アズマ・キクガの何でもない1日〜問題用務員、ちゃんと許可を貰って冥府潜入事件〜
思い出すのは、自宅の縁側だった。
「菊牙さん」
陽だまりの縁側で、優しく微笑む妻と隣り合って座って。
「この子ね、また私のお腹を蹴ったのよ」
愛おしそうに、赤子が眠る腹を撫でる。
「生まれてきたら、きっと元気な子に育つわ」
そんな些細なことを嬉しそうに報告してくる妻の話を聞くのが、何よりも好きだった。
「ねえ、菊牙さんも話してあげて。赤ちゃんはお父さんの言葉を待っているわ」
「……そうかね」
妻の膨れた腹を撫でれば温かく、薄皮1枚を隔てた向こう側に自分の子供がいると理解すれば愛おしささえ感じる。
誰しもこんな時があったのだろうか。温かい羊水を揺蕩う我が子が、この世に生を受ける日を待ち遠しくなる時があったのだろうか。
いつか、東菊牙の愛おしい存在にこの子も加わるのだ。
「私に似ず、家族想いの優しい子に成長しなさい」
「もう、菊牙さんったら。貴方も十分に優しいじゃない」
「私は、私自身を『優しい』と認識した覚えはまるでない訳だが」
「いいえ、とっても優しいわ」
妻はそっと自分の手を取って、
「だってずっと側にいてくれるもの」
「――――」
見慣れた天井が目の前に広がっている。
陽だまりで満たされた平和な縁側も、微笑む妻もいない。ここはキクガが生まれ育った世界ではなく、愛する妻は愛息子を出産すると容態が急変して帰らぬ人となった。心残りなことは、妻の墓参りすら出来ていないことか。
それでも生きる理由はただ1つ。愛する妻が命を賭してこの世に産んでくれた愛息子を慈しみ、成長を喜び、見守ることだ。
肩まですっぽりと被っていた布団を剥いで、アズマ・キクガは眠気を振り払うように身体を起こす。
「ふあぁ……」
小さく欠伸をしながら壁にかけられた日めくりカレンダーを捲れば、何度も見た『11月11日』という文字。
「ああ、そうか」
妻が亡くなってから、もう随分と経ってしまった。
「今日は誕生日か」
こうして、アズマ・キクガの何でもない日は始まった。
☆
冥王第一補佐官の朝は平和だ。特筆するべきことは何もない。
自室に簡易キッチンは存在するものの、有能さと反比例するように料理の腕前が底辺を這いずり回るキクガは、全ての食事を冥府の食堂で賄っている。朝食も、昼食も、夕食も、何だったら夜食も食堂で済ませる。
自炊はしない。気まぐれに自炊をして、簡易キッチンが爆発しようものなら冥府の獄卒寮が大騒ぎになる。実際、過去に何度か爆発事件を引き起こして騒ぎになったので料理をしないと心に決めている。
「おや」
食堂にやってきたキクガは、本日の昼食の献立に目を瞬かせる。
「今日の昼食は天ぷらかね」
「珍しいですよね、昼食の献立が朝から発表されるなんて」
「ああ、おはよう」
「おはようございます」
同じく自炊をしない組である冥王第二補佐官のオリカゼ・アヤメと挨拶を交わす。
オリカゼ・アヤメは昔から冥王第二補佐官を輩出するオリカゼ家の出身で、アヤメも父親から冥王第二補佐官の座を引き継いだ優秀な女性である。キクガが冥府に転移させられた時、何度か助けられたことがある。
濃紫の肩まで届く髪と大きな黒曜石の瞳、整った顔立ちは愛らしい印象がある。キクガと同じ装飾品のない修道服を身につけ、控えめな胸元では錆びた十字架が揺れていた。
アヤメは朝食用のお盆を手に取りながら、
「いつもはその日のお楽しみなんですけどね」
「確かに」
キクガは真剣に頷く。
普段であれば昼食の時間に献立が発表されるのだが、今日は朝から発表されている。他の役人も今の時間帯に発表されている昼食の献立に首を傾げていた。
食堂の方針が変わったのだろうか。食堂の運営に関してはキクガも関わっていないので、どうにも出来ない。
「運がいい訳だが」
「どうしてですか?」
「誕生日に好物が食べられるのは、ささやかだがとてもいいことな訳だが」
「今日お誕生日なんですか!?」
アヤメは「言ってくださいよ、もう!!」などとぷりぷり怒っていたが、別に同僚に報告する内容でもないのでキクガは無視しながら毎朝食べているお粥の鍋の蓋を開けた。
☆
朝食のあとは普通に仕事である。
誕生日だろうが何だろうが、有給ではないのならば普通に仕事をするのがキクガだ。最優先すべきなのは愛息子のことだが、今日も元気に地上の名門魔法学校で事件を起こして過ごしていることだろう。元気そうで何よりだ。
キクガは冥府の法廷に足を踏み入れ、
「おはようございます、冥王様」
「うむ、おはよう」
すでに裁判席に座って書類仕事を片付けていたのは、見上げるほど巨大な黒い靄である。
煙のような見た目の上からボロボロの布を被り、色とりどりの眼球が黒い靄の中を20個ほど浮かんでいる。真っ白なペンを握る手は普通にあるのだが、身体の所在は一体どこに消えたのか。
キクガはあらかじめ用意した裁判予定の記録表を広げ、
「本日の裁判予定は35件です」
「普段より少ないぐらいか」
「そうですね」
裁判予定の記録表を確認すると、大半の死因が事故死や病死など原因が明確に判明している。寿命で死んだという記録は見られない。
地上では魔法があり、魔法を使い続けると身体構造がどんどん人間離れしていく。人間離れしていくと寿命が伸び、そのうち寿命で死ぬことがなくなるのだ。寿命で死ぬ人間は、何らかの理由で魔法が使えなかった人間に限定される。
まあ、現在ではどこかの高名な魔法使いの働きによって世界中でも魔法が常識のように浸透し、誰でも簡単に魔法が使える世の中となった。自然と寿命が伸びる人間も多くなるし、人間離れしていく魔女や魔法使いも増加する。
「そう言えば、キクガよ。今日が誕生日だろう」
「はい」
「其方の部屋に雪柘榴を用いた果実酒を送った。晩酌用に飲め」
「ありがとうございます」
黒い靄こと冥王ザァトは書類にペン先を滑らせながら、
「ところでキクガよ」
「はい」
「唐突だが殴ってくれ」
「仕事をしろ」
「実は昨日から書類仕事が終わらない。このままだと裁判中に寝そうになる。殴ってくれ」
「黙って手を動かせ」
キクガは「あと何枚ですか」と冥王ザァトの机に積まれた書類を確認する。昨日の裁判の報告書だが、まだ埋まっていない。昨日の裁判件数はそこそこ多かったので、まとめるのも時間がかかったのだろう。
密かに頭を抱え、何件かの裁判記録を手に取るキクガ。あとで裁判記録をまとめることにして、今はこれからやってくる裁判予定の死者を迎える他はない。
深々とため息を吐くキクガに、たまたま裁判用の書籍を運び入れてきた獄卒が「大丈夫ですか?」と声をかける。
「今日の裁判予定を確認し、過去の裁判記録と参考文献を持ってきたんですけど」
「ああ、私に過去の裁判記録と参考文献は必要ない。冥王様に渡しなさい」
「え、覚えているんですか」
「当然な訳だが」
驚く獄卒をよそに、キクガは冥王ザァトから書類を奪い取る。過去の裁判記録と参考文献の書籍と入れ替えるように、キクガは書類を獄卒に押し付けた。
「申し訳ないが、その書類を私の執務室まで運んでおいてほしい」
「は、はあ。これ結構な量ですけど」
「問題ない。当日中に終わる仕事量だ」
そんなやり取りを経て、獄卒は「じゃ、じゃあ運んでおきますね」と言いながら冥府の法廷より立ち去った。面倒な仕事を押し付けてしまったが、裁判記録をまとめなければ明日の裁判にて参考文献として使えない。
居住まいを正し、キクガは「本日の裁判を始める」と告げる。
それと同時に、冥府の法廷へ始業を告げる鐘の音が鳴り響いた。
☆
「次の死者は前へ」
先程の魂は罪人であることが確定して第1刑場送りにし、キクガは休む間もなく次の死者を法廷に呼び込む。
冥王ザァトが「ちょっと休憩」と要求してくるも、つい10分前に裁判の間隔に余裕が出来たので休憩を入れたばかりだ。次の死者が詰まっているのだから問答無用である。
上司の言葉を無視するキクガは、死者を連行する獄卒に視線をやった。
「?」
屈強な獄卒が2人組で死者を案内するのが常識なのだが、今回の死者に限って4人組で連行されていた。
これから法廷で死後の裁判を受ける死者の両脇を見慣れた獄卒が固め、その背後に2人ほど見慣れない獄卒が控えている。死者の脱走防止の目的はあるのだろうが、その場合はキクガが有する拘束用の鎖『冥府天縛』が襲いかかるだけだ。
しかも異質なことに、狼と馬の被り物をしている。狼の被り物をした獄卒は鋼のような肉体を持ち、立っているだけで威圧感がある。一方で馬の被り物をした獄卒は小柄で、獄卒の役目を負うには少しばかり頼りない印象があった。
2名の異質な獄卒に注目するキクガに気付いたのか、死者を連行してきた獄卒が説明する。
「実は獄卒になったばかりなんですよ。法廷を見学させてやってください」
「なるほど。では新人の獄卒に恥じぬ働きをしなければならない訳だが――冥王様?」
「な、何故に此方を向く。我は真面目に仕事をしているだろうに」
「10分間隔で休憩を要求するサボり魔に貸す耳などない訳だが」
咳払いをするキクガは裁判の開始を宣言しようとするのだが、
「嫌だああああああああッ!!」
「あ」
死者が唐突に回れ右をして、脱兎の如く逃げ出した。
たまにこう言った事象が起きるのだ。「自分はまだ死んだ訳ではない、死者蘇生魔法で生き返る予定がある」という主張があるのだが、何も死んですぐに冥府の法廷へ叩き込まれる訳ではない。ちゃんと猶予期間があるのだ。
冥府の法廷にやってくるのは、地上の遺体が腐敗化して死者蘇生魔法が適用されなくなった時である。この死者はもう死者蘇生魔法を適用できないのだ。
やれやれと肩を竦めたキクガは『冥府天縛』を呼び出すのだが、
「ぐはあッ!?」
馬の被り物をした獄卒が逃げ出した死者へあっという間に追いつくと、その背中めがけて綺麗な飛び蹴りをかました。
吹き飛ばされる死者、華麗に着地を決める馬面の獄卒。
その一瞬すぎる逃亡防止劇は、キクガでなければ見逃していたかもしれない。
「あい」
馬面の獄卒は気絶する死者の首根っこを掴むと、ずるずると引き摺ってキクガに突き出してくる。
「よく脱走を阻止してくれた。だが私に差し出すのではなく、法廷の真ん中に立たせてほしい訳だが」
「あい」
馬面の獄卒なコクリと頷き、首根っこを引っ掴んだ死者をまたずるずると引き摺りながら法廷の真ん中に連行する。先輩の獄卒に死者を押し付けるなり、狼の被り物をした獄卒の隣に落ち着いた。
どこかで見覚えのある暴走具合だが、脳内で思い浮かべた人物は地上で今日も元気に過ごしていることだろう。ここにいる可能性は皆無だ。
キクガは軽く咳払いをし、
「それでは裁判を開始する」
死者の生前の行いを朗々と読み上げるキクガの耳に、新人獄卒による「何してんのぉ」「勝手に身体が動いてた!!」というやり取りは聞こえていなかった。
☆
昼休みを告げる鐘の音が鳴り響く。
「本日の裁判は終了です。お疲れ様でした」
「疲れた」
「このあとも裁判記録をまとめる作業がありますので頑張ってください」
「ほげえ!!」
冥王ザァトが奇声を発して動かなくなったのを見捨て、キクガは判決内容をまとめた巻物を抱えて冥府の法廷から撤退する。
35件目の裁判を終えた解放感からか、空腹感を訴えるようにキクガのさほど鍛えられてもいない腹から音が鳴る。仕事をしている間は忘れがちだが、終われば思い出したようにお腹が空くのは便利なことだ。区切りがつけられる。
本日の昼食は天ぷらとなっていたのを思い出し、自然と浮き足立ってしまう。表情には出ていないが、多分僅かな足取りでご機嫌さが出ていたかもしれない。
食堂で昼食を取ってから執務室に戻ろうとするのだが、
「何、だと……」
小さく『本日のお勧め』と銘打たれた天ぷらの皿が空っぽだった。
先に食堂で昼食を楽しんでいる獄卒たちの皿には天ぷらが山のように乗せられているが、残念なことにキクガが食堂を訪れた時にはなくなっていた。ビュッフェ形式で好きなだけ盛れるという方式が恨めしい。
運がなかったか、としょんぼり肩を落としたキクガは、天ぷらの大皿の隣に置かれた煮物の皿に手を伸ばすのだが、
「はい、天ぷらお待ち遠様」
何と、目の前で空っぽになっていた天ぷらの皿が交換された。
黄金色の衣に包まれた山菜やら海老やらの天ぷらが山盛りになってキクガの目の前に置かれ、好きなだけ取れと言わんばかりに菜箸まで添えられる。まさか出来立てを食べられるとは運がいい。
盛られた天ぷらの大皿の前で立ち尽くすキクガの背中を、ちょうど天ぷらの大皿を交換しに来た食堂のおばちゃんが思い切り叩いてきた。
「そんなにしょんぼりするんじゃないよ。揚げたてだから、好きなだけ持っていきな」
「ありがとう」
キクガは食堂のおばちゃんにお礼を言うが、
「…………」
「何だい、色男に見つめられちまうと照れるだろう?」
「いや、すまない」
菜箸を手に取ったキクガは、
「ただ、とても綺麗な青い瞳だと思った訳だが」
「生まれつきさね」
食堂のおばちゃんは「さあ、仕事仕事」と調理場に戻ってしまう。彼女の仕事の本番はここからだ。これからどんどん忙しくなることだろう。
彼女の色鮮やかな青い瞳は、まるで宝石のように気品があった。その色は地上で元気に過ごす義娘と同じのように見えたが、世の中には青い瞳を持つ人間などごまんといる。思い過ごしだろう。
キクガは揚げたての天ぷらを厳選して皿に盛り付け、空いている座席に向かう。今日の天ぷらは今まで食べた中で1番美味しかった。
☆
一般の獄卒だと現場で罪人の魂を追いかけ回していたが、冥王第一補佐官の座に上り詰めると執務室での書類仕事が中心となった。
「昨日の裁判、判決結果……」
保管室から持ってきた昨日の裁判結果を参照しながら、キクガは書類に筆を走らせる。
速記は得意なので、サラサラと文字が素早く書き込まれていく。あっという間に紙面の端から端まで埋め尽くし、次の書類へ手を伸ばした。
時折、思い出したように裁判結果をまとめた書類に目を通す。それからまた紙面に筆を走らせて、法廷で何が起きてどのような判決が出たのかまとめていく。
――コンコンッ。
そんな時、執務室の扉がノックされた。
「入りなさい」
紙面から顔を上げずに応じれば、扉が外側から開かれて「失礼します」と声をかけられる。
「補佐官様、そろそろ休憩を取られた方がいいですよ。もう3時間も椅子に座りっぱなしです」
「もうそんなに時間が経過していたのか」
キクガは執務室の壁に飾られた時計を見上げる。
確かに執務室で仕事を開始してから3時間ぐらい経過していた。時間が過ぎ去るのがあっという間すぎる。それからいつのまにか仕事の方も大半が片付けられていた。
集中していて仕事の進捗状況も把握できていなかったようだ。どうやら誕生日だから調子に乗っていたのかもしれない。
「こちら、第二補佐官様より差し入れです」
「ああ」
休憩を促してくれた女性の獄卒は、皿に乗せられた小さなケーキをキクガに差し出してくる。そういえば、朝に誕生日であることを告げたら大層驚いていた。
彼女も義理堅い真面目な獄卒なので、こうしたお祝い事にはちゃんと贈り物をしてくるのだ。急いで用意したらしく、真っ白なクリームが塗られたスポンジの上に真っ赤な苺がチョコンと添えられたささやかなケーキである。
キクガはケーキの皿を受け取ると、
「君は見ない顔な訳だが」
「本日付けでこちらに勤務を」
「そうかね」
女性の獄卒は、慣れた手つきで薬缶から紅茶をカップに注ぎ入れる。飴色の液体がカップの中に注がれると、どこか安心する香りが執務室に漂った。
よく観察してみるのだが、やはり記憶にない顔だ。よく手入れの施された緑色の髪の毛と、見る角度によって色を変える瞳。整った顔立ちは誰もが振り返りそうなほど美しく、白磁の肌には薄く化粧も施されている。
彼女は紅茶が並々と注がれたカップをキクガに渡し、
「どうぞ」
「ありがとう」
受け取った紅茶を啜れば、適度な渋みと爽やかな後味が疲れた身体に染み渡る。素直に美味しいと感じた。
「美味しいな」
「それはそれは」
「君は紅茶を淹れるのが上手な訳だが」
「私などまだまだですよ」
女性の獄卒はキクガが仕上げた書類を回収すると、
「こちら、保管室に運んでおきますね。カップとお皿は給湯室に置いといてください」
「分かった」
紅茶を飲みながら女性獄卒を見送り、キクガはふと思い出す。
どこかで飲んだ覚えのある紅茶だと思ったが、名門魔法学校で問題児として名前を馳せる南瓜頭の彼女が淹れていた紅茶と似ていた。彼女は彼女らしく紅茶を淹れる研究をしているようで、こだわりも強かった気がする。
紅茶の淹れ方を、あの南瓜頭の彼女に聞いたのだろうか。そうだとすればキクガもぜひ教示願いたいところだ。
「……美味しい」
濃いめに淹れられた紅茶は、第二補佐官が差し入れてきたケーキとよく合っていた。
☆
今日の業務を終え、キクガは疲れた足を引き摺りながら獄卒寮に戻る。
夕飯まで時間があるので、まずは先に湯浴みを済ませてしまおう。面倒な時は食事を抜いてしまおうかと考えてしまうが、その度に頭の中で亡き妻が「ちゃんと食べなさい!!」と訴えてくるのだ。
必要最低限の家具が揃えられた和室に戻ってきて、キクガは張り詰めていた息を吐き出す。凝り固まった肩を解すようにぐるりと腕を回すも、やはり疲れはなかなか取れない。
頭に乗せた髑髏の仮面を外し、装飾品のない神父服を脱いで衣紋掛けにかける。室内では着慣れた濃紺の着流しを身につけるのがキクガのこだわりである。
「ん」
すると、どこからか聞き慣れた音が響き渡った。
息子から渡された通信魔法専用端末『魔フォーン』の着信音である。
神父服の衣嚢から取り出し忘れた魔フォーンを取り出し、キクガは画面に表示された通信相手を確認した。そこに表示されていたのは、キクガの疲れを吹き飛ばすのに相応しい相手である。
アズマ・ショウ――キクガと血の繋がった、世界で最も愛おしい息子である。
「ショウかね?」
『父さん、今は平気か?』
「ああ。自室な訳だが」
魔フォーンを通じて聞こえてくるショウの声は、どこか嬉しそうだった。何かあったのだろう。
「どうかしたのかね?」
『今日は父さんの誕生日だろう? だからお祝いをしようと思って』
「そうかね。君の気持ちだけで十二分に嬉しい訳だが」
ショウは『本当は直接お祝いを言いたかったのだが……』と残念そうに言い、
「すまなかったな。私も自分の誕生日を忘れていた訳だが」
『父さんらしいな』
「次に顔を合わせた時に祝ってほしい。近いうちに、有給を使用して会いに行こう」
『ユフィーリアたちも張り切っているぞ』
「ユフィーリア君たちに祝われるとなれば、少し恐ろしい訳だが」
すると、コンコンと自室の扉が外側から叩かれる。
どうやら誰か来てしまったようだ。そういえば、冥王ザァトがキクガの自室宛に雪柘榴の果実酒を贈ったと言っていたから、おそらく酒の瓶が届いたのだろう。
キクガは魔フォーンを片手に玄関へ向かい、
「すまないな、ショウ。荷物が届いてしまった。またあとでかけ直す」
『その必要はないぞ、父さん』
「?」
不思議なことを言う息子に首を傾げながら、キクガは自室の扉を開ける。
「こんばんは、父さん。誕生日プレゼントのお届けだ」
扉の向こうに立っていたのは、愛息子のショウだった。魔フォーンを耳に当てたまま、彼は照れ臭そうに笑っている。その腕には冥王ザァトが贈ったと言う『雪柘榴の果実酒』と銘打たれた酒瓶が大事そうに抱えられていた。
雪の結晶が随所に刺繍されたメイド服と、何故か頭には大きめの真っ赤なリボンが飾られている。まるで自分が誕生日プレゼントだと言わんばかりの装飾だ。
来客は、息子のショウだけではなかった。
「よう、親父さん」
「やっほぉ、キクガさん」
「こんばんは、ショウちゃんパパ!!」
「いいお誕生日ネ♪」
扉の脇からひょっこりと顔を覗かせるのは、ショウの先輩方であるユフィーリア、エドワード、ハルア、アイゼルネの4人だった。彼らも大小様々なプレゼント箱を抱えており、悪戯が成功した子供のように笑っている。
「君たちも来ていたのかね」
「親父さんの誕生日だって言うから、張り切ってお祝いに来たに決まってんだろ」
ユフィーリアたちは「せえーの」と声を揃えて、
「誕生日おめでとう、親父さん」
「誕生日おめでとぉ、キクガさん」
「おめでと、ショウちゃんパパ!!」
「誕生日おめでとウ♪ キクガさン♪」
「誕生日おめでとう、父さん」
誰よりも嬉しい言葉を貰い、キクガは思わず笑みを溢した。
《登場人物》
【キクガ】冥王第一補佐官にしてショウの父親。一般の獄卒から叩き上げの実力だけで冥府のNo.2にまで上り詰めた有能な人物。自分のことには疎く、誕生日も忘れがち。大好物は天ぷら。
※これよりキクガの言葉で紹介。
【ユフィーリア】息子の旦那様で義理の娘。頭脳明晰で柔軟性もあり、非常に頼り甲斐のある頼もしい優秀な魔女。面倒見も良く、至らない私を気にかけてくれている。(食堂のおばちゃんとして登場した)
【エドワード】息子の先輩にあたる用務員。見た目こそ厳ついが、性格は温厚で穏やか。話し上手で聞き上手であり、周囲の変化に気を配るのが上手。ショウのことを可愛がってくれている。(狼の被り物をした新人獄卒として登場した)
【ハルア】息子のことを1番可愛がってくれている先輩。溌剌とした明るさがあり、息子を正しく導いてくれている。常に笑って楽しそうに過ごしているので、こちらまで楽しくなってしまう。(馬の被り物をした新人獄卒として登場した)
【アイゼルネ】気配り上手で物腰柔らか、細やかな配慮が出来る女性。息子のお茶汲みの師匠で、手厳しくも的確な指導をしてくれているらしい。息子も嬉しそうに報告してくれる。(キクガにお茶を届けた女性獄卒として登場した)
【ショウ】最愛の息子。私の元に生まれてくれてありがとう。(実は裁判の参考資料を届けた獄卒として最初に登場。父親の仕事量に呆気に取られた)
【冥王ザァト】冥府に来たばかりの時はかなり頼ってしまったが、今では支えることが生き甲斐となっている。変態的な思考回路は歓迎できないが、上司として信頼している。
【アヤメ】転移当初は世話になり、今でも仕事上やプライベートでも色々と相談する仲。恋仲ではなく、相手もそうではないことは自覚している……と思う。はず。