリル様、それにアイリスの父でもある騎士団長のアルスターが続けて部屋に入ってくる。元聖女候補達は一斉に背筋を正した。
ほどなく、壇上に上がったアラン陛下が威厳ある声を響かせる。
「皆の者、急な知らせであったにもかかわらずよく集まってくれた。既に聞き及んでいると思うが、再び瘴気溜まりが発見された。そのことでアルスターから説明がある」
アラン陛下が水を向けると、騎士団の隊長を務めるアルスターが陛下の隣に立った。
「瘴気溜まりが発見されたのは王都の西にある森の浅い場所だ。発見が早かったからか規模は小さく、また魔物の脅威もそれほど高くはないとの報告が上がっている」
その言葉に、元聖女候補達の顔に安堵が滲む。それを見透かしたかのように、アルスターは「しかし!」と続けた。
「伝承によれば、瘴気溜まりはこれから幾度となく発生することになる。よって、比較的浄化がしやすいと思われるこの機会に、いくつか試験的な取り組みをすることになった」
ざわりと会場がざわめいた。
だけど無理もない。
瘴気溜まりを浄化するには聖女の力が不可欠で、その聖女が失われれば国が滅びることになる。そんな状況下で、彼は試験的な取り組みをすると言ったのだから。
「静粛に。この件について不安に思う者もいるだろう。ゆえに、いまからこの試みについてシリル殿下が説明をくださる。心して聞くように」
入れ替わりでシリル様が壇上に上がる。
柔らかいキャラメルブロンドの髪に、優しげな青い瞳。線が細く、ややもすれば美少女と見紛うほどに綺麗な王子様。壇上に上がったシリル様は凜とした声を響かせる。
「我らは瘴気溜まりの浄化に成功した。これは間違いなく偉大な功績である。だが、あの場にいた者達なら痛感しているはずだ。あれは、ソフィアの力なくば成し遂げられなかった奇跡だと」
まさかここで名前を出されるなんて想わずに身を震わせた。周囲から様々な反応が生まれるが、シリル様の言葉を否定する者はいない。
私が動揺する中、彼は話を続ける。
「前回、我らが苦戦した最大の理由は一つ。戦いに不慣れな聖女候補を多く引き連れて行ったことで、戦闘中に混乱をきたしたことだ」
シリル様の言葉に頷く元聖女候補の中に、悔しげに唇を噛む令嬢の姿が目に入った。彼女のことは覚えている。魔物の襲撃時に逃げ惑い、蔦に絡め取られた令嬢だ。
「誤解を招かぬように言っておくが、そなたらに責任はない。これはろくな訓練もおこなわずに、そなたらを戦場におもむかせてしまった我らに責任がある」
シリル様はそこで言葉を切り、「だが、だからこそ、同じ過ちを繰り返す訳にはいかない」と宣言した。魔導具の光を受けたシリル様の瞳に強い光が浮かんでいる。
「よって、今回の浄化をおこなうのはセシリア――真の聖女であるそなただ」
「は、はい」
不意に名前を呼ばれたセシリアの声が裏返る。
「そなたは先の実験で自らが聖女であると証明した。だが、いまだそのことを疑問視する者がいるのも事実。よって、今回の瘴気溜まりでは、そなたが真の聖女だと証明してもらう」
「……証明、ですか?」
「そうだ。今回の瘴気溜まりはそなたが浄化するのだ」
「わ、分かりました。必ず、成功させてみせます!」
「よい覚悟だ」
シリル様は満足げに頷き、それから視線を私へと向ける。
「そしてソフィア、アナスタシア、エリザベス。いま名前を挙げた三名は、聖女の補佐として同行を命じる。万が一の場合は聖女を助けて欲しい」
これがシリル様が掛けた保険なのだと、私はすぐに理解した。
セシリアが真の聖女であることはほぼ間違いない。だけど、実際に瘴気溜まりを浄化したのは、いまのところ私ただ一人。
だから、万が一に備えて私を同行させよう、と言うこと。
私はそんな想いをおくびにも出さず、「承りました」と頭を下げる。
「よし、そなたらには護衛の騎士が同行する。だが、先に他の元聖女候補達に話がある。少しそのまま待機していてくれ」
シリル様はそう断りを入れて、他の元聖女候補達を見回した。
「聞いての通り、今回の浄化任務にそなたらを連れていくことはない。だがそれは、そなたらの力が必要なくなったという意味ではない。これから瘴気溜まりが増えれば、必ずそなたらの力が必要になる。そこで、そなたらには訓練を受けてほしい」
シリル様が告げたのは、元聖女候補を鍛えることだった。
それを聞いた令嬢達は、まだ自分にも活躍の機会があると希望を抱く者と、また危険な目に遭うのかと怯える者の二種類に分かれた。
そこに、シリル様が新たな希望を口にする。
「その上で、厳しい訓練を乗り越え、瘴気溜まりの浄化を任ずることになる元聖女候補には『聖選の癒し手』の称号を与える!」
その言葉に会場がどよめいた。
ある意味で徴兵も同然だけど、貴族の娘としては名誉が与えられる方が重要なのだろう。実際、聖女候補の大半は、家の名誉のために参加したようなものだ。
聖女でなくとも明確な名誉が与えられると分かった者たちの目にやる気が満ちた。
原作よりも順調かもしれないと、そんなことを考えているうちにシリル様の話は終わり、訓練組となった聖女候補達は退出していった。
残されたのは王族の二人とアルスターと見知らぬ騎士、それに私達四人だけ。さきほどまでの喧噪が嘘のように消え、広い空間にぽつんと取り残されたような錯覚を抱く。
その沈黙を破り、アルスターが力強い声を響かせる。
「さて、この場に残った四名。聖女セシリア、そして聖選の癒し手となったソフィア、アナスタシア、エリザベスには瘴気溜まりの浄化に向かってもらう訳だが、なにか質問は?」
その言葉に引っかかりを覚えた私は即座に挙手して発言の許可を求めた。
「ソフィア様、なんでしょう?」
「その言い回しだとまるで、貴方は同行しないように聞こえるのですが?」
「それは……」
「――それについては私が説明しましょう」
部屋に残っていた見知らぬ騎士が声を上げて進み出た。
赤い髪の中年男性。身長は高く、身体は見るからに鍛えていて筋肉質に見える。その鎧には、剣を交差させた盾の紋章、その中央に咲く赤い薔薇が刻まれていた。
あれはローゼンベルク侯爵家の紋章だ。
「……貴方はマクシミリアン様ですね」
「はい。まずは、会話に割って入った非礼もお詫びします。しかし、この件はアルスター殿が自分で話すよりも、私が説明した方が角が立たないと思い、説明役を買って出た次第です」
「……事情は分かりました。それで、アルスター隊長は同行しないのですか?」
「はい。皆様の護衛は私の指揮下にある第二騎士団が務めさせていただきます」
驚きそうになるのを寸前のところで抑え込んだ。
アルスターはアイリスの父にして、優秀な第一騎士団の隊長である。原作では、湖上の魔術発表会での失態を理由に降格させられ、聖女の護衛は他の者が引き継ぐことになる。
その結果、グランシェス国の騎士団の力は低下することになった。
私はその流れを止めるために、発表会の件で彼が降格しないように手を回した。それで防げたと思っていたのに……ここに来て、アルスターが護衛から外された?
「……マクシミリアン様、貴方の第二騎士団が護衛を務めることに不満がある訳ではありませんが、なぜアルスター隊長が護衛から外されたか理由を伺っても?」
「それは、アルスター殿が命令違反を犯したからです」
「……命令違反? それは、もしや……」
思い至るのは一つだけだ。
前回、全滅の危機をまえに、シリル様は自分を見捨てて聖女候補を逃がせと命じた。だけど私がアルスター隊長を説得して、瘴気溜まりの浄化を強行した。
「あれは、私が提案したことです。それに、結果的には――」
その先は口にすることが出来なかった。マクシミリアンの背後で、アルスターが静かに首を横に振っているのを見てしまったから。
そして言葉に詰まった私を諭すようにマクシミリアンが口を開く。
「ソフィア嬢。アルスター殿の選択は結果的に正しかった。ですが、彼が命令違反を犯した、その事実は変えられないのです」
「それは……いえ、理解できます」
皆が各々の正義を信じて行動していたら、誰も護れずに全滅していたかもしれない。そういう危険があったことは私も理解している。
でも、まさか、それでアルスターが護衛を外されるなんて。
「アルスター隊長、申し訳ありません」
私は深く頭を下げた。
「ソフィア様、頭をお上げください。貴方の提案を受け入れたのは私で、貴方に責任はありません。それに、おかげで誰も死なせずにすみました。感謝しています」
「……申し訳ありません。ウィスタリア公爵家の力が必要な時は言ってください。私の力が及ぶ範囲で力になると約束します」
「もったいないお言葉です」
アルスターはそう言って一礼したあと、「マクシミリアン隊長は優秀です。安心して護衛を任せてください」と言って退出していった。
それから、マクシミリアンの主導のもと、瘴気溜まり浄化の作戦が伝えられる。
それを聞きながら、私はマクシミリアンの人柄と能力について考える。
原作では、アルスターの降格によって、騎士団の弱体化が起きるという描写がある。額面通りに受け取るのなら、引き継いだマクシミリアンの能力に問題があったことになる。
だけど――
セシリアの養父となったレミントン子爵は作中でお人好しのように書かれていたけれど、その本性は冷酷そのものだった。
騎士団の弱体化にもなにか裏があるのかもしれない。だから、たとえなにが起きても、セシリアが瘴気溜まりを浄化できるように気を付けよう。そんな決意を新たにしながら、私は作戦の内容を頭に叩き込んだ。




