神社に住まうあやかし達
真白のたおやかな白い手が急須を傾け、こぽこぽと音を立てながら湯のみにお茶が注がれていく。その動作ひとつひとつを見つめながら、雷模様の羽織を脱いだ美丈夫が「ほう」と溜め息を吐いた。
秋の冷たい風が部屋に入り込み、くるくると循環しては隣の部屋へと移っていく。その静かなひとときに、男――破月はそっと目を閉じる。
「こうして静けさを楽しむというのも、たまには良いものだ」
「そう思うなら口を閉じていなさいよ」
「こういうのを、侘び寂びと言うのであろう?」
「間違ってはいないけれど……悪かったわね、なあんにもない場所で」
本来、侘び寂びの精神とは厭うべき貧した生活や、不足の多い生活に対して美の意識を見出した言葉である。粗末な庶民の使う言葉であり、本来ならば大きな神社を管理する真白は当てはまらないはずである。しかし、彼女の周囲の環境がそれを許しはしない。
着物や羽織こそ美しく高価なものではあるが、その生活は常に困窮していた。麓の村人達が彼女に対して物を売ろうとしないのである。物々交換さえできず、人々の困りごとを解決してみせることだけが、彼女への貢ぎ物へと化けるのだ。
そんな真白が現在も食い繋ぎ生きているのは、ひとえにその努力と山菜の力によるものが大きい。
しかし、齢十二の育ち盛りの彼女には、それだけではとても足りない。故に、真白を同年代の子供と比べると病的に痩せ細り、身長も全く伸びず、未成熟としか言えない状況である。
早い女性ならば既に来ているであろう月のものも、彼女は露と知らずに育っていた。知識だけならあるかもしれないが、自身には関係ないと断じていると言っていい。
「その、甘いお菓子をありがとう。あれ、高かったでしょう」
「いいや、好いた女の為だ。安いものよ」
「……そう。はい、お茶」
コトンと急須を置いて、真白は湯のみを彼の前へと移動させる。
彼女が破月に出している茶も、出涸らしのような随分と薄い色をしている。白湯とそう変わらないのではないか、という程に。
ここにも貧する生活の表れが出ていた。
「おお、真白。茶柱が立っているぞ。これは目出度いなぁ。お前が淹れた茶だからだろうなあ、我は嬉しいぞ」
「褒めてるの? 貶してるの? どっちよ」
「褒めているつもりだったのだが……どこかおかしかったか?」
眉を下げ、寂しそうな表情をする彼に真白はうっと詰まる。
彼が純粋に褒めていたことは理解しているからだ。ほんの少し意地の悪いことを言って困らせてやろうと、そんな子供のようなことをしてしまったことを今更ながらに恥じているのである。
「なんでもないわ……私ができるのはこれくらい。あんたに応える気はさらさらないから、それ飲んで早く出て行ってちょうだい」
「なに、何度でも訪問するさ。手土産に甘い菓子でも持ってな」
「……」
一瞬、顔を上げた真白は期待の視線をしかけて、また顔を伏せる。
まだまだ子供らしさの抜けない彼女は、無理に大人のように振る舞おうとしている節がある。それを破月は見抜いているのか、孫を甘やかす爺のように笑顔を浮かべている。
「……休憩は終わりよ。少し冷えるから、羽織じゃなくて打ち掛けでも羽織って出ようかしら」
「ほう、着物はたくさんあるのよなあ。それは御母堂のものか?」
真白は和室の隅にある衣紋掛けに向かい、分厚いその打ち掛けに手をかける。
「……分かんないわ」
呟いてから彼女は衣紋掛けをちょんちょんと指でつつき、それに背中を向けた。その不思議な行動に首を傾げた破月が口を開くと、質問が口から出てくる前にその答えが示される。
「いつもありがとうね」
衣紋掛けにかかっている打ち掛けの袖から誰その腕が伸び、衣紋掛けから外して彼女に羽織らせたのである。
いや、と破月は食い入るようにその光景を見つめる。
どうやら、打ち掛けの袖から出てきた腕ではなく、打ち掛けの下にある小袖から腕が伸びているようであった。
その腕は打ち掛けを真白に羽織らせると丁寧に整えて裾を上げ、動きやすいようにしてやっている。
小袖から出ているのが腕だけでなければ、まるで親子のようなやりとりであった。
「ほう、『小袖の手』か」
「ええ、昔からいるのよね、この子。手伝ってくれるからありがたいのだけれど」
「真白には親がいないのか」
「だから分かんないのよ。亡くなったのか、それとも……」
捨てられたのか、という言葉はとうとう彼女の口から出てくることはなかったが、破月はそれだけできちんと理解した。
「小袖の手に、家鳴り。小さなあやかしに随分と懐かれているのだな、真白は」
「別に、好きでいさせているわけじゃないわよ。退治する労力が惜しいだけ。それだけなんだから。この神社の神様も、なぜか許してくれていることだし」
「おお、そうと言われればそうだなあ。どれ、今度お前を嫁として貰い受けにきたと挨拶をせねばな」
「喧嘩を売りに来たとしか聞こえないのだけれど」
「はっはっはっ、気のせいだ」
「気のせいじゃないわよ、もう」
毎日神社に現れては強引に押し入り、かと言って真白に無体を働くわけでもなく世話を焼いて帰っていく。そんな気まぐれな男に、彼女は諦めを滲ませながら溜め息を吐いた。
「他にも変な提灯とか、害のないあやかしが結構ここにはいるけれど、あんたみたいなでかいのはお呼びじゃないわ。だって可愛くないもの」
「我は可愛くなくても良いのだ。格好良くしてお前の心を手に入れてやろうとしているのだからなあ」
「そう、全く嬉しくないけれど、ありがとう」
「心がこもっておらんぞ」
「あんたに込めてあげる心なんてないわよ」
「辛辣よなあ」
とほほとちっとも悔しくなさそうな顔で破月が言う。
どうやら彼女の住む神社は、まだまだ賑やかになりそうであった。




