エピソード 1ー1
乙女な悪役令嬢には溺愛ルートしかない 一巻6/25発売です。そして多分早売りしてるお店もあると思います。よろしくお願いします。
その日、私は前世の夢を見た。
まだ小学生のころ、私はクラスのみんなに病気のことを隠していた時期がある。そうすれば、みんなと同じでいられると思ったから。
だけど――
「ねぇ、この机を片付けなくちゃいけないから、そっちを持ってくれる?」
クラスメイトの女の子――楠ノ瀬さんに何気ない口調で言われたことが、私にはどうしても出来なかった。そうして黙り込む私に、楠ノ瀬さんが苛立ちを募らせる。
「ねぇ、なんで手伝ってくれないの? っていうか貴女、放課後の掃除もさぼってるよね? 私達にばっかり押しつけて、ズルくない?」
「それは……」
「く、楠ノ瀬さん、ごめんなさい。彼女は病気なの。だから、重い物は運べないのよ」
状況に気付いた担任の先生が慌てた様子で割って入る。
わずかな沈黙。
楠ノ瀬さんは気まずそうな顔をして、次に不機嫌そうな顔になった。
「はあ? 病気? だったらどうして病院に行かないのよ」
「それは、その……」
先生がちらりと私を見た。
それで私は理解した。
自分の病気を隠して、みんなと同じように生活するなんて、叶わぬ願いなんだ、って。
「……楠ノ瀬さん。私、重い病気で、病院に通ってるんだ。だからごめん。重い机を運ぶことは出来ないの。黙っていて……ごめんなさい」
「……なにそれ。だったら先に言いなよ」
楠ノ瀬さんはぼそりと呟いて、他の子と机を持って行ってしまった。
あとから気付いたことだけど、楠ノ瀬さんは優しい子だった。だから、知らずに私に無茶を言ったことに罪悪感を抱き、だからこそぶっきらぼうな物言いになってしまった。
去り際の彼女は、後ろめたそうな顔をしていた。
だけどあのとき、私は申し訳ない気持ちになると同時に、楠ノ瀬さんと一緒に机を運ぶ女の子が羨ましいと思ったんだ。
私も、あんなふうに、みんなと一緒になにかを出来たらいいなって思っていたから。
もちろん、病気の私にとっては儚い夢だった。
でも、私は健康な身体に転生した。起き上がるだけで息が上がるような弱い自分じゃなくて、走ったって平気な――あれ、息苦しい? というか動けない。
嘘、いまの私は健康なはずなのに、どうして――と目を開く。私の視界いっぱいに広がったのは寝間着の生地だった。なにこれと顔を上げると、セシリアの寝顔が見えた。
どうやら、私は抱きしめられているようだ。
「……っていうか、どうしてセシリアが私の部屋に?」
「夜中にいらっしゃったようです」
答えはベッドサイドから返ってきた。もぞもぞと動いて腕の中から抜け出した私が上半身を起こすと、ベッドサイドに侍女のクラウディアがたたずんでいた。
「夜中にって、部屋を間違えでもした?」
「いえ。おそらく、広い部屋で一人で寝ることに慣れていないのかと」
「……そう」
孤児であるヒロインを養子として引き取った子爵。原作の乙女ゲームでは優しい子爵のように描かれていたけれど、その実はビジネスライクでセシリアを養子にしただけだった。
バッドエンドで、セシリアが行方不明になる原因でもある人物。
恐らく子爵家で過ごすセシリアは、あまりよい部屋を与えられていなかったのだろう。そんなことを考えながら寝顔に眼を向けると、セシリアがなにか呟いていた。
「……ねが……ぃ。……捨て、ないで。私、ちゃんとする、から……」
窓から差し込む柔らかな朝陽を受け、セシリアの頬を伝う涙が寂しげに輝いている。家族に愛されようと必死だった前世の自分と、いまのセシリアの姿が重なって胸が苦しくなった。
そのとき、脳裏によぎったのは先日交わしたお父様とのやり取りだ。
セシリアをウィスタリア公爵家の養女にしたのは私の判断だ。お父様から好きにしていいと言われていたから問題にはならなかったけれど、本来ならかなりの大事である。
だから、私は執務室に呼び出され、お父様から釘を刺された。
『ソフィア。養子縁組の手続きが終わり、セシリアは正式に我がウィスタリア家の養女になった』
『ありがとう、お父様』
『うむ。だが、覚えておきなさい。これは、彼女が聖女だからこその措置だ』
『……お父様?』
まさか、レミントン子爵と同じように、聖女じゃなければセシリアを追い出すと、そんなことを言うつもりなのかと悲しみを抱く。
そんな私に対して、お父様は手のひらを突き出してきた。
『落ち着きなさい。なにも聖女じゃなければ追い出すと言っている訳ではない。だが、彼女は聖女としてうちの養子になった。だからこそ、彼女は世間に受け入れられているのだ』
『……あ』
脳裏によぎったのは、カフェテラスへと向かう途中で耳にした陰口。仮にセシリアが聖女じゃないと認識されたなら、セシリアは今以上にあの悪意に晒されることになる。
そのとき、セシリアは深く悲しむことになるだろう。もしかしたら、養子縁組を解除して欲しいと自分から言い出すようなことになるかもしれない。
それは、私にとってすごく嫌な未来。
だけど――
『大丈夫です、お父様。彼女は紛れもなく聖女だし、たとえそうじゃなかったとしても――』
あのとき、お父様に切った啖呵を思い出し、私は眠っているセシリアに手を伸ばした。
「――貴女は私が護るから」
私は家族を絶対に見捨てない。前世で味わったような悲しみを、私の家族に味あわせたりはしない。そんな決意を胸に、セシリアの頬をそっと撫でる。
すると、セシリアの目元がわずかに和らいだ。彼女は意識に私の手に自分の手を重ね、その温もりに安心したのか、穏やかな寝息を立て始めた。
……そうよね。
物語のヒロインだ、聖女だって言っても、まだ十四歳の子供だものね。
「ソフィアお嬢様、どうなさいますか?」
「……そうね。彼女が起きるまでもう少しだけ待つわ」
「かしこまりました。では、食事と着替えの準備を進めておきますね」
クラウディアがそう言って退室する。
私はそれを見送り、セシリアの寝顔に視線を落とした。窓から差し込む朝日を浴びるセシリアのモーヴシルバーの髪がキラキラと輝いている。
それに、睫毛が長い。
さすがヒロインだなぁと見つめていると、その瞳がパチリと開いた。
「……あ、れ? どうして、ソフィア、お姉様……が?」
「おはよう、セシリア。貴女が私のベッドに潜り込んだのよ」
「……ベッドに、潜り……こんだ? ――ふぁ!?」
セシリアがベッドの上で飛び起きた。
「そっ、そうだ! 私、昨日……ご、ごめんなさい! ソフィアお姉様、私、その……っ」
「落ち着きなさい。別に怒ってないから。それに、ほら、髪が乱れているわよ」
解放された私はベッドから起き上がり、セシリアの肩口から零れた髪を背中へと送り出した。それから頬に触れて、涙のあとを拭い取った。
「うん、セシリアは今日も可愛いわね」
「~~~っ。か……っ」
「か?」
「顔を洗ってきます!」
セシリアはものすごい勢いで走り去っていった。
それを見送った私は、戻ってきたクラウディアに手伝ってもらって朝の準備を始める。顔を洗い、服を着替えて食堂に顔を出すと、両親と兄、それにセシリアが揃っていた。
私は挨拶をして、セシリアの隣の席に腰掛けた。
朝のことを引きずっているのか、セシリアは照れくさそうだ。それに気付かない振りをしつつ、パンをちぎってバターを塗っていると、ふと視線を感じた。
顔を上げると、セシリアが私の手元をじぃっと見つめていた。
「セシリア?」
「あ、ごめんなさい。礼儀作法の先生が、貴女のお姉さんはなにをするにも所作が綺麗だから、家でしっかり観察して、参考になさいって言われたので、つい」
「そういうことなら謝る必要はないわよ」
セシリアが見やすいようにゆっくりとパンをちぎる。それを見ながら、セシリアは見よう見まねでパンをちぎり、それにバターを塗り始めた。
下手と言うことはないけれど、たしかに公爵令嬢として見れば未熟かもしれない。そんなことを考えていると、アルノルトお兄様が口を開いた。
「ふむ。タイプの違う美少女が並んでいると絵になるな」
「……お兄様、セシリアを誑かさないでくださいよ?」
乙女ゲームのヒロインと攻略対象の一人。とはいえ、いまは兄と妹でもある。せめて節操は持ってくださいねと釘を刺した。とたん、お兄様は憮然とした顔になる。
「ソフィア、おまえは兄をなんだと思っているんだ?」
「……聞きたいですか?」
コテリと首を傾げると、アルノルトお兄様はやれやれと肩をすくめた。
「セシリア、こんな妹だが仲良くしてやってくれ」
「誰がこんな妹ですか?」
むぅと睨み付けると、セシリアが吹き出すように笑った。
「セシリア?」
「ごめんなさい。さすが兄妹だなって思って」
「……いまのやり取りを見て、どうしてそういう発想に至るのよ?」
憮然と質問すると、「人誑しなところ?」と首を傾げられてしまった。
「……お、お兄様と同類に見られているなんてショック」
「ふっ、端から見ればおまえも人誑しということだな」
「むぅ……」
私が呻くと、セシリアは「二人は仲良し兄妹ですね」と笑う。
そんな彼女と、寝言を口にするセシリアの姿が重なった。声を掛けようとするけれど、そこに使用人の一人が部屋に入ってきた。
「ソフィアお嬢様とセシリアお嬢様にお手紙です」
トレイの上に載せられた封筒には、王家の紋章による封蝋がされていた。王家から、私とセシリアへの手紙。用件の心当たりはそう多くない。
私とセシリアは顔を見合わせて、それぞれ封を切る。透かしが入った上質な便箋に書かれていたのは予想通り、あらたな瘴気溜まりが確認されたというものだった。
「その手紙はもしや……」
お父様の問い掛けに、私はコクリと頷く。
「瘴気溜まりが確認されたそうです。すぐに城に集まるようにとありました」
「そうか。また……浄化に向かうのだな」
お父様が複雑そうな顔をする。
貴族としては、ものすごく名誉なことだ。それは、私やセシリアに対する周囲の反応を見れば分かる。それでも、お父様は私達の心配をしてくれている。
その気遣いが嬉しくて、だからこそ期待に応えたくなる。
「お父様、心配なさらないでください。今回は真の聖女が見つかっていますから、同行する元聖女候補達も、実戦に適した者が抜擢されるはずです」
前回、私達が危機に陥った理由は一つ。誰が本物の聖女か分からず、戦いに不慣れな聖女候補をたくさん連れて行く必要があったことだ。
だが、今回は真の聖女だと明らかになっている。よって、元聖女候補で同行するのは、戦いに同行するだけの気概や能力がある者だけ。それだけでも、護衛のやりやすさは段違いのはずだ。
そう言って微笑めば、お父様はわずかに息を吐いた。
「つまり、そなた達二人が浄化におもむくのはほぼ確実という訳だな。私の立場上、止めることは出来ないが……決して無理をするな」
「ええ、もちろん」
私も、この幸せな日々を失いたくない。だからこそがんばると、食事を終えて席を立つ。すると、アルノルトお兄様がセシリアのまえに立った。
「……アルノルトお兄様?」
「おまえも妹だからな。スノーホワイト家に頼んで融通してもらった」
お兄様が取り出したのは、美しい彫金が施されたネックレス。台座には、無色の魔石が飾られている。これは、私が前回の遠征時にもらったネックレスと同じ品だ。
ただし、よく見ると台座のところに使われている金属の色が違う。
「これは、もしや?」
「ああ。自らの魔力をチャージできる魔石だ。聖女のおまえには必要のない代物かもしれないが、結界の魔導具としても使えるので、お守りとして持っておくといい」
「ありがとうございます、お兄様!」
セシリアは満面の笑顔になって、自らの手でネックレスを首に掛けた。お兄様は自分の手でつけるつもりだったのだろう。セシリアが自分で首に掛けたのを見て苦笑している。
それを微笑ましく見守っていると、お母様が私のまえに立った。
「ソフィア。貴女はセシリアを義妹に迎えると言いました。ならば姉として、そして聖女を守る者として、セシリアを守り通しなさい」
「はい、お母様。必ずセシリアを護り、瘴気溜まりを浄化して参ります」
「ええ。そして、貴女も無事に帰ってくるのよ」
お母様にギュッと抱きしめられた。その温もりに、私はなんだか泣きそうになってしまう。そんな内心を隠しながら、私は「はい」と元気よく頷いた。
――そうして身支度を終えたあと、私とセシリアは馬車に乗って王城へと向かう。
朝陽の降り注ぐ表通りを馬車が走る。その揺れに身を任せていると、シートに身を預けていたセシリアが、胸元のネックレスを摘まみ上げた。
「……セシリア、そのネックレス、気に入った?」
「もちろん! お姉様とおそろいで嬉しいです」
「あぁ、そっちなのね」
お兄様と結ばれるルートに入った訳ではないらしいと苦笑する。
「……そっち、ですか?」
セシリアがキョトンとした顔をするけれど、私はなんでもないと首を横に振った。すると、自分の胸元に飾られていたネックレスが揺れる。
セシリアが、目聡くそれを見つけた。
「ソフィアお姉様のネックレスの魔石に込められている魔力って……」
「あぁこれ? 貴女が込めた魔力よ」
前回、真の聖女を選定するときにセシリアが魔力を込めてそのままだ。だから、いまの魔石は聖女の魔力で金色に輝いている。
「貴女も魔石に魔力を込めておきなさい。浄化に使うことはないでしょうけど、結界の魔導具として役に立つこともあるはずだから」
「ええ、そう、なんですけど……」
ちらりと、セシリアが私を見つめる。
彼女の青い瞳がおそろいがいいと訴えていて、それに気付いた私は思わず苦笑する。
「私が魔力を込めてあげましょうか?」
「いいんですか? お願いします!」
無邪気なセシリアが可愛らしい。
私は苦笑しつつ、立ち上がって身を乗り出し、セシリアがもたれるシートに片手を突く。そうしてもう片方のでネックレスに触れ、魔石に魔力を流し込んだ。
「はい、これで大丈夫よ」
そう言って座り直すと、セシリアは「ありがとうございます!」と満面の笑みを浮かべる。
私の義妹はやっぱり可愛らしい。
優しい両親と兄妹。それに私にとっては初めての友人達。前世ではどんなに望んでも手に入れられなかった幸せがここにある。
私は、この幸せを失いたくない。
今回の瘴気溜まりを浄化するときにセシリアが真の聖女だと世に知らしめることが出来れば、私の願う未来がぐっと近付くだろう。
だから、セシリアと共に瘴気溜まりを浄化して、この幸せを守り抜こうと心に誓った。




