第43話 急転
男は広いテーブルで食事をしている。
とても分厚いヒレ肉をミディアムレアに焼かれたステーキに、ゆっくりナイフを切り入れて小口サイズに切ってフォークで口に運ぶ。ゆっくりと噛みしめながら味わって飲み込み、正面を見据えてニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「しかし、父上の価値観からするなら私は使えぬ息子に見えたでしょうなぁ。なんせ父上ご自慢の訓練所をたったの3日で逃げ帰ったのですから。あの時の失望の表情はいま思い出しても心が痛い」
男はテーブルのワインを手に取り、香りを楽しんでから一口含み味わってから飲み下す。
「だが今やこの国は私なしでは成り立たない。国の基盤を固め、国力を増やし、経済を回す。戦バカのあなたや兄上たちには不可能だったことだ」
そういうと酒臭い息を大きく吐く。
「そして戦バカどもの戦線はもっとも伸びきった。今やあいつらは遠くまで飛んだ凧と同じ……あとは糸を切ってやればいい」
そしてゆっくりとナイフとフォークを置き口元をナプキンで拭う。椅子を後ろに引き席を立ち
「では私は次の準備があるので失礼しますよ。父上。いずれ兄上たちもそちらに行くでしょうが仲良く私の偉業を歯ぎしりでもしながら眺めていてください」
男は長いテーブルの反対側に座っている人影に対して、ほくそ笑みながらそう声をかける。
そして興味をなくしたようにその場を去っていった。
テーブルの反対側の男は食事に顔面を埋めたままピクリとも動かない。
すでにこと切れているようだった……。
絶望的な話を聞いてすでに5日が経過していた。
キュリエは今日もなにもできずに一日を終えてしまった。
身の回りの世話をしてくれている女性士官に何度か現在の状況を尋ねたが、なにも教えてくれなかった。上層部と話がしたいと言っても取り言ってもらえず、なんの打つ手もなくダラダラと日数だけが過ぎて行った。
黒い騎士もあれ以来現れない。
国境を越えて5日、国境付近の砦には今回の出兵のため最低限しか兵を配置していない。6万もの軍を相手に足止めすら不可能だろう。
共和国が裏切ることは予想されていない。
むしろ信頼関係は高かった。だからこそ共和国側の防御はほぼないに等しい。
帝国軍の進軍を阻むものはほぼなく、最短で王都にたどり着くであろうことは容易に想像できた。
どれくらいかかるのだろう?
我が軍2万が王都からマッシュア平原に布陣するのに約20日を要した。
その距離より約半分だろうか?
キュリエは地理が苦手だった。国内の地図は頭にあるが距離感などがいまいち不明瞭なのだ。
自分の知識不足が恨めしい。そういう日々を過ごしている。
今日も部屋の中をうろうろしてなにか打てる手はないかと思案し続けていた。
何度か脱出も試みたが、扉は重く鍵を掛けられている。
世話係の女性に一度組みかかろうとしたが……驚くほど軽くあしらわれた。それこそ「襲った」という結果すら残らぬほどであった。
短めのボブカット。明るめの青みの強い紺色の髪。少し小さい体格なのに身体は鍛えているようだ。一度、部屋に入ってきたところを毛布で押さえ込もうとしたがスルリと躱されて、スッ転げたのはキュリエだけだった。
どうにかしなければ…。そればかりを考えていた。
そんな7日目を終え、日が傾き水平線の彼方へ沈み始めたころに急に周りが騒がしくなる。
男たちの叫び声、怒声や剣戟の争うような音。
悲鳴と叫び声が波の音を打ち消して聞こえてる。
そして焦げ臭い、なにかが燃える匂い。
なにかが起こっている…‥‥。
キュリエは素早く窓の外を見る。
映っているのはいつも通りの海。
だがそれに混じって船が何隻か見える。
暗くなっているのに赤いオレンジの光が海に反射している。なにかが燃えているのだ。
キュリエは事態は飲み込めないが、なにかトラブルが起きているのだけは理解した。
帝国軍が……襲われている?
アウルストリア軍か?そう考えもしたが騎士の話では敗走したはずだ。立て直して再度攻める余裕があったとは思えない。
とにかくきっと好機がくる、そんな予感がしてキュリエは用意していた紙を丸めて髪を縛る。きっと邪魔になる。何かあった時のための対応をすぐできるようにと思った時、扉の外で男たちの声が聞こえる。
「……ここか?」
「そうだ、たしかここのはずだ」
ぼそぼそとしゃべる声が聞こえる。
「ほんとにいいのか?こんなことして……」
少しためらうような気弱な声
「構うもんか、この混乱だ。何かあっても問題はねーさ。俺は初めて見た時からこういう機会がこねーかなと思ってたんだ。掻っ攫ってお楽しみといこうぜ」
下卑た笑いを含んだ声が聞こえる。
ガキーン!!ドゴッ!!
金属と扉に堅く重いものをぶつける音が聞こえ部屋全体が揺れる。
もう一度同じ音がして扉が軋む。
たぶん、扉と鍵を壊そうとしているのだ。
キュリエは危険を感じるよりチャンスがきた、と悟った。千一遇のチャンス、この身を汚してでもここから逃げれるのなら……。
バゴォォォォォン、
扉が傾き、完全に壊れたのが分かる。
キュリエは身を屈めてベッドの影に隠れる。
中をのぞいてきたのは下品な笑みを浮かべた不細工な海の男だった。吐き気を催すような容姿をしていた。
「おひめさーん、ここにいるんだろー?出て来いよ。外に連れ出してやるぜぇ?」
猫なで声だったがそれが余計気持ち悪かった。全身に毛虫が這っているような気持になる身の毛もよだつ嫌な声だった。
男は扉を押しのけ、中に一歩足を踏み入れた。
ゆっくり周りを見渡して部屋の中に入ってくる。
次の男も中を覗き込み大きく息を吸う。
「くぅ~~~、いい匂いがするぜ、たまんねぇ。たぎってくるわぁ」
ぞわっとする嫌な声、気持ち悪い行動だった。
さすがに足が震えてくる。どんな目にあったとしても……逃げ出して見せる。キュリエは身を丸めて手を合わせて祈るような姿勢を取る。
リーエント、私に力をっ!!
そう祈ってから覚悟を決めて顔を上げ、いざ飛び出そうとした時、
外にいた男の声が
「なっ、あ、あんたっ!グボォ…」
声を上げた男が言いかけた言葉は最後まで発することなく途切れ、ドスンと倒れたような音が聞こえる。
同時に入り口を覗いていた男が外に出る。
「ってめぇ!!やりやがっ……ガハッ」
何かがぶつかったような大きな音と、男が地面に叩きつけられた音が同時に廊下に鳴り響いた。
部屋に入っていた醜悪な男が、身の危険を感じて腰の剣を抜く。
狭く薄暗い部屋に黒い影が地面スレスレ駆けるように飛び込んで来た。
男が影を人と認識する前に、影は一気に男の首元に襲い掛かった。
まったく反応することができずに立ち尽くす男。襲い掛かった影が男から離れると、男は首から血を吹きだして崩れるように倒れた。
影はゆっくりと立ち上がる。
それはいつもキュリエの世話をしてくれてい女士官だった。
いつもは軍服だったが、今日は軽めの皮鎧で動きやすい恰好をしていた。
「お、お怪我はありませんか?キュリエ王女?」
女性はいつものように少しどもった喋り方で話かけてきた。
一瞬呆気に取られ、事態が掴めずキュリエは女性を見る。だがすぐに気を取り直して
「あ、ありがとうございます。これは、何が起こっているのですか?」
今にも崩れ落ちそうに震える膝を無理やり踏み留めて、平然とした振りをしながら助けてくれた女性士官に問う。
「それは私から説明します。とにかくここは危険です。脱出しますからついてきてください」
暗くて気づかなかったが、入り口にもう一人女性が立っている。
「すぐに移動します。ついてきてください。レノア、先行して」
入り口の女性は道を開けて、いつも世話をしてくれる女性士官に声を掛ける。
「わ、わかったわ。キュリエ王女をお願いね。カリーナ」
そういう言うとキュリエにお辞儀をして素早く部屋の外にでる。
「あ、あなたは?」
キュリエは残った女性に問いかける。
レノアと呼ばれた女性と同じような軽装の皮鎧を付けた女性は、キュリエに近づきコートをかけて
「私はカリーナ・ヴァノフと言います。詳細は落ち着いたらお話しします。遅れないようについてきてください」
キュリエを見てそう告げた。




