第34話 昇進
記憶の海を漂う。
懐かしい友と、小さなあの子。
気がつけば母親に似て、でも母親とは違った形でわがままだったあの泣き虫は今も泣いているのだろうか……。
「……ト、……ト・デュナン!!
…きろ……ルゥト・デュナン!
起きろ!! ルゥト・デュナン!!」
その声で意識が戻り、目を見開く。
目の前に険しい表情のカリーナの顔があった。
そんな彼女と目が合う。突然目を開いたルゥトと正面から視線が合ってしまったカリーナは硬直する。
「……状況を聞いても?」
ルゥトはカリーナの手で襟首を掴まれて倒れている上半身を引き起こされ、今から引っぱたこうと右手を振り上げている彼女に訊ねる。
一瞬固まっていたカリーナは「しまった」という顔をして目をそらし
「……いやぁ。ほら外傷もないのに気を失ってたら起こさなきゃってなるじゃない?」
申し訳なさそうより「惜しい、もうちょっとだったのに」が先行してそうな顔でカリーナは返事する。
だが急に真面目な顔になり正面からルゥトを見据え
「じ、冗談はさておき、サラが本気で心配してたんだからねっ!!」
そう言うとパッと手を放す。後方へ倒れ込むルゥトの頭。
急なことで手で支えることができず、そのまま頭を地面にぶつけるかと思い覚悟をすると、ぽふっと柔らかいクッションに救われる。
そして現れる無表情な少女の顔。
サラの膝の上で衝突を免れたのだった。
ルゥトは正面に現れた無表情な少女の瞳を見返す。彼女の瞳にも表情にも変化はないが、もうかれこれ一緒の時をすごしてきた。心配していたのが伝わってくる。
「すいません。無茶をし過ぎました」
そう言うと少女は黙ってルゥトの頬に手を添えただけだった。
ルゥトはその状態のままカリーナに視線だけを動かして質問をする。
「現在の状況を教えていただいてもいいですか?」
そう聞くとカリーナはコクリと頷き
「私たち護衛部隊は襲撃してきた野盗を完全には殲滅できなかったけど敵は各々霧散すでに組織としては崩壊していたわ。輸送部隊の損害は軽微だったのでそのまま目的地に向かってもらい、その後捕らえた野盗よりこの場所を聞き出してここに到着。すでに襲撃班が到着してたのだけど中の状況は……あなたの方が詳しいでしょう?」
カリーナは逆に説明を求む。という顔をしてこちらを睨む。
そんな彼女の背後の岩壁にはありえないほど巨大な三本爪の疵跡が残っていた。
「……ギーヴは?彼は無事ですか?」
ルゥトは一緒にいた少年の姿を探すために上半身を起こす。
最後に見た彼の場所に視線を送ると、そこには気を失っているのであろうギーヴとそれを後ろから抱きかかえるようにして泣いているミーニャの姿があった。
同じく2人を見たカリーナが
「大丈夫、命に別状はないわ。怪我もないけど意識はまだ戻ってないみたい」
怪我がない?ということはあの状態で「奴」の攻撃が直撃する前に飛んでいたのか?想定より強い攻撃でふっ飛ばされ、叩きつけられたから受け身が取れなかったのだろう。
なかなかいい反射をしている。ルゥトは感心した。
「そうですか。ここの功労者は彼です。少々暴走気味で侵入しましたが彼が敵を引きつけて野盗の逃亡を阻止。全滅させました。私はそのサポートをしたにすぎません。…ただ最後に出てきた相手が相当に強く、私も彼も倒されたと思ったのですが…」
……赤毛の男の死体に視線を送る。血だまりに3つに引き裂かれた死体が転がっている。
ルゥトは少し事実を改ざんする。
赤毛の男の存在が事を大きくしかねない。それだけは避けたかった。
問題はギーヴがどこまで覚えているかだが…
「ぅぅん…」
少年の唸り声が聞こえる。それに即座に反応したミーニャが声を掛ける。
「ギーヴ様!!ギーヴ様!!気をしっかり!!」
ギーヴを抱きかかえたミーニャがひどく狼狽しながらギーヴを優しく揺すり起こす。
ギーヴが目を覚ましたようだ。
「‥‥あれ?ミーニャ?ここは?」
少年は現状が分からないといった感じで頭を上げて辺りを見渡す。
ギーヴが目を覚ましたことに綺麗な顔をくしゃくしゃにしながらミーニャは少年を抱きしめる。
「ああ、ギーヴ様、あまり無茶をしてミーニャを困らせないでください」
ミーニャは擦れた声で涙ながらに少年に抗議した。
「…ごめんよ。ミーニャ。あんなやつが混じってるとはおもわなかったんだ」
そう言って後ろから抱きしめるミーニャの頬を優しく撫でて周りを見渡す。
「あの男はどうなんたんだ?」
少年は目当ての男が見当たらないことで記憶を思い起こそうと思案しているようだった。
そして血だまりに転がる男の死体、続けて巨大な三本爪の壁の疵跡をみて目を見開く。
「あ‥‥僕は……もしかしてやっちゃった?」
ぼそりとそう呟く。
立ち上がり少年に近づこうとしたルゥトは怪訝な顔をする。
少年のその呟きにミーニャの表情が険しくなる。
「ギーヴ様、その記憶はございますか?」
先ほどまでと違い、 冷たく冷静さしか残っていない声でミーニャが静かにギーヴに問う。その表情は先ほどまで取り乱していた彼女とは似ても似つかず、どこか機械的な無表情で遠くを見つめていた。
少年は少し空を見つめて倒れる瞬間の記憶を掘り起こそうとする仕草で
「よく覚えてない。でも絶望的に勝てる気がしなかったから。本気でやらなきゃと思ったのは覚えてる」
そう少し悔しそうに少年は答える。
その言葉を聞くと一瞬で優しい姉の表情に戻ったミーニャはもう一度ギーヴを強く抱きしめ
「そうですか。ではきっとそうなのでしょう。とにかく大事がなくてよかったです」
そう嬉しそうに囁いた。
そんな二人を見てルゥトはなにも言わなかった。
あの状況をみて「自分がやった」という少年。
それを確認したときのミーニャの表情、
少しひっかかったが「そう」思ってくれてるのなら好都合だった。
ルゥトは踵を返し事後処理を行うカリーナたちの所に向かった。
士官学校の講堂の壇上に校長のバーノイド大佐が立ち、目の前に整列している礼服を纏った士官候補生たちを見渡す。
今期の士官候補生たちの任官、昇進式であった。
候補生たちの左右に並ぶ教官、上官たちの一人、ゴリアード少尉が大声で候補生の名を呼び、一人ずつ壇上に上がってくる。バーノイドの前に立ち敬礼し、バーノイドの手で階級章を手渡す。そして握手をして
「帝国のため貴官の奮戦を期待している!!」
そう告げて敬礼をする。候補生は少尉となり初めての敬礼を返して壇上を降りる。
「続いて中尉に昇進する3名、ギーヴ・フォン・カリシュラム少尉」
そう呼ばれ、帝国最年少の少尉は壇上に上がる。
野盗の本拠地を叩いた功労者。
後日噂が流れ、彼を昇進させるために異例の特別任務が組まれたとまことしやかに囁かれた。
そしてわずか任官2か月で最年少中尉の誕生だった。
ギーヴが辞令と階級章を受け取り壇上より降りる。
「カリーナ・ヴァノフ少尉」
そう呼ばれ綺麗に化粧をしたカリーナが壇上に上がる。いつものお団子ではなく今日はポニーテールであった。
野党討伐の作戦立案、その準備、実行、事後処理を的確かつ効率よく行った彼女もまた少尉任官の栄誉をもらっていた。
最後に
「ルゥト・デュナン少尉」
そう呼ばれルゥトも前に出て壇上へと上がる。
ルゥトはギーヴのついで、に任官をもらった、ような形となった。本拠地への突入を2人で行った以上、片方だけ少尉にするのはさすがに世間体を気にしたのだろう。本来ギーヴのための特別任務は上層部の予想外の中尉を2人生みだすこととなった。
ルゥトが壇上を降り列へと戻る。
バーノイドは新たな少尉、中尉たちを見渡し
「諸君らはこれより各地に散って帝国の栄光のためその能力を遺憾なく発揮し帝国軍を勝利へと導き続けるため努力、精進を怠らない。よき帝国軍人になってくれることを切に望んでいる。以上だ。帝国万歳!!」
そう言って敬礼する。
ここに居るすべての者たちは姿勢を正し気をつけをして敬礼を返し
「帝国万歳!!」
そう唱和した。