表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
fランク大学脱出  作者: アプリコットジャム大学
1/2

私は私の人生を生きる

この話はフィクションです。しかし、この話は私が歩まなかったもう一つの人生です。思い描いた路に勧めず、それでも人生を切り開こうとする主人公。夢は叶うと言われますが、住んでいる地域や養育者の考え方によって、人生は左右されます。そんな現実を描きました。

私は中学受験の塾に通っていたが、周りのレベルが高く挫折した。勿論中学受験もしなかった。考えればその時から親は私に期待するのを辞めたのだろう。かつて天才と呼ばれた少女は無気力なfラン大学生へと成長していた。私は毎日行きたくもない大学に行っている。単位をできるだけ取り、一般教養科目は2年次配当科目も詰め込んだ。興味ある科目は同じ学内の他学課や短大の科目も履修している。全部親が悪い。全部親が。。私はある決意を胸に秘め、つまらない日々を過ごしていた。私は今日も図書館で人生を振り返っている。私は受験する高校を決める時、教師や周りの人からは遠くにある公立校や大学の付属校などの受験を提案されたが、私は家から近い公立の普通科に進んだ。専門学科とは異なり、普通科で学べる内容にはあまり違いがないので、レベルや知名度から学校を選ぶのではなく、確実に卒業できる学校を選んだのである。私には勉強に苦手意識があった。中学受験から逃げた私は、劣等感の塊であった。だから模試では良い点数が取れるのに、自分は無能で、高校を卒業できないのではないかという思い込みに支配されていた。私が進学したのは昼間に勉強を行う、学年制の高校であった。学校の勉強を全くしない、いわゆるノー勉で定期試験に挑んでいたため、定期試験の成績は悪かったが、赤点は回避できた。後述するが、私は忙しい部活に入らなかったし学校の行事にも消極的であった。ただ、体調不良でない限り学校だけは休まなかった。学校生活も楽しくなかったが、普通科時代の私は進路のことで悩み続けていたため、楽しい学校生活なんて興味がなかった。私は文系の人間だった。将来は歴史学の研究をしたいと考えており、妥協しても観光学か文学、法学を学びたいと考えていた。私の住んでいる地域は大学数が少なかったが、受験期までそんなことは一度も気にしなかった。しかし普通科進学後、親から出された進学の条件は、私の家から近く、且つ私の実力よりも偏差値が低い大学か短大に行くことだった。親の出した条件に当てはまる大学や短大には、歴史学や文学、観光学や法学について学べる学科やコースがなかったし、全て無名大学・無名短大だった。私としては、学びたいことがあるなら短大や専門学校でも良かったし、大学のネームバリューも気にしないが、学びたくもない分野の無名な大学や短大に行くなんて時間や金の無駄遣いとしか思えなかった。向いていない分野の学位記なんて私には必要ないし、そういう大学に大金を納めて通ったり、苦手なことの学習に時間を使うのが無価値なことだと信じているからである。人間には向き不向きがある。勿論向いていない分野の勉強に耐えられる人もいるとは思うが、受験勉強で苦手な科目に取り組むのとは異なり、学んだ証が様々な形で残ることに、多くの人は気づいていない。殆どの場合好きではない学問の名前が学位の専攻分野として付記され、成績証明書や単位取得証明書には苦手な分野の科目名がずらりと並ぶ。私は普通科在学中からそれらのことを知っていたので、いくら偏差値の高い大学であっても、自分の興味のない学科には進まないと決めていた。一方で無名な大学であっても、その大学で好きなことが学べるなら、私はそこに進むつもりだった。しかし自宅近くには私の学びたいことを学べる無名大学や無名短大がなかった。私も一人で生活したくなかったし、毎日長距離通学したくなかったので、遠くの大学や短大に行きたいとは思わなかった。遠くの学校に行かないということは親と意見が一致したが、親は実力相応の学校に進学したら、講義についていけないだろうと言って譲らなかった。その頃、親は私の学力に失望し、中学受験への情熱が嘘のように、医学部医学課を目指さないなら受験勉強はするだけ無駄、どこの大学で何を学ぼうが大卒は大卒、医学部医学科以外は全部同じ、文系なら資格を取れる大学や短大に進学するのが良いというようになっていた。私は義務教育後の進路選択では、普通科ならどこでも同じようなことが学べるので、家から近く、勉強も楽な所に進学したが、大学で何を学ぶかは重要だと思っていた。私の家の近くには歴史学を学べる大学が1校しかなかった。その大学はそれなりの難易度があり、私の学力では真剣に受験勉強しなければ不合格になるレベルの大学だった。しかし、学費や自宅からの距離、大学の知名度、教員の業績、取得できる学位の名称など全てが理想的だと思えたので、私はその大学を受験したいと思った。少しでもそのことを話すと、親は歴史学科への進学に反対し、、A大学子ども福祉学科やb大学心理学課への進学を勧めた。それらの大学は歴史を学べる大学よりも自宅に近く、私が自由に使える時間は多そうだったが、私立のため学費は高かった。私は子どもが苦手だったし、福祉にも興味がなく、そういう実習に耐えられると思えなかった。その大学の大学名も好きになれなかった。一方、心理学には多少興味があったので、絶対にやりたくない学問ではなかった。b大学の心理学科では中学社会と高校公民の教員免許を取れたので、親からは中学の教員になれば歴史に関わる仕事ができるじゃないかと言われたが、歴史学の方法論を学んで中学の教員になるのと、他の分野を学んで教員免許を取るのは全く意味が異なる。それに、私は数学が苦手で必修科目の心理統計の単位を取る自信がなかった。仮に卒業できたとしても、心理の学科がある大学は、どこにあるのか大学名から判断できず、知名度も低かったから卒業後他人から笑われそうだと思った。しかもそれらの大学で得られる学位は、教育学とか社会福祉学とか心理学といったものではなく、他人様に見せられないような珍名だった。私は親に、興味がないことを4年間も学ぶために、親の金や自分がアルバイトで貯めた金を使いたくないと言ったが、勉強を頑張って特待生として合格すれば良いと言われた。また、実力よりも下の大学に行けば、良い成績で卒業できるとも言われた。私は特待生になるためだけに今まで親に勉強をさせられていたのか、4年という貴重な時間を興味のないことを学ぶために使わなければならないのかと思うと、自分の人生って何なのか、私が存在する意味は何なんだろうかと考えてしまった。次に親はa大学に併設された短大の家政学課か介護福祉学科への進学を勧めた。確かに短大なら、2年間我慢すれば良いだけだし、できるだけ好きな科目を取るという工夫をすれば、少しは生活が楽しくなるかもしれない。また短大なら特待生になれなくても国公立と同じくらいの学費で卒業できる。しかし家政学の学位が取れる学科は自由度が高いカリキュラムだったので2年間我慢できそうな気もしたが、短大名が好きになれず家政学の学位も欲しくなかった。社会福祉学の学位が取れる学科は、私が苦手な介護分野だったし、短大名もダサいと感じたので余計行きたくなかった。私は介護に限らず、他人の体に触れることが苦手だ。社会福祉士の実習も難しいのに、介護福祉士の勉強や実習は私には絶対向かない。自宅から近いということを除いて、私は親が勧める大学や短大を好きになれなかった。知名度や取得できる学位や教員の業績など、全てが私の人生にマイナスだと思えた。そのためそれらの大学や短大に入ったらもう脱出はできないと信じ、絶望した。私には親の勧める大学や短大に進学するだけの学力が十分備わっていた。そのため、勉強へのモチベがなくなり、私は毎日ゲームをしたり、風呂を満喫したり、惰眠を貪るようになった。その時は大学受験から逃げたい気持ちが強く、普通科は卒業できるんだしもう大学に行かなくてもいいやと思ったり、やっぱり本心を伝えて志望大学への進学を認めてもらいたいから勉強しなきゃと思ったりしていたので、ゲームや風呂は私の心の安らぎに必要だったのだ。せめてもの反発として、模試の志望校欄は全て、歴史を学べる自宅近くの大学や近隣県にある大学の歴史系学科の名前で埋めた。歴史が学べる大学のパンフを、県外の大学を含めて何校も取り寄せて親に見せた。しかし親の気持ちは変わらなかった。そしてある日、私は、親に歴史を大学で学ぶことを諦め親の勧める大学か短大に進学し、適当に通って卒業すると伝えた。、私は親の希望に従い、親孝行な子ども、夢を諦めた可哀想な子どもを演じることで、自分の気持ちを保とうとしたのである。親は喜んで、行かせたい大学や短大のパンフレットを見せたり、学園祭に参加させたりした。しかしオープンキャンパスに参加しても、学食が美味しいとか大学グッズまでもらえてお得だとしか思えず、親が勧める大学や短大の学びに興味を持つことはなかった。どうしても、私は自分で取り寄せた歴史が学べる大学のパンフレットを捨てられなかった。模試の志望校欄にも親が勧める大学や短大の名前を書く気にはなれず、歴史の学科は書かなくなったが、自分の実力を知るためという理由で、家から遠く自分の学力では入れそうにもない国公立大学の学部を適当に書き続けた。その頃は何もかもに無気力になり、ゲームや風呂を楽しむことすらしなくなっていた。私は、普通科の2年に上がるタイミングで、音楽関係の部活からコンピュータ関係の部活(以下パソコン部)に転部した。私は義務教育の時、音楽関係の部活に所属しており、受験を終えてもそういう部活に入るものだと思っていた。私は音楽が一番得意で、逆に言えば他にできそうなことがなかったからだ。そのため普通科入学後、迷わず音楽関係の部活に入部した。私の通っていた学校では、部活に入らなければならない決まりになっていたので、何の部活にも入らないという選択肢は与えられなかった。音楽は好きだったが、音楽中心の生活をしたいとは思っていなかったし、音楽関係の仕事をしたいとも考えてはいなかったので、何もかもに無気力な私は貴重な時間を練習や発表に使いたくないと思うようになったのである。パソコンと言っても、何か難しいことをするのではなく、週に一度か二度、1時間程、パソコンの基本的な操作や文書作成の練習をする部活動であった。部活の仲間も優しくしてくれ、顧問の先生方も熱心に指導してくれたが、私は一人意味の分からないことを考えていた。私は、練習や演奏会で忙しく、生活に活かせそうにもない音楽部ではなく、パソコン部に入って社会に出た時に役立つ文書作成の技術を身につけている自分を自画自賛し、、大学生活もこんな感じに自分の学びたいことを諦めても楽しくやれるはずだと言い聞かせていたのである。今から考えればあの時の私は真剣に部活に取り組む仲間や先生方に失礼なことを考えていたと思う。実際、私はパソコンよりも音楽の方が好きだったが、自画自賛のおかげか、自由な時間が増えたからか、私は音楽関係の部活を辞めたことを後悔することはなく、パソコン部を普通科卒業まで続けた。しかし歴史を学ぶことは諦められなかった。普通科2年の時、大学のオーキャンに参加して感想を書くという宿題が出された。どうしても歴史以外のことに興味を持てなかった私は、親が勧める大学や短大を見学しても、オーキャンの感想が書ける気がしなかった。そこで私は親に、歴史の学科に進学する気はなくなったから、思い出としてオーキャンだけ行かせて欲しいと頼んだ。歴史の学科への進学は諦めたものと思っていたのか、親はオーキャンへの参加をすんなり認めてくれた。オーキャンに参加し、歴史を学びたいという気持ちはますます強くなった。妥協して大学には行かないぞと思った。しかし自宅から通える距離には医療系の専門学校しかなく、私の学びたい分野ではなかったし、文系人間の私が卒業できるとは思えなかったので辞めた。それなら高卒で就職すると言っても、母は聞き入れてくれなかった。在学している高校は普通課だが、就職する生徒も多かった。担任は「歴史学科に進ませてあげるか高卒で就職させてあげたらどうですか?」と言ってくれたが、「じゃあ貴方がこの子の将来の責任をとれるんですか?視覚が取れる大学に行かないと将来この子は一人で生きれません。先生はこの子が働けなくなったら養ってくれるんですか?私は責任ある親ですから、歴史学科の学費は出しません。勿論奨学金も借りさせませんからね。」と言って一蹴した。ある日担任が私に言った。「君がお母様の望む大学か短大に行って、中退してしまわないか心配だ。諦めるなよ。」。その時私は思った。「そうだ。取りあえず母が望む大学に進んで、一般教養の単位だけ取って中退しよう。そして自分の学びたい分野の大学に編入すればいい。通学制の大学は学費がかかるけど、通信制大学に編入すれば自分で学費を賄える。通信制大学は卒業が難しいと聞くが、1年から通信制大学に進学するよりは編入の方が卒業難易度は下がるだろう。」。私は通信制大学や母の勧める大学のカリキュラムを調べ始めた。学びたくない学科で少しでも興味ある科目が取れるように、科目選択の範囲が広い方が良い。一般教養の科目をできるだけ取る、専門の科目は少しでも興味のある科目だけ取る、併設された短大の科目を取る、他学科の興味ある科目を取る、語学は第3言語や上級科目まで取る等必死で単位をかき集めよう。他学科や短大の科目は卒業要件に参入されない場合が多いが、通信制大学はとにかく単位の数が重要である。そして単位が一括認定される通信制大学を比較し、選んだ大学の学費を全て払える程金を貯めよう。その時私はこう決意した。私は3年になってやっと、親と先生に、子ども福祉学科に進むと伝えた。「本当にそれでいいのか?後悔するぞ。」先生は何度もそう言った。先生は家庭の事情で進学できず、働きながら夜間の学部に通って教師になった人だ。私の気持ちは誰よりも分かってくれていた。しかし子ども福祉学科への進学は、先生に驚かれたものの、自分で決めたと言って押し切った。先生は勿論友人にも編入作戦のことは言わなかった。成績は赤点ぎりぎりだったが、留年することなく普通科を無事に3年間で卒業し、同時期に親が勧める大学に合格した。大学をすんなり中退できるよう、高校に迷惑をかけないよう、一般入試で受験した。しかし正直なところ、筆記試験だけで合格したいという気持ちが強かった。面接を受ければ本心に背いて話さなければならない。自分に嘘をつくことになる。私にはそれが耐えられなかった。合格通知は金を振り込んだ後捨てた。母は合格祝いをしてくれたが、全く嬉しいと思わなかった。この頃から私は笑わなくなった。かくして私はこの大学に入学した。偏差値も知名度も学科名も学費も、私はこの大学の全てが好きになれなかった。入学式は出席せず、履修ガイダンスから大学に行った。時間割を組む時、最初から履修登録されている学科の必修科目(子ども福祉基礎)、体育実技、英語、コンピュータ演習以外の時間には、併設されている短大の科目と教養科目をできるだけ取った。宗教学や歴史学、社会学や地域政策概論、医学概論や微生物学、レポート執筆の方法、防災学など、それらは誰に言っても恥ずかしくないような科目名だった。語学は単位数を稼ぐため、選択必修の中国語とドイツ語を取った。こんな大学、こんな学課に入学したことが恥ずかしかったが、編入するためには単位数を稼がなければならない。そこで私は学課の必修科目のときだけ図書館で勉強することにした。学課の必修科目は子ども福祉基礎というダサい名前で、保育所から子どもを招いて遊ぶという内容だった。今も子ども福祉学科1年生は、必修科目である子ども福祉基礎を受けている。「そろそろ時間だな」。私はゆっくりと立ち上がり、図書館を後にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ