第35話 王女キュリエ いらだち
キュリエは腹の中は死ぬほど不機嫌であった。
だが一切その雰囲気は出さない。
にこやかに笑いダンスをリードしている目の前の男性に向ける。
男は慣れた動きで身体を動かしダンスのリードをする。
その顔のさわやかな笑顔であったがどうも好きになれなかった。
どこか…他人を見下している光が薄く開かれた瞳の奥にちらついている。
この男はあまり信用に置けない。
そう直感するキュリエ、これは単に相手が帝国の皇子だからとうわけではなかった。
人当たりはいい。
話していて不快感もない。
誰もが彼に好意を抱くだろう。
知的で気が利き皇子であるという傲慢さもない。…だがそれが気持ち悪かった。
ここはアウルスタリア王国、リュッケンホゥ公爵の館。今日はリュッケンホゥ公爵夫妻の結婚30年の祝いの宴だった。
リュッケンホゥ公爵は親帝国派で公爵の妻は帝国皇族だった。
現皇帝のはとこにあたる女性で今回の祝宴は王国としてはあまりないがしろにできない物であった。
そのため本来女王アンリエッタが出席する予定で会ったが急用により急遽キュリエにその代役が回ってきた。
王都から2日のリュッケンホゥ領へ急ぎ馬車を走らせた。
現地に入りすぐに準備に入る。連れてきたメイドたちはいそいそとキュリエを着飾る。「
夕方には準備が終わり、女王の代理として恥ずかしくない立ち振る舞いで会場に入る。
皆がかしこまり会場は一時厳粛な空気が流れる。
キュリエは小さく会釈をして
「今日は良き日に皆様と一緒に楽しい時間をすごしたいと思います」
そう言ってお辞儀をすると音楽が流れ場の雰囲気が和やかになる。キュリエの元にたくさんの人たちがかわるがわる挨拶にくる。
それに対して穏やかに対応していく。
「今日は女王さまはお加減がわるいのですか?」
急な代役に質問してくるご婦人
キュリエは優しく首を振り
「いいえ、急な会議で王宮を開けれなかったのです。それで急遽わたくしが参りましたのよ」
にこりとほほ笑んで答える。
「まぁそうですの、キュリエさまも大変ねぁ。なにかあったのかしら?」
深く突っ込んでくる。
「詳しくは聞いておりませんのよ」
何も知らない少女を装う。こういう場所で下手なことを言えないのが王族であった。
いろいろな人と話、談笑していく。
そして…現れる男。
「始めまして。王女。私はブランディッシュ帝国から来ました。第3皇子、ゾルディス・ファルナ・ブッシュデインと申します」
正面に現れた男はさわやかにお辞儀をする。
高身長で少しヒョロリとした体格。顔の堀が深く目がぎょろりとしている。無難に伸ばされた髭のせいで実年齢より上に見える。
さわやかに笑い人当たりのよい表情をしている。
少し高めの声が耳辺りがよい。
現在、アウルスタリアとブッシュデインは現在相当危険な緊張状態である。
特にアウルスタリアの南にある島、ルルク国に対する海上封鎖はすでに敵対行動と取れる行動でありそれに対する抗議は何度も行われている。
だがこれはルルクとブッシュデインの問題でありアウルスタリアに危害を加えるものではない。というのが公式の回答でありそれに対しては非難のしようがなかった。
だがルルク侵攻自体がアウルスタリアの喉元に剣を突き付けるための行為であることは誰の目にも明らかであった。
そんな中、アウルスタリアを第3皇子が訪問するというのはある意味ブッシュデインからしてみれば友好の証であり、それを拒絶することはできなかったわけである。
ブッシュデインの皇族というだけで嫌悪したい気分だったがキュリエはそれをおくびにも出さず
「我が国にようこそ。ゾルディス様。ぜひゆっくりなさって我が国と貴国との関係がより一層深くなることを願っていますわ」
そう言って一番の笑顔を向ける。
男は微笑んだ顔のまま少し目を開けキュリエの目を見る。
キュリエにぞわっと悪寒が走る。
嫌な眼だった。
その場はすんなりと社交辞令のみでお互い離れたのだがダンスが始まった時
再び男はキュリエに近づいてきた。
「キュリエ王女、せっかくですので一曲お付き合いいただけませんか?」
そうキュリエをダンスに誘う。
これを無下に断る術はキュリエにはなかった。
ゆっくりとした動作でお辞儀をして
「光栄ですわ。喜んでお相手させていただきます」
そしてそっと手を取る。
ゆっくりなテンポに合わせて広い会場で優雅に踊る。
周りの人たちの視線は2人の姿をみてひそひそとなにやら話している。
こういう場では噂と憶測が飛び交うのがキュリエはあまり好きになれない。
「こんな場で恐縮ですがひとつ提案をしても?」
キュリエを褒め称える言葉を並べていた第3皇子は急に少し密着し少しトーンを落とした声で囁く。
密着されたことにイラッときて、さらに耳元でささやかれたことに殺意に近い感情を持ちながらキュリエは表情を崩さずに
「…なんでしょう?」
彼女も小さな声で返事をする。これは言うならオフレコの外交だ。そう直感する。
「このままいけば我が国と貴国がいずれぶつかるのは必至。それは分かっておいででしょう。私としてはそれをなんとか避けたいと考えているのです」
ゾルディスは少し悲しそうな演出でそう囁く。
拳を握り今すぐその顎をたたき割りたい衝動を堪えながらキュリエは冷静に受け答えを行う。
「…それは貴国が自重していただければ叶うことですわ。今すぐ母国へ戻られて愚かな行いをせぬように皆を説得していただけることを切に願っています」
冷静に、冷やかになり過ぎぬように返す。
男は少し小ばかにした空気を出したがすぐに引っ込め
「それは私の力ではすでに無理でしょう。私は軍事に口出しをできません。できるとしたら外交面でのみそれは可能です。そのためにこうして危険を冒してまで姫様とお話をしているのですから」
そう自分の無能を。失礼力及ばぬことを示す。
キュリエはこの男の真意を測りかねていた。
「……どういうことでしょう?」
ここで見たくもない男の目をみる。
その目の奥に揺らぐよくない炎が見えた気がした。
「私と婚約をしていただけませんか?キュリエ王女。次代の女王と我が国の皇族が一緒になれば戦争は回避できる、私はそう考えているのですよ」
声は優しく、真摯な眼差しで男はそう囁く。
なんの重責もない女性ならころっといきそうな口説き文句だがキュリエにはその場で嘔吐してしまいそうな申し出だった。
さすがに顔が引きつり肩に力が入る。
本来なら照れた仕草の一つでもいれて
「ご冗談を」と言って恥ずかし気にこの場を去るというのが無難な手であったが
それをするにはひどい顔になっていたであろう。
「き、聞かなかったことにしておきますね。すいません、少し気分が優れませんので…」
そう言って男から離れ、軽く会釈をして離れる。
そして主催のリュッケンホゥ夫妻の元へ行き、少し気分が優れないことを伝えて会場を後にする。
この後、この求婚の話は噂として社交界に流れることとなるがそれはまだ後の話であった。
キュリエは部屋に戻りそのままメイドたちに暫く部屋に入るなと命じて部屋に入り、トイレに移動して思いっきり吐いた。
とても気持ち悪かった。あの求婚は確実にろくでもないものだと感じた。
なによりあの男が夫になると考えただけで頭がおかしくなりそうだった。
しばらくトイレで吐き、落ち着いてきたらベッドに移動し、少し横になって考える。
政治的効果、外交的効果。戦争回避。
たしかにいくつかの面ではいい方法かもしれない。冷静に考えればメリットがないわけではない。だがデメリットも同じくらい思いつく。
オフレコ的なものであったとしてもひとつの指針として帝国が持っている外交策と見るべきだろう。これはキュリエ一人の問題ではない。明日、外交大臣に相談するべきであるとキュリエは思った。
キュリエはメイドたちを呼び衣装を脱ぐ。
さっと湯浴みをして今日は早めに休むことにする。明日は朝早くここを立ち外交大臣に今日の件を報告しなくては。
そう思いながらベッドに入る。
…なかなか寝付けない。
キュリエは自分で持ってきた私物に手を伸ばす。
ランプをつけて取り出したのは一冊の本。
それは昔父がお手製で作ってくれた絵本。
「おてんば王女アンリエッタ」
当時父が話してくれた母との冒険譚。
それはほんとうかどうか知らないが子供のキュリエにはとても楽しくて何度も何度も父にせがんで話してもらった。
そのうち父が面白半分で作ってくれた絵本がこれだった。
おてんば王女アンリエッタと執事見習のダン。そしてまほうを使う狼、ルゥトデュランの2人と一匹の冒険ものがたり。
キュリエはなんども読んだその絵ほんを眺めながらゆっくりとした気分で眠りに落ちていった。
翌日、急報がアウルスタリア王宮に入る。
「ヴァッシュ王国、ブッシュテイン帝国軍を急襲」




