幼き子に遊ぶ幸せを
ぱちり、弾ける音がする。
「……あんたのちっさい手じゃ上手く剥けないでしょう。ほら」
「あ、ありがとうございますう」
火鉢の上でぱちりと音が鳴る。
真白は蜜柑の皮を剥く少女の、拙い手つきを見兼ねて奪うようにその手から蜜柑を受け取り、手早く皮を剥いてやるとその手に戻す。
彼女の近くには、花びらを開いた花のようにひと繋ぎの蜜柑の皮が何枚も積み上げられている。
明らかな食べすぎだが、座敷童の少女との会話の間が開くたびに彼女は誤魔化すように蜜柑に手をつけていた。
「まだまだ寒いわね」
「はい、少し」
外から細い隙間を通って吹き込んでくる冷たい風と、火鉢がぼんやりと温かくしている彼女達の周囲でかなり温度の開きができている。
真白は手を擦り合わせながら「ほう」と息を吐き、正面の少女を見つめる。座敷童の少女から、穴が空いてしまいそうになるほど見つめられていたからだ。
蜜柑を剥くことで間を持たせているとはいえ、気になるものは気になるのである。
「どうかしたの?」
「……えっと、あなたは、すごいなあって」
「すごい? 私が?」
忙しなく手を動かし続けていた真白の手が止まる。それだけ意外な言葉だったのだろう、きょとんとして座敷童を見つめ返した。
このときばかりは大人びた彼女も、少しばかり年相応に目を丸くして驚いている。
「はい、すごいです。私から見ると、その……」
少女が目を逸らす。それだけでなんとなく察した真白は、機嫌を悪くしたのか眉を寄せる。彼女が言いたいのは、村人達に疎まれて生活にも困っている真白のことである。
「不幸に見えるのに、不幸じゃないと言い張るからかしら?」
決めつけられることが嫌いな彼女にとっては、そう言われることも嫌がった
「だからね、私は」
「決めつけないで欲しい……ですよね。分かっています。私が同じ立場になったら、きっと不幸だと思うなあ……と、そう思っているだけですから」
苦笑いをして座敷童は蜜柑の粒を口の中に放り込む。
歯を立てればじゅわりと、甘酸っぱい蜜柑の果汁が彼女の口の中に広がった。
「私は座敷童ですから、幸運を、幸福を人々にもたらさなければなりません。それが償いだからです」
「償い?」
首を傾げた彼女に、座敷童は「むかし、むかし」と、懐かしむように言葉を紡ぎ出した。その言葉は、彼女の生前の出来事。彼女が人々の幸運を奪っていたと思われる時期の話である。
いくら病人に近づいても病にかからず。
事故が起きても自分だけが助かり。
そして誰一人として座敷童のことを責めることがない。
そんな状況。
幸運を奪い続け、自分だけが助かるということが何度も繰り返し、繰り返し起こる。明らかに自分のせいなのに、大人達は決して少女を責めることがなかった。むしろ可愛がり、「お前が助かって良かった」と笑う始末。
少女の心は、それに耐えきれなくなってしまった。
自分を責め続け、行き場の失った怒りや悲しみは自身へと牙を剥き、そして少女は自分自身の存在さえ許せなくなってしまった。
誰もが彼女を許しても、彼女自身が自分を許してあげることなど、到底できなかったのだ。
そうして、少女は神社の前でまでやってきて自決したのである。
自身の命で村人達が助かるように。奪い続けた幸運を返すために。
「気がついたら、私はこうなっていました」
そう締めくくって少女は苦い笑いをこぼす。
ぱちりと、火鉢の上で明るい火が跳ねた。
「私が座敷童となったのは、きっと罰なんです。人々から奪い続けた幸運と幸福を、今度は返していくためにこうなったんだと思います。だから、あなたにも協力しようと思っていたのですが……まさか嫌がられるだなんて思ってなくて。そこは浅はかでしたね」
真白が自分の申し出を受けないことを、困ったように口にする少女。
そんな少女を半目になって見つめていた真白は、その場で大きな大きなため息を吐くと、「あんた、なんにもわかってないのね」と呆れたように言った。
「え?」
目をまん丸にして驚く少女に、真白は眉を跳ね上げる。本当に気がついていないらしい少女に、そして環境と重圧によって考えが歪んでしまったその心をときほぐすように。
「あんたが幸運を奪っていた? 幸福を人から奪っていた? そんなの、とんだ妄想よ。ちょっと自意識過剰なんじゃないかしら?」
ずけずけとはっきり物を言う真白の言葉に、少女は動揺する。
まさかそんなことを言われるだなんて思っていなかったからだ。そんな風に自身の考えを否定されて、傷ついたように少女は眉を下げる。
――ああ、この人も私の苦しみを分かってくれないんですね。
少女の中にぽっかりとした穴が空いたように、空白が出来上がる。
もちろんのこと、座敷童を目にできる人間は真白だけではない。数十年の月日の中で、少女は己を見ることができる人間には何度も出会ったことがあった。
しかし、その誰もが彼女自身の身の上話をすると厄介者を扱うような、腫れ物に触るような扱いに変化してしまうのである。
そんな風に遠巻きにされるのはまだマシで、ときには追い出されることだってあった。現在は幸福を運ぶ座敷童だとはいえども、生前不幸を振り撒いていたと知れては、いつ自分達にもその不幸が降りかかるのだろうと考えてしまうからだ。その力の方向性が生前と同じ物には絶対に戻らないと、そんな保証はどこにもないのである。
「……なにか勘違いをしているわね? あんた、自意識過剰な上に被害妄想まで強いんじゃないかしら」
「そ、そんなこと言わなくたって!」
散々な言いように、とうとう少女は泣き出す寸前の表情になってしまった。
そんな彼女に、真白は真剣な顔で言う。
「あんたが幸運と幸福を奪っていた? そんなのありえるわけないじゃない」
「でも、だって実際に!」
「駄々を捏ねるんじゃないわよ。話を聴きなさい」
立ち上がり、悲鳴をあげるように声を出す少女に、真白は座ったまま冷静になるように促す。そして、今にも泣きそうな少女にこう言った。
「だってあんた。幸福を奪っているわりには、まったく幸せそうに見えないわ。こうやって悩んで苦しんでるのは、不幸以外のなにものでもないんじゃないかしら? 決めつけるなって言っている私が言うのは間違っているかもしれないけれど、そう見えるのよ。あんたは幸せそうには見えないわ。これなら、私のほうがよっぽど気楽に幸福に生きているって断言できるわよ」
その言葉は、少女にとって衝撃的であった。
「私が……不幸です……?」
「ええ、そんなふうに自分を責め続けて、許すこともできなくて、誰よりも大切な人を何度も失って悲しんで……結果的にあんたは病気にかからず長く生きたのでしょうけれど、それを苦にして自害までして。それのどこが幸福だって言えるの? 少なくとも、私にはそんな人生……不幸にしか思えないわよ。あんたがそれを幸福だったって言うのなら、私の思い違いだけれどね」
少女は戸惑っていた。そんなことを言われたのは、生前も、そして座敷童になってからも合わせてはじめての出来事だったからだ。
目を見開いて、「私が、不幸……?」と信じられない言葉を聞いたように繰り返す少女。すっかりと考え方が歪ませられていた彼女に、真白は言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「たとえば、村の人々から幸福をあんたが奪っていたとするでしょう。そうしたら、あんたはその心まで幸せいっぱいになるはずよね。なのに、あんたはちっとも幸せそうなんかじゃない。むしろ村の人に許されてしまったばかりに、自分で自分を許してあげることもできずに苦しんでいたわけよね。これのどこが、幸せいっぱいなのかしら?」
「そう……ですね」
長年凝り固まってしまった思い込みを。歪んでしまった思想を。少しずつ、少しずつ和らげながら真白は問う。
「自分を大切にしてくれる人が死んで悲しかったでしょう?」
「……はい」
「目の前で友人が死んで、嫌だったでしょう?」
「……はい」
「皆の助けにならない、そんな自分に嫌気が差していたんでしょう?」
「……っはい」
「こんな自分なんて死んでしまえばいい。自分が身を挺して神様に捧げ物をすれば、皆の不幸が終わるかも知れない。そう思ったんでしょう?」
「は、い……ぃ」
立ち上がったまま、拳を強く強く握りしめて少女は歯を食いしばる。
そこにあったのは、大きな瞳いっぱいに涙を溜めて、今にも決壊してしまいそうな、壊れてしまいそうなほど繊細な少女の姿であった。
「まったく、世話がかかるわね。正直言うと、神社の前で自決なんて迷惑もいいところだけれど」
明け透けに物を言いつつ、真白も立ち上がる。
そうして、痩せ我慢を続ける少女をゆっくりと抱擁した。
「あんた、頑張りすぎなのよ。もう頑張らなくていいのよ」
「わた、し、は……! うっ、ご、ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……! 私、みんなを、みんながいなくなるのが嫌で……! 私が、いるからいけないんだって、思って……!」
「そんな風に難しく考える必要なんてないわ。子供は子供らしく無邪気に遊んでいればいいんだから。だから、今は我慢なんてしないで思う存分に泣けばいいの」
「……っ、ありが、と……ございまっ……」
「お礼なんていいから」
大きな瞳からぽろぽろとこぼれ落ちる涙。
少女の小さな体を、それほど体格の大きくない真白が包み込むように抱擁してその頭をゆっくりと撫でる。鶴のような羽織で温めるように、少女の涙が、真白以外が見ることのないように、覆って隠す。
きっとその涙を他人には見られたくないだろうと、そんな真白の優しさであった。
「あんた、名前はなんだっけ?」
「……ぅ、ぐす……ゆゆき……由々喜です。由々しき事態の由々に、喜びで由々喜。姓は……ありません」
「そう……」
真白は少女を抱きしめながら、ふと神社の庭に毎年咲く花の存在を思い出した。その花は、ちょうど神社の鳥居の近くに咲くもので、それを彼女と照らし合わせて考える。
――そして。
「なら、あんたはこれから名前を遊幸と改めなさい。遊ぶ幸せと書いて遊幸よ。座敷童のあんたに贈る誕生日のお祝いね」
少女を抱きしめながら、真白はほんの少し移動して障子を開ける。
「へ……? なま、え……ですか?」
「ここからじゃ見えないかしら……」
少女の疑問に返さず、ぼやくように真白が言って少女に顔を向ける。
「あんたが自決した鳥居の近くにね、毎年綺麗な花と実が生るのよ。烏瓜……別名で玉章って言うのだけれどね」
一拍置いて、彼女は優しく微笑んだ。
「今の時代、姓名揃ってるのが普通よね。だからあんたには玉章の姓をあげるわ。あんたが死んで、そして生まれ変わっただろう場所に咲く花の名前よ。だからね玉章遊幸と、今後は名乗るといいわ。私があんたの幸せを保証してあげる」
「いい、のですか?名前なんて……大切なものをつけてもらって」
「ええ、いいのよ。あんたの名前は遊ぶ幸せ……遊幸。座敷童になったんなら、これからは存分にその生を楽しみなさい。そうなったのにはきっとわけがあるもの。本当にあんたに償いだけをさせるなら、地獄へ落とせばいい話だものね」
目をぱちくりと瞬きをし、少女……遊幸はゆっくりと言葉を咀嚼し頷く。
そして、優しく己を抱きしめ撫でる真白に、今度は彼女自身から手を回した。
「私、私ここに住んで絶対に今以上にあなたを幸せにしてみせます。だからどうか、えっと、これから……よろしくお願いします」
「……神社に住むからには働いてもらうからね」
ほんの少し照れ臭そうに真白は笑って、承諾した。
障子を開けてしまったため再び冷え込んできているが、今は二人分の体温がそこにある。少しの間ならば、寒さを凌ぐことくらいできるだろう。
こうして……神社には新たなあやかしが一人増えることとなったのである。




