エピローグ おかーさまのひつじ
2年後
ーーー帝国ヴァッシュアナ辺境領の城塞都市マッケルーーー
その郊外に位置する小さな森の中に少し開けた場所があり、そこには小さな石でできた墓のようなものがあった。
石には何も書かれておらずその周りは綺麗に整備されており、石の前には最近摘んできたであろうと思われる小さな花束が置かれていた。
そこに旅の外装を纏った男が立つ。
「……やぁ、サラ。ずっと会いに来れなくてごめんよ。僕も軽々しく帝都を離れられない立場になってしまってね」
そう静かに囁いて持っていた大きな花束を小さな花束の横に置く。
外装のフードを取ると精悍な顔つきの男は優しい目で墓を見る。
「君が亡くなったと聞いて僕は寂しく思ってるよ。君やガイ、ルゥトと出会ったからこそ今の僕があるのだから」
懐かしそうにその名を口にした青年、パーンドは墓の前にしゃがんで静かに祈りを捧げる。
「かーさま。早く早く。おはなが枯れちゃうよー」
元気な女の子の声が森の中に木霊して、パーンドは立ち上がって振り返る。
木々の小道を元気に走る幼い3歳ほどの少女が両手で小さな花束を大事そうに持って後ろを振り返りながら走ってくる。
今にも転びそうでバーンドは冷や冷やしながら少女を見る。
「サラ、ちゃんと前を見て走りなさい。転んで泣いても知らないわよ」
遠くの人影がそう少女に声をかける。どうやら母親のようだった。
サラ、その名にパーンドは一瞬ドキリとする。
楽しそうに走る少女をパーンドは今一度まじまじと見る。
幼い少女はパーンドの知る無表情で怠惰な少女とは似ても似つかなかった。
少し伸びた綺麗な金色の髪。幼いが綺麗な顔立ちをしていて元気で屈託のない笑顔がとても魅力的であった。大きく溢れそうな瞳は深い翠。頬がリンゴのように真っ赤に染まっていて健康で活発そうであった。
愛らしい少女は手元の花に夢中なようで足元の木の根に気づかず引っかかってバランスを崩す。
「危ないっ」
パーンドは咄嗟に少女の前に出て地面に激突する前に少女の身体を受け止める。
「サラ!??」
後ろを歩いていた女性が慌てて駆け出す。
パーンドは受け止めた少女を軽く持ち上げてしっかりと立たせる。
首元の星の四つ連なった小さなネックレスが跳ねた。
少女はキョトンとした顔で目の前のパーンドを見上げて
「……ありがとう?」
となぜか疑問形でお礼をいって小首をかしげる。
「どういたしまして」
パーンドはにこやかに笑ってそういうと、少女から数歩離れて母親と思われる女性が来るのを待つ。
サラはパーンドをもう一度見上げた後、こちらに走ってくる母親の元に駆けていく。
それを見て母親は大事なかったことに安堵して走りを緩めて駆けて戻る我が子を抱きしめるために中腰となった。
少女は母に飛びつこうと思ったようだが手に持った花が邪魔なことに気がつき、母の前で減速して飛びつくことはしなかった。
「だから気をつけなさいと言ったのに」
女性は我が子の頭を優しく撫でて微笑んでいる。
とても美しい女性であった。綺麗な金色の髪。少し幼さの残る顔立ちは可憐であった。
ただ、それに似つかわしくない頬の傷が目を引いた。
女性は立ち上がり、会釈をする。
パーンドも姿勢正して貴族らしい会釈を返す。
立ち振る舞いにものすごく品がある。さぞ有名な貴族の御息女なのだろう、だが有力貴族ミルセイユ家の出であるパーンドはこの女性に心当たりがなかった。帝国貴族ではないのかもしれない。
「……サーラシェリアさんのお知り合いですか?」
女性はパーンドの置いた花束が目に入ったのだろう。
「……ええ、元訓練校の仲間です」
そう言ってサラの墓を振り返る。
「まぁ……では主人とも?」
女性がニコリと花のように笑いそう問う。
その一言で彼女の夫が誰かを理解して
「はい。ルゥト・デュナンには世話になりっぱなしでした。私、パーンド:フォン・ミルセイユと申します」
パーンドは姿勢を正して貴族としてのお辞儀をする。
それを受けて母親もスカートの裾を上げて礼をして
「私、ルゥト・フォン・ヴァッシュアナの妻、クリシュナ、と申します」
そう言うとクリシュナはニコリと笑う。
やはりルゥトの奥方か。結婚したとは聞いてなかったがこれほど美しい女性を娶っていたとは。少し嫉妬するバーンド。
クリシュナはスカートの裾を掴んで不思議そうにバーンドを見上げる少女の頭に手を置き
「この子はサーラリア。サラさんの名前から付けさせてもらいました」
「そうですか。きっとサラも喜ぶでしょう」
少女は自分のことを紹介されたのが恥ずかしかったのか母親の後ろに隠れてしまった。
バーンドはしゃがんでサラの目線に合わせてしゃがみ
「はじめましてサーラリア。私は父君の……友人のバーンドだ。君ともお友達になれるといいな」
そういうとスカート影からちょこんと顔をだし
「バーンド?おとーさまのおともだち?」
小首を傾げる仕草がなんとも愛らかった。
「さ、お花をあげるんでしょう?行ってきなさい」
クリシュナの言葉にサラは大きく頷き彼女の影からバッと飛び出して墓の前に行ったものの、バーンドの置いた花束の方が大きくて少し悲し気な顔をして振り返り、
「もうおはなある」
と声を上げる。
「かまわないのよ。それはバーンドさんがサーラシェリアさんにあげた物。あなたもあげるのでしょう?」
「うん!!」
そう元気よく頷くとしゃがみ込んでバーンドの置いた花の横に無造作にもっていた花束を置いて満足げな顔をしていた。
「我が家に寄って頂けるのでしょう?主人が喜びます」
クリシュナはそう言って微笑む。
「ええ、それも目的のひとつですので。ご案内頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ、ぜひ。サラ、バーンドさんを我が家にお連れしますよ。いらっしゃい」
そう声をかけてクリシュナはバーンドに前に進むことを促す。
サラがぴょんと飛び跳ねて立ち上がりまた拙く走り出し、バーンドの元まできてその手を握る。
物怖じしない子だ。バーンドは少女を見て笑う。
「バーンドもおとーさまとおなじひつじさん?」
少女の問いかけの意味が分からなかったが
「私は父君とおなじぐんじんさんだよ?」
と答えた。するとサラは不満げに大きく首を横に振って
「ううん、おとーさまはね、おかーさまのだいじなひつじさんなのよ!!」
そう言って満足げに晴れやかに笑った。
これにてこの物語は終幕を迎えます。
もしここまで読んでくれた素晴らしい神様のような方なら
頭を地に付けて感謝を。
私としてはこのあと、あとがきを書くためにここまで頑張りました。
この後あとがきへと続きます。
最後までお付き合いのほどを。