第18.5話 新人強化訓練偏Ⅹ
ルゥトはガイを座らせてから闘技場のサラを見て
「あ。まずい」
そうつぶやくとルゥトは素早くどこかへ移動する。
戦いそのものは一方的なものばかりで面白みに欠けたため、リメエラはつまらなそうに見ていた。
今度は女の子同士ですか。どちらもそれなりに可愛らしいので殴り合うのはあまり見たくないですわ、そう思っていたら
目の前に男の影が一人。突然沸いて出た。
さすがに急すぎて声を上げる間もなく
しまった、刺客か?と一瞬恐怖するリメエラ。
男は焦った感じで
「今すぐ目を閉じて姿勢を低くして身体を丸めてください。そして外界の感覚をできる限りシャットアウトして」
急にそんなことを言われる。
なにを言っているのだこいつは、と
「無礼者!!」と叫ぼうとしたとき
「間に合わないっ!!」
目の前の男は急に覆いかぶさってきた。
抗議の声を上げようとした時、「それ」は急に襲ってきた。
会場全体が重く黒く恐ろしいモノに覆われた。
リメエラは急に絶対零度の重りに踏みつぶされたような感覚にとらわれる。空気が薄く呼吸がままならない。なにかがぞぞっぞぞっと蠢くような感覚に捕らわれる。そう。それは『死』の予感。
「意識をしっかり持って。目を閉じて自分を保つことに集中してください」
そう自分を覆っている何かが声をかけてくる。
湧き上がるような冷たい恐怖にリメエラは吐き気を催す。
何が起こっているのか?わからない。
なんだろうこの感覚。
これは、これが『死』なのか。
根源の恐怖。ここがどこなのか、いまどこにいるのかが分からなくなってくる。
リメエラは気分が悪くなり吐く。
震えが止まらない。
だが自分を覆う何かは温かかった。人の温もり。
リメエラはその温もりに集中する。
極寒の中に見つけた焚火のように温かい。
そう感じていると恐怖も冷たさも遠いどこかのことのように思えてきた。
先ほどまでとうって変わって幸せが心の中を満たしていく。
今まで感じたことのない幸福感だった。
闘技場のセレンはゆらゆらと立っている少女を見てさっさと終わらせて寝よう。と思っていた。
「・・・・はじめっ」
という声が聞こえたので走って行って蹴って終わり。そんな感覚だった。
だが、その甘い考えは一気に消え失せた。
急にそうなんの前触れもなく、それは起こった。
ズシリとなにかに押さえつけられるような感覚。
全身が硬直して力が入らず、なにもしていないのに足の力が抜けて地面に衝突する。
奥歯が勝手に震えだしガチガチという音だけが頭の中に響いている。
なんだ?この状態は???
百戦錬磨のセレンにとって屈辱以外の何物でもない感覚に襲われる。
心臓を何かに捕まれたかのように収縮したような感覚。
押しつぶされそうになり地べたに這いずる。
「な、なんだぁ・・・・」
恐怖。そうとしか言いようのない感覚に支配される。
周りには今まで感じたことのない『死』が渦巻いていた。
その『死』をまき散らしているのは・・・目の前の少女であるのは疑いようがなかった。
その鬼気迫る迫力、見るだけで意識が遠のきそうになるのを唇を噛み正気を保つ。
だが、どんどんと負荷が増していく。全身は動かなくなり心臓がキリキリと痛い。
動機が激しくなるのではなくどんどんと弱まっていく感じがする。
意識が遠のく感じはまるで魂が引き抜かれて行くような感覚だった。
このままでは・・・本当に死ぬかもしれない。
戦うことなく、抗うことなく。
それだけは、それだけは絶対にっ!!!
セレンは最後の気合を使って手足に力を入れ立ち上がる。
「どうだ!!来い!!」
そう正面の『死』に向き合う。
そこに小さな拳が飛んできて・・・
セレンの意識はそこで途絶えた。
会場にいる誰もがこの状況を飲み込めずただ正気を保ち心臓がうっかり止まってしまわないように抗うのがやっとの状態だった。
闘技場内にいるブランドーは今までにない『死』の恐怖と戦っていた。
な、なんだ?これはっ!!ふ、ふざけるなよっ!!これは激戦区の戦場より質が悪いぞ。
彼はなんとか地に足があるのを意識して身体から精神が切り離されないように踏ん張った。
くそっ!!なにが起こっているんだ?
目が開けれない。開ければ・・・きっと・・・そこには死神が鎌を振り下ろす瞬間を見てしまう気がした。
渦巻く恐怖と『死』を体感する、という表現がしっくりくる状況で第二王女を思い出す。
しまった!!姫様。彼女に何かあればここで死なずとも処刑台に立たされるのは必至だった。
彼はなんとかこの場から離れようと手足に力を入れる。
だが・・・その努力は虚しく・・・
フッと圧力がなくなる。
まるで豪雪の吹雪が急に止んで晴れ間が出たように。
ブランドーは恐る恐る目を開ける。
目の前は先ほどまでと変わらぬ光景。
ただ中央に立っていた女性は少女一人となり、セレンは泡を吹いて倒れている。鼻がひっしゃげて鼻血を出しているところを見るとサーラシェリアが一撃を入れたのだろうと思われる。
ブランドーは辺りを見渡す。先ほどまで感じた『死』の恐怖はどこへやら。なにも、そうなにもかも普通だった。
他の教官を見ると全員うつ伏せに倒れている。
丸まって嵐が去るのを耐えていた者、完全に屈服してセレンと同様に泡を吹いて白目を向いている者、嵐が去ったのをいち早く察して我を取り戻している者。
何が起こったのかは検討も付かなかったが誰が起こしたのかは一目瞭然だった。
サーラシェリア訓練生。
この少女は何者だ??
ブランドーは彼女の経歴を思い出そうと・・・
して第二王女のことを思い出し背筋に氷が滑り落ちる。しまった!!失態だ。
「リメエラさまっ!!!!」
ブランドーはすぐに走り出す。だが足がもつれて上手く動かない。
転がるように彼女の元に駆けだした。
ギーヴはさすがに声がでなかった。
「なに???今の???」
震えが止まらない。闘技場からだいぶん距離があったおかげで大して被害がなかった、ということだろう。それでも『死』の恐怖に鷲掴みにされ、初めて感じる恐怖に足が竦み頭がくらくらした。
ミーニャも同じく急な恐慌状態に対応できずしゃがみ込み荒い息を吐いている。
「ミーニャ、大丈夫?」
ギーヴはそう声をかける。
「ハッ、ハッ、ハッ・・・だ、大丈夫です。さすがギー・・ヴ様・・・このような時でもわたくしめに気を使って頂ける・・・・とはさすがです」
ミーニャは息絶え絶えだが嬉しそうに頬を赤らめて応えた。
ブランドーは何度も転がりながらなんとかリメエラの元にたどり着く。
「姫様っ!!ご無事ですかっ!!!」
そう声をかけると
「・・・騒がしいですよ。まずあなたが落ち着きなさい。・・・大丈夫です。急なことで少し取り乱しましたが大事はないです」
リメエラは口元をハンカチで押さえて座っていた。少し酸っぱい臭気がしたが無事なリメエラを見てブランドーは安堵した。
「ご無事でなによりっ!!体調は大丈夫でしょうか?」
そうブランドーは問いかける。
「・・・だ、だいじょうぶです。すこし・・・驚いたくらいですわ」
そう頬を赤らめて顔を逸らす。
ブランドーは違和感を感じた。
なんだ?この反応。姫様らしくない。
それにあの状況でなんの訓練もしていない姫様が被害がないとは・・・。
いや、被害がないことはいいことだ。だが、なんだこの妙な感じは・・・
ブランドーは気持ち悪い感覚に捕らわれた。
少し呆けているブランドーに向かってリメエラは目くじらを立てて
「そんなことよりっ!!いまの現象!!なんですかっ!!早急に調べなさい。しかし、先に選考を終わらせてしまいなさい。私は部屋に戻りたいのっ!!」
いつものリメエラの反応にブランドーが焦って
「はっ!!すぐに事態を収拾して任務を全ういたします!!」
ブランドーはすぐに闘技場に戻る。
彼が去っていく後ろ姿を見届けて
「・・・・あなたも自分の場所に戻りなさい。これで貸し借りはなしよ」
そうリメエラが自分の後方の闇に目を向けてそこにいる男に告げる。
「・・・お心遣い、感謝いたします」
そう男の声がして気配は消えた。
「・・・ふん」
リメエラは先ほどの恐怖体験と温かい至福の時を思い出し頬を赤らめてそっぽを向いた。
ブランドーが戻ると闘技場には最後の訓練生、バニック・ラウが降りてきていてイキリ倒していた。
「お、審判もどってきたか!!さぁ、最後の試合をしようぜ!!これで俺も晴れてこの訓練所をおさらばできるんだろ?さぁこいよ!!ミーニャ。おめーにはイライラしっぱなしだったんだ。上から目線でよ!!ガキの子守役が調子こきやがって!!ここを出れば金もらっておさらばだ、さっさとこい!!」
そう叫びながらミーニャを挑発していた。
ブランドーはため息をつき、先ほどの現象の調査のために一時中断、と考えている旨を口に出そうとしたところに、ストンとミーニャが降りてきた。
「審判の方、中断は無用。すぐ終わらせますので始め、だけおねがいします」
ブランドーはめんどくさくなり
「わかった。最後の試合だ。はじめっ!!」
そう言って2人の闘いを認めた。
「勝者、ミーニャ・ミートリア」
そう呼ばれミーニャは小さくお辞儀をする。
そんなミーニャの前には無残にもボコボコにされて顔の識別もできないほど変わり果てたバニックが痙攣しながら倒れていた。
「これにて早期卒業者は
ルゥト・デュラン
ギーヴ・フォン・カリシュラム
・・・サーラシェリア・ロー
ミーニャ・ミートリア
の4名となる」
歯切れ悪くブランドーが宣言する。
教官たちはざわつき、状況を確認するために議論している。
「トラブルはありましたが結果は結果です。以上の4名は明日より見習士官として、最後のカリキュラムを士官学校にて受けてもらい、その後「少尉」を任官、配属となります」
闘技場に歩いてきたリメエラ王女はそう宣言する。
全員が姿勢を正し、敬礼をする。
「なにはともあれ、帝国のためにこれからより一層励んでください。以上です」
そう宣言してリメエラはこの場を後にした。