慈しみの巫女
「秋は食べ物をたくさんもらえるからいいわね」
藤の散った着物に、鶴のような白黒の羽織を着た少女が呟いた。
秋の到来を告げる少し冷たい風が、起き抜けの少女の長い黒髪を攫っていく。
少女はほう、と手のひらを小さな口から吐き出される息で温めながら、神社内の廊下を歩いていた。
この日の彼女はどうやら、そのたっぷりとした長い黒髪を頭の上で結わずに、風で遊ばせたままにしているらしい。普段髪に差している椿の簪は着物の帯に、扇子と共に差している。
少女――真白が廊下を歩いていると、側の部屋からわらわらと毛玉のような生物とも取れるもふもふのナニカが転がり出てきた。その毛玉達は一様にハタキのようなものや、小さな箒のようなもの、そして小さなチリトリと膨らんだ麻袋を大勢の毛玉で取り囲み、運んでいる最中だったようだ。
ひとつひとつの毛玉が小さく持てない分、集団がその背中に乗せることで密集しながら大きなものを運べるようにしているらしい。
「家鳴り、お掃除は順調かしら? ネズミは出ていない?」
「……! ……!」
「そう、ご苦労様。ありがとう」
「……!!」
「いいのよ、お礼だもの。みんなで食べなさい」
真白が取り出したのは可愛らしい巾着と、その中に入った色とりどりの小さな星のような菓子。金平糖である。それらを家鳴りと言われた怪異に差し出した真白は、びっくりしたように飛び跳ねる毛玉達に笑いかけて、巾着を集団の上に乗せた。
「私はこんなに小さくて可愛らしいもの、勿体無くて食べられないもの。だからあなた達が食べなさい。いいわね?」
「……! ……!!」
「いつもありがとう。さ、休憩に行ってらっしゃい」
優しい笑みで白い毛玉達を見送る。
毛玉達は掃除道具とは別に群れが離れ、大事そうに巾着袋を運んで行った。どうやら、掃除道具と共に運ぶのは失礼だと判断したらしい。そんな小さな生き物のいじらしい心遣いに、真白はますますと優しい表情をした。
「妬けるではないか」
「また来たの?」
神社の敷地内、その木々の隙間から覗く目玉が二つ。
男、破月は目を細めてふわりと宙に浮かび上がり、真白の目の前までやってくると地に降り立った。
「ちょっと! 土足厳禁よ! あの子達がせっかく掃除してくれたのに台無しになるでしょう!」
「おお、これはすまなんだ。なに、我が掃除してやるさ。ご褒美は……お前との口吸いなんてどうだ?」
「お断りします」
鮮やかな即答であった。
「なんとも、頑なだなあ」
「当たり前じゃない。それに私はまだ12歳。あんたが期待しているようなことはなにひとつ実を結ばないわ。残念でした」
鼻を鳴らして真白が挑発的に言う。だから諦めろと言わんばかりの態度だが、破月はのほほんと呑気に言葉を紡ぐ。
「ふむ、我が望んでいることの意味は知っているのだな。ならばそのときまでの真似事でも良いだろう? それに、竜を舐めるでない。竜の我とならば未発達だろうと問題はない」
「なっ、こんの……!」
「はっはっはっ、話題に出したのはお前だぞ?」
真白が振り上げた足をするりと避けた破月が掴む。
「ちょっと、離しなさい!」
今までと同様なら、破月は彼女の足技に沈むはずであった。
しかし、現に彼は余裕を持って彼女の攻撃を避けているどころか、受け止めてしまった。予想外の出来事、そして先程から要求されていることを考えて焦る真白に、破月はそのまま背中に手を回し胸の前で抱き上げる。
「嫌っ、嫌よ!」
その行為に、顔色を蒼白にした真白が叫ぶ。
それに対して破月はというと、ほんの少しだけ寂しそうな顔をして言った。
「分かっている、無理強いはせんよ。女子なのだから、足を上げれば着物が乱れるだろう。それにお前は働きすぎだ。少し休め」
「……掃除してるだけよ」
「知っておるぞ。先日も、そしてまたその前も、山を越え町に降り、怪異退治をしておるだろう? 無茶は良くないぞ」
その言葉に真白が抵抗をやめ、黙り込む。
身に覚えが嫌という程あったからだ。気遣いともとれるその言葉に、思うところがあったのかもしれない。
「それに、体を壊してしまえば良い子は産めぬからなあ」
「あんたね、一言余計なのよ!」
やはりどこかズレている破月に、真白が抵抗を再開する。
しかし、がっちりと掴まれてしまっているため、なかなか抜け出せないようだった。
「ふむ、我を倒した際の力は一体どこへ行ったのだ……?」
「霊力で底上げしているだけよ。私自身は人間なんだから、非力に決まっているでしょう! ほら、私を手篭めにしてもいいことなんてないわよ」
「霊力か、なるほどなあ。その才能が子にも宿れば良いなあ」
「あんたね、私があんたの物になること前提で考えないでよ!」
「しかし、真白。満更でもないだろう」
「はあ!?」
ありえない。
そう言いたげに真白が口元を震わせる。
しかし彼女も他人から受ける優しさというものを久しく感じていないのは事実。彼女は決して認めはしないだろうが、その寂しさから来る心の隙間を無理矢理にでも埋めようとする破月には辟易すると同時に、嫌ではないと感じる彼女もいたのである。
「我はお前を愛することができるぞ、真白」
……だからこそ、真白は破月を殺さない。いや、殺せない。
しかし、そんな思いの全てを彼女は胸中に封じ込めて目を瞑り、息を整える。
秋の空気が、カラカラになった彼女の心を撫でていくようだった。
「それでも、ありえないわ。心の隙間につけ込むような行為はね、悪霊がやることよ。それは愛なんかじゃない。愛だなんて言わないわ」
「そうか」
ほけほけと、なんでもないように返事をして破月は真白をとある一室で下ろした。
「ほら、町で良いものを買ってきたのだ。一緒に食べよう」
「……まずは餌付けってことかしら?」
「そうは言っておらん。お前が働きすぎだから、そのご褒美にすぎぬ。あやつらには――」
言いながら、破月が向いた視線の先には金平糖を一粒抱えて喜ぶ家鳴りの姿。
「あやつらには、褒美をやる者がいる。それは真白、お前だ。しかし、お前には褒美をくれる者などおらんだろう? ならば、我がその役を買って出てやろうということだ」
「…………」
黙り込む彼女に、破月は笑いながら事前に用意していた菓子を手に持つ。
「シベリア、というカステイラと羊羹を合わせた菓子なのだそうだぞ。きっと美味い。一緒に食べよう」
「……」
俯いた真白が、シベリア菓子を手に取り、一口かじる。
「……甘い」
小さな小さな、ともすれば空気にでも溶けてしまいそうなほどの声で彼女が言った。
「そうだろう、そうだろう。たんとお食べ」
「……あり、がと。お礼くらいは、ちゃんと言うわ」
控えめに感謝を告げる彼女を、破月は嬉しそうに笑いながら眺めているのだった。




