第19話 王女キュリエ 思い出
リーエントが買い物に出たっきり戻らなかった日、キュリエの館は騒然となり軍までが動く騒動となった。
王女の個人的な使用人とは言え側近の出奔は国としても見過ごすことができず、内密に追手が出されたが、その足取りは掴めず国内にいるのか国外へ出たのかすら定かではなかった。
逃亡説、死亡説、他国の陰謀説とくさんの説が飛び交った。
一番の問題だったのはキュリエの荒れようだった。
彼女は時に怒り狂い、時に泣き叫び、かと思うと落ち込み動かなくなる。
精神の安定を著しく欠き狂ってしまったのではないかと言われるほどであった。
当然、公務に出れる状況でなく「王女急病」の報は国内を不安にさせた。
リーエントが消えて一週間が経過した。
彼の足取りは館を出たところまでしか追えず、忽然と消えたとしか言いようがなく、すでに捜査も打ち切られた。これは彼が公務には関わっていなかった、いうなら王女の個人の使用人であったのと、皮肉にも普段から出すぎず知りたがらず語らずの仕事の徹底ぶりを評価されての大事なしの判断を下された。
捜査の打ち切りを告げに女王の補佐官であるバールヴァル公爵がわざわざ王女の元に訪れて説明をした。
その後、しばらくしてキュリエ王女は公務に復帰した。
公の場に現れたキュリエ王女はいつもと同じく聡明で笑顔を絶やさぬ、次期女王らしい振る舞いであったので多くの国民は安堵した。
だが彼女の私邸では、多くの使用人たちの胃に穴が開きそうなほどの緊迫感が続いていた。
王女は・・・使用人を罵倒しなくなったのだった。
正確には心ここにあらず、というのが正しいのか使用人になんの期待もしていない。という風だった。
朝の準備も今までなら時間がかかろうものなら鬼の形相になり舌打ちのひとつもしそうな勢いだったが今はまるで無表情だった。
作業が終わっても能面のような表情で立ち上がるのみ。使用人が粗相をしたとしても目に入らないといった風だった。
その行動は怒られるより恐ろしいものだった。
使用人たちは今まで以上にピリピリして彼女を恐れ仕事に緊張感を増していった。
キュリエは夢を見た。
父が死んで悲しくて、悲しくて、でも父の代わりにずっと一緒にいてくれたのは母ではなくリーエントという名の青年だった。
彼はキュリエが泣いているとすぐに駆けつけてくれた。それがどんな状況であろうとも。
最初のうちは厳しい勉強の最中でも涙があふれて止まらないことが多かったが、リーエントがすぐに駆けつけてくれて優しく撫でてくれると自然と落ち着いた。
そのうち「人前で泣くのではない」とたまにしか会えぬ母に怒られてからは一人で泣くようになった。
そんなときも必ずリーエントは現れて傍にいてくれた。
いつも一緒にいてくれるリーエントが大好きでいつも甘えていた。
そんな日々が続いていたある日、いつも社交の世界について講義をしてくれる先生が言った。
「あの執事、あまりにも馴れ馴れしすぎますな。王族たるもの下々の者を甘やかしてはいけません。あれでは王女さまにいらぬ噂が流れます。卑しい執事といかがわしい関係である。と言われたら王家の権威にかかわります」
そして王族の心構えを説く先生も言った
「王たるもの下の者とあまり親しくしすぎるのはよくありませぬ。しっかりと立場を示すのは大事なことです。部下の特別視は他者の不平不満を生みます。そのようなことでは良き女王にはなれぬもの。我らが女王を見習いなされ。あの方は孤高のお方、我が子にすら甘えをお見せになられぬでしょう?」
下世話な貴族のご婦人方との御茶会でも言われた
「あの可愛らしい執事は王女様のお気に入りですの?ずいぶんと可愛がられていらっしゃるようで。あら?可愛がっていただいてるのかしら?うふふふふふ」
私の大事なリーエントはこんな奴らの下世話な視線に晒してほしくない。彼は崇高で誠実だった。
でも私の甘えた行動が彼を貶める。
キュリエは一つの決意をした。
15歳になった日。
「リーエント。私は今日より成人を迎えます。今までのように甘えは許されぬ身となりました。あなたもそのつもりで接しなさい」
王女の生誕祭への入場前の待合室でキュリエは後ろに控えるリーエントを見ずにそう告げた。
「畏まりました。姫様。お誕生日おめでとうございます」
彼の優しい声を正面から聞くことはこれから先ないのだと思うとその声で泣きそうになったがキュリエはグッと表情に力を入れて待合室を出た。
リーエントはもうついてこない。彼はこちら側にはもうこないだろう。
キュリエはキッと表情を引き締める。
その後、キュリエは自分を戒めるがごとくリーエントにつらく当たることとなる。そしてそれは自分の天邪鬼と反抗期でさらに加速され傍から見るとひどくわがままに見えた。