【2】①
翌朝、稜司からの通話着信に迷いはしたが、このまま永遠に先延ばしになどできない。
敢えて頭を空にして、美紀はスマートフォンの応答ボタンに触れた。
『美紀、昨夜はどうしたんだよ! いきなり帰っちまって──』
繋がるなり、名乗りもしない稜司に問い詰められる。
「──稜司。何か私に言うことない?」
許せない気持ちはあるが、できれば自分から打ち明けて謝って欲しかった。そうすればどうにか元通りになれる気がしたのだ。
しかし稜司にはそんなつもりもないらしい。
『何、って? いや、何言ってんの!? 全然わかんねえよ。そういう「察してよ」って俺嫌いなんだよ。知ってるだろ?』
もちろん知っている。
そして美紀も、自分からは何も言わずに相手に求めるだけのような振る舞いは好きではなかった。
しかし今回に限っては、こちらから丁寧に説明する謂れはないとも思っている。
「そう。いいわ、わかった」
短く告げると、断ち切るように通話ボタンをオフにした。
このまま一人で家にいたら煮詰まって、思考が悪い方向に行ってしまいそうだ。
少し迷って、美紀は親友の麻里佳にメッセージを送る。待つほどもなく彼女からの返信が来て、急遽外で会うことになった。
「美紀、どうかした?」
待ち合わせたカフェで顔を合わせるなり、彼女は心配そうに声を掛けて来る。
いきなり「会いたい」と言い出したこともあって、美紀の様子になにか感じ取ったらしい。
一人で抱えているのが重く、彼女に相談してみようと思ったのだ。
麻里佳はずっと美紀の味方であり、正直な意見をくれる存在だからだ。
「麻里佳。私、もうどうすればいいのかわからないの。まさか稜司が浮気なんて……」
小さなテーブルを挟んで、スマートフォンの証拠画像を示しながら彼女に事情を話すうちに、勝手に涙が溢れて来た。
麻里佳は無言でバッグからミニタオルを取り出し、美紀に渡して来る。優しい眼差しで美紀の心に寄り添ってくれる親友。
「……そっか。あたしも河野くんが浮気するなんて思ってなかったな。でもこのメッセージ、具体的なこと言ってないし『絶対浮気だ!』って決めつけられないとしても、ただの後輩とは思えないね」
美紀が少し落ち着いたのを見計らって口を開いた麻里佳の言葉に力づけられた気がした。
「うん。ありがと、麻里佳」
もしこの友人に「そんなの気のせいじゃない? 悪く取りすぎ!」と断じられたら、きっと自分の感覚を信じられなくなっただろう。
もしかしたらその方が二人の関係にはよかったのか。このまま「何もなかった」ことにすれば、稜司もすぐに美紀のもとに戻って来るのかもしれない。
けれど一度疑いを持ってしまったら、たとえ今無理やり納得したとしてもどこかで綻びが出そうな不安が拭えなかった。
「このまま平気で付き合ってくなんてできない。でも、……私は稜司のことまだ好きなの」
「それは美紀が自分で決めることだよ。あたしが『そんな男とは別れな!』って指図することじゃないから」
穏やかな声で麻里佳が宥めるように話す。
「もし美紀に迷う気持ちがあるなら、──一回だけチャンスをあげるって見方もあるよ」
「チャンス……?」
親友の言葉の意味が理解できずに訊き返した美紀に、彼女は相変わらず冷静に続けた。
「正直あたしなら、浮気した時点でもうそんな男とはやって行けない。でもそれは『あたしの感覚』で、美紀がまだ好きで別れたくないならそれが悪いなんて思わないよ。──とりあえず河野くんにもう一度はっきり訊いてみて、その反応で判断するんでもいいんじゃない?」
すんなり認めて謝るならまだ見込みあるかもね、と呟く麻里佳。
「でもそこで往生際悪く誤魔化すようなら、それはもう美紀のこと舐めてバカにしてるってことだとあたしは思うよ」
「そう、よね。あ、でも、……スマホ見たなんて言ったら怒っちゃうかも」
美紀の側にも負い目がある、と口にすると、目の前の親友はやはり頼もしかった。
「それは言わなくていいよ。証拠がなければ言い逃れできる、って態度ならその程度の男ってことでしょ。美紀の『彼女のカン』だけでもいいんじゃない?」
そうかもしれない。
もう美紀は稜司の裏切りを確信している。問題は彼がどう答えるか。
真実を知るのは辛いが、だからといって逃げるわけにはいかないのだ。
彼女の言葉に勇気をもらい、美紀は恋人に最後のチャンスを与えることを決意する。
麻里佳が見守る前で、稜司にメッセージを送って呼び出した。
稜司の方も昨夜のことが気に掛かっていたからか、美紀の要請にすんなりと応じる。
別のカフェで落ち合うことにして、親友に一時の別れを告げて美紀は席を立った。