プロローグ
今日投稿した新作、『お隣さんはもういらない! ~陸の孤島の令嬢が、冷暖房完備の詫びダンジョンで箱庭無双を始めるようですよ?~』もよろしくお願いします!
ルミナリア教団の神殿で正式に聖女が公表されてから少し――瘴気溜まりを浄化した戦いで傷付いた人々が回復する程度の時間が過ぎた。
そんなある日の昼下がり。
私は義妹として迎え入れたセシリアと、カフェを目指して学院のキャンパスを歩いていた。
「ソフィアお姉様、授業でワルツを習ったのですが、パートナーのリードに合わせて踊るのがとても難しくて……優雅に踊るにはどうしたらいいですか?」
隣を歩くセシリアが問い掛けてくる。彼女のモーヴシルバーの髪が風になびき、陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
さすが乙女ゲームのヒロインと言うだけあって、セシリアは今日も可愛らしい。
「セシリアなら、ダンスホールに立っているだけで国中の殿方の目を惹けるわよ?」
「それじゃ意味ありません。私はお姉様みたいに優雅に踊りたいんです!」
軽口に対し、予想以上に可愛らしい答えが返ってきた。出会ったころから私を慕ってくれていたけれど、ウィスタリア公爵家の養子にしてからはその傾向が強くなった。
私も立派な姉として振る舞うべく、少しだけ真面目に考える。
「そうね。焦って自分から動かず、リードを信じて足を運ぶことよ。背筋を伸ばして、視線は相手の肩の向こうあたりに。緩急を付けつつ、床を滑るように動くと優雅に見えるわ」
「緩急、ですか?」
セシリアがコテリと首を傾けた。
「たとえば……手に大きな重りを持って動かすところを想像してみて? 動き出しはゆっくりで、加速して、最後はぎゅっと止まるでしょ?」
「ええっと……あぁ、たしかにそうなりますね」
「その動きが人の眼には滑らかに――つまり優雅に映るのよ」
「そういうものなんですか?」
セシリアは唇に指先を添えて考え始めた。どうやらピンときていないようだ。
「うぅん、逆なら分かるかしら? 緊張してぎこちない動きをする人を見たことない? まるで操り人形みたいで、滑稽でしょう?」
「ええっと……それは、最初の授業でワルツを踊ったときの私のことでしょうか?」
セシリアが憮然とした顔になる。
私はクラスが違うので見ていないのだけれど、先生にそんなふうに言われたらしい。操り人形のような動きをするセシリアを思い浮かべ、私は思わず吐息を零した。
「あ~、笑いましたね?」
セシリアがふくれっ面になる。私は開いた扇で口元を隠して「ごめんなさい」と謝るが、肩が震えているのが分かるからか、セシリアはついにジト目になった。
これはまずいと、私は姉の威厳を取り戻そうと背筋を正す。
「分かった。リードを感じるコツを教えてあげるから許して」
「……ホントですか?」
「ホントよ」
私はセシリアの腰に手を添えて、もう片方の手でセシリアの白くてすべすべの手を掴む。学院の並木道、私達はリードアンドフォローの態勢で見つめ合う。
「ソフィアお姉様?」
「大丈夫、私のリードに任せなさい。ほら――いち、に、さん! そのまま――そう、流れるように進んで……はい、ここでギュッと止まる!」
軽く手を引いて、セシリアをクルリと回転させた。モーヴシルバーの髪がふわりと広がり、木漏れ日を受けてキラキラと輝いている。
でも、セシリアの青い瞳は驚きに見開かれていた。
「お、お姉様!?」
「ほら、いま踏み出した流れを感じて――そう、そうよ、その調子。いち、に、次は、ダブルターニングロックからの、スローアウェイオーバースウェイよ」
「し、知らない。そんなステップ、授業で習ってません!」
悲鳴を上げるけれど、セシリアは私のリードに振り回されながらもステップを踏む。私はセシリアの腕を引いて、ピタッと止まって決めのピクチャーポーズを取った。
「――ほら、スムーズに踊れたでしょ? いまのがリードに身を任せた踊り方よ」
そう言って笑いかけると、さっきまで驚きに染まっていたセシリアの青い瞳がキラリと光った。
「す、すごいです。私、最後のステップなんて全然分からなかったのに! どうして? どうして急に、リードに合わせて踊れるようになったんですか?」
「きっとセシリアはあれこれ考えすぎるのね」
なんて、これは原作知識だ。真面目なセシリアはきちんとステップを覚えた――結果、あれこれ考えすぎて、相手に合わせる余裕がなくなっている。
本来は、私と同じくらいハイスペックなのに。
だから、考える余裕をなくせば自然に踊れると思ったのだ。
「すごいです。もっと教えてください!」
セシリアが期待に満ちた眼差しを向けてくる――けれど、いまは待ち合わせがある。
「みんなが待ってるから、続きは帰ってからね」
「約束ですよ?」
「ええ、いいわよ」
「じゃあ、早く行きましょう!」
セシリアはそう言って軽やかな足取りで先行を始める。
私はその後を追いながら、キャンパスの景色に目を向ける。優しい色で整えられた並木道。それは学院の正門へと続く道。私は、この道の片隅でセシリアと出会った。
入学式の直後、セシリアがアナスタシアに叱られているところに出くわしたのだ。あのときは、セシリアを義妹にすることはもちろん、アナスタシアと仲良くなるなんて思っていなかった。
この短期間で色々とあったなぁと、そんなことを考えながらセシリアの後を追っていると、少し前を歩いていたセシリアが不意に足を止めた。
どうしたんだろうと歩み寄った私の耳に、女の子達の話し声が聞こえてくる。
学院内だから、生徒の話し声が聞こえてくること自体は珍しくない。それでも気になったのは、そこがセシリアと出会った場所であり、聞こえてくる声がセシリアの名前を呼んだからだ。
「セシリアが本物の聖女って話、本当だと思いますか?」
「ルミナリア教団はそう発表なさったのでしょう?」
「でも、瘴気溜まりを浄化したのはソフィア様なのよ?」
「たしかに、そうですね。じゃあセシリアは、ソフィア様を護るためのスケープゴートとかではないかしら? それなら、辻褄が合いますわ」
「ああ……あり得ますわね」
――聞こえてきたのはそんな話だった。
ここは乙女ゲームを元にした世界で、ヒロインである聖女がセシリアなのは間違いない。
だけど、聖女にしか出来ないはずのことを、悪役令嬢であるはずの私が成し遂げてしまった。それによって原作ストーリーがねじ曲がり、私が聖女だという噂が立ってしまう。
最終的には、セシリアが真の聖女だと説明することで誤解は解けた。けれど、いま噂しているように、裏を読もうとする者も少なくはない。
本当なら、セシリアが称賛されるはずだったのに、私がその栄光を奪ってしまった。
「……たださなきゃ」
私はぐっと拳を握りしめながら、角の向こうへと足を踏み出した――けれど、その腕をセシリアに掴まれる。
「……セシリア?」
「いいんです。私がなにもしてないのは事実だから」
「そんなことはないわ。貴女は――」
セシリアは胸のまえで拳を握り、ゆっくりと、けれどはっきりと首を横に振った。
……あぁそっか。
セシリアは聖女と認められないことより、事を荒立てる方が嫌なんだ。それを理解した私は肩の力を抜いて、それからセシリアの手を取った。
「……ソフィアお姉様?」
「カフェに行きましょう。みんな待ってるわ」
私はぎこちなく微笑んで、セシリアを連れて友人のもとへと足を進めた。そうしてやってきたのはキャンパスの片隅、建物の二階にあるカフェテラス。
その真ん中にある丸テーブルを囲う席には、王太子であるシリル様やその弟のウォルフ様、それに二人の幼なじみにして騎士団長の娘、アイリスが揃っていた。
原作のスチルでありそうな素敵な空間が広がっていた。私はその中に自分が混じっているとことを実感しつつ、「皆さん、お待たせしてすみません」と挨拶をする。
「いや、私達もいま来たところだが……なにかあったのか?」
シリル様がその青い瞳で私とセシリアを見比べてそんなことを言った。顔に出さないようにしていたつもりだけど、どうやらシリル様には見破られてしまったみたいだ。
「まぁ……少しだけ」
「……そうか」
シリル様はそれだけ口にして、深くは追求してこない。だけど同時に、みんなから私を心配している様子が伝わってきた。私は小さく息を吐き、それからふっと微笑んだ。
「……紅茶を飲みながらでもかまいませんか?」
「そうだな。まずは注文をしよう」
シリル様がそう言うと、アイリスがウェイトレスを呼ぶ。
どうやら、注文もせずに私達が来るのを待っていてくれたようだ。王族を待たせてしまって申し訳ないという気持ちと、待っていてくれて嬉しいという想いが混ざって複雑な気持ちになる。
私は無意識に髪飾り――シリル様からのプレゼントに触れた。シリル様がちらりとそれを見て、その青い瞳を細めて微笑む。
なんか、色々と見透かされているようで恥ずかしい。
「シリル様ってスマートですよね」
ぽつりと呟くと、「ソフィアにそう思われているなら光栄だな」と余裕の答えが返ってくる。
ほら、やっぱりスマートだ。さすが、攻略対象の筆頭だよね。
シリル様になら、セシリアを安心して任せられるよ――と私は笑みを浮かべた。だけど、ウォルフ様がなにか言いたげな顔で私とシリル様を見比べていた。
「……どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもない」
「……そうですか?」
コテリと首を傾げる――と、隣に座っていたセシリアが私の頭を自分の胸元に抱き寄せた。それから、私の頭を撫でてくる。
「……セシリア、なにしてるの?」
「乙女なお姉様は可愛いなぁと思って。撫でていいですか?」
「撫でるまえに聞きなさい。ダメに決まって――」
「セシリア様、私も同意見です!」
私の声に被さるようにアイリスが黄色い声を上げた。セシリアもセシリアで、「わかりますよね!」となにやら意気投合をしている。
というか、セシリアは自分が姉だと誤解してない?
義理とはいえ、私がお姉ちゃんなのよ? と言うかまずは私の頭を解放なさい。
「ねぇ、セシリア――」
セシリアの腕の中から抜け出した。
だけど、そうして見上げたセシリアの顔がさっきよりも明るくて、私は仕方ないなぁと、撫でられるのに身を任せることにした。
私の方が、お姉ちゃんだから優しくしてあげないとね。
私の方がお姉ちゃんだから!
――とまぁ、そんな他愛もない話に花を咲かせる。
しばらくして全員の注文が届き、いただきますとケーキをフォークで切り分ける。食が少し進んだころに、シリル様が「それで?」と話を促してきた。
私はフォークを置いて、「実は――」とさっき噂話を耳にしたことを打ち明ける。
「……なるほど、セシリアがソフィアの隠れ蓑と思われている訳か。残念だが、そう思われるのは無理からぬことだろう。実際、瘴気溜まりを浄化したのはソフィアなのだから」
「それは、そうなのですが……」
シリル様にまでそんなふうに言われて悲しくなる。
「ソフィア、そなたはなぜそのような些末なことに拘る?」
「些末、ですか?」
「セシリアが聖女であることは父上やルミナリア教団が認めている。いずれ第二、第三の瘴気溜まりが発生すれば、彼女が本物であることは否応もなく証明されるだろう」
「それは……」
言われてみればその通りだ。
重要人物は、セシリアが聖女だと認めている。つまり、オラキュラ様に忠告された、セシリアが聖女として認められなければ世界が滅ぶという点については既に解決している。
原作乙女ゲームのバッドエンドからは確実に遠ざかっている。なら、私はどうしてこんなに気にしているんだろう?
……あぁ、そっか。
私は、セシリアの手柄を奪ったみたいな自分が嫌なんだ。だとしたら、これはセシリアの問題ではなく、自分自身の気持ちの問題だ。
「……その顔、なにか吹っ切れたみたいだな?」
「はい。どうやら私は、妹の手柄を横取りしてしまったことを悔いていたようです」
シリル様に思いの丈を打ち明ける。
その瞬間「それは違います!」とセシリアが声を荒らげた。
「……セシリア?」
「ソフィアお姉様の働きがなければ、私はあのとき死んじゃってました。それに、レミントン子爵家から追い出された私を温かく迎えてくださったのもお姉様です。私はそれをすごく感謝しているんです。なのに、手柄を横取りだなんて、そんな悲しいことを言わないでください」
ヒロインにふさわしい整った顔に強い意思が滲んでいる。強い光を秘めた青い瞳が私を捕らえて放さない。カフェテラスに強い風が吹き、セシリアのモーヴシルバーの髪をなびかせた。
私が最初にセシリアを助けたのは、彼女が聖女にならなければ世界が滅ぶとオラキュラ様に指摘されていたからだ。そうじゃなければ、私は関わろうとしなかっただろう。
当初の私は、乙女ゲームの登場人物達と積極的に関わろうと思っていなかったから。
前世の私は重い病気で走ることも出来ず、家族の愛に飢えたまま死んでしまった。だから、世界が滅ばない程度に干渉して、私自身は自由に好きに生きるつもりだった。
でも、そうして自由を目指す上で、私はみんなと仲良くなった。ゲームではなく現実となった世界、セシリアの人となりに触れて、私は彼女を護ってあげたいと思うようになった。
だから――
「セシリア。私が貴女を受け入れたのは、貴女が聖女だからじゃない。貴女のことが好きだからよ。だから姉として、貴女の手柄を奪ったことを後ろめたく思っているの」
「……ソフィア、お姉様?」
想像もしていなかった言葉を突きつけられたかのように。セシリアの瞳が大きく揺れた。
「だから、ね? その過去は変えられないけれど、これからは貴女が正当に評価されて欲しいと思ってる。そのうえで、もしなにかあれば、姉の私が貴女を護るから」
微笑みかける――けれど、反応がどこからも返ってこない。
セシリアは驚きと戸惑いが入り混じったような顔で、唇を震わせていた。ウォルフ様とアイリスは「うわぁ……」と呟いていて、シリル様はなにやら複雑そうな顔をしている。
「私、なにか変なことを言った? ……セシリア?」
声を掛けると、セシリアの身体がビクンと震えた。その顔が真っ赤に染まっている。彼女は軽く握った手で口元を隠して、「……お姉様の人誑し」と恨めしそうに呟いた。
「……シリル兄さん、これは苦労するぞ」
「まあ、それがソフィアの魅力だからな」
「分かります! 無自覚なところが可愛いですよね」
ウォルフ様とシリル様とアイリスがなにやら話している。
よく分からないけれど、私はこの優しい空気が嫌いじゃない。
健康な身体と親しい友人、それに優しい家族。
前世ではどれだけ望んでも手に入らなかった幸せがここにある。
あとはこの幸せを噛みしめながらのんびり暮らしていければいいなと心から思っていた。けれど私は知っている。この世界の嵐はまだ原作の序章に過ぎないという事実を。
――そして、ほんの数日後に私の予感は現実のものとなった。城からの急報で、新たな瘴気溜まりが発見されたという、避けられぬ現実が突きつけられたのだ。
お読みいただきありがとうございます。
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ちなみに特典は8種類、オーバーラップのポストで紹介されています。
>明日辺り、活動報告にもリンクを張ります。
また、二章は毎日投稿を予定しています。面白かった、続きが楽しみなど思っていただけましたら、ブックマークや評価、まだの人はポチッとしていただけると嬉しいです!
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