甘藷《かんしょ》のように甘くはなく
「疲れたわね……」
藤の散った白い着物に、同じく白い鶴のような模様の羽織を着た少女が独りごちる。結った髪に飾られた椿の簪が、彼女の動きに合わせてシャラリと揺れる。
神社の境内を箒で掃除する少女は、眉間を軽く揉むようにして空を仰いだ。
「結局、殆どの食べ物はダメだったし……変な奴に付きまとわれるし、いいことなんてひとつもなかったわね」
早朝、小鳥がチチチと囀る音に合わせて彼女は箒を動かす。
彼女の住む神社には人気がなかった。山奥に存在するその場所に、そして人とは外れたその技に、彼女を不気味に思って訪れる人間など誰一人いなかった。
そんな神社の鳥居には、月と蛇を冠する文様が刻まれている。
大きな巻き角を持つ蛇の祟り神を祭神に、大昔から存在している場所であった。
『夜刀神社』
そう、そこは呼ばれていた。
「のう、真白。ここは真白一人か?」
「……飽きもせず、よく来るわね」
「我は質問をしているのだぞ、真白よ」
そして、その様子を木陰から見守る着流しの男が一人。
黒に雨と雷紋の着流しに、上から刈安色の羽織を重ねて着ている美丈夫が少女に尋ねるのだった。
「……あんたには、どうだっていいでしょうに」
素っ気なく答える彼女に男は首を振る。
「どうでも良くはないぞ。我とて不義理をするつもりはないのだ。お前に親がいるのならば、挨拶をするのが筋というものだろう」
「そもそも私はあんたの言葉を受け入れてなんかいない」
少女――真白は掃除を続けながら、木陰から眺めてくる男の相手を続ける。
「はぐらかすということは、ご両親はいないのだな? なんと、こんな小さなお前に親がいぬとは……病気か? それとも山賊か?」
「言葉は通じているはずなのに話が通じないやつね……あんたにはそんなことどうでもいいでしょう! 話しかけてこないで!」
啖呵を切るように真白が怒鳴るが、男は笑みを深くする。
「ならばお前を庇護するものはこの社の主くらいか」
「……そうかもしれないわね。でも、一度も見たことはないわ。だからなおさらあんたには関係ないわね。それに、ここの神様は姿を見ると祟られるもの」
その巨大な巻き角の蛇を見た者は血縁が絶えるまで祟られると言われているのである。それは、管理をしている真白のような神社の関係者も例外ではないのだ。
「ふむ? それならば村の者か? しかし先程挨拶をしてきたときには非道い言葉しか聞けなかったぞ。お前を人とも思わぬ人間共を助けてやっても、お前にはひとつの得もないだろう?」
「それを聞いて、どうだと言うのよ。私はただ、子供の頃から育って来れたのは村の人のおかげだから、その恩を返しているだけにすぎないわ」
「恩なあ……お前はもう十分返しているのだと思うが……」
掃除の手を止めて彼女は苦い顔をする。
「あのねぇ、名前も知らないあんたにそんなことを話すいわれもないわ。それに、あんたみたいな人の大事なところをズカズカ踏み込んでくる失礼なやつに話すわけもないでしょう」
「おお、そうだったな。我の名は『破月』と言う。確かに失礼なことをした」
「……名乗ればいいってもんじゃないわよ。私の言葉、聴いてたの?」
彼女の言いたいことの二割も解さずに男――破月が柔らかな表情で笑う。
人である真白と、そうではない彼では認識に相違があるのだ。真白はなにを言っても理解しようとしない彼にうんざりとしながら溜め息を吐いた。
「お前があやつらに尽くし続けるいわれはないぞ。喜んで我の嫁となるがいい」
「恩を十分以上に返しているのは分かっているわよ。でも私がやりたいからやっているの。口出ししないでちょうだい。それとあんたの嫁にはならないって言っているでしょう」
「そうか、そうか。他人のためにそうまで必死になるとは、人間の考えはよく分からんなあ」
すっかりと箒を片付け始めた彼女に、破月はただ見ているだけである。
ここで手伝いのひとつでもすれば彼女の気をひくことくらいは多少できたのかもしれなかったが、自身が強者であると自負している彼にその発想はない。
「あっそ。人間じゃないあんたにはきっと理解できないわよ」
「そうかもなあ。しかし、寄り添うことはできるぞ? 我の懐で暖まらんか?」
「お断りします」
腕を広げる彼を、真白は虫でも見るような顔をしながら眉を寄せた。
境内に集まった枯葉の山に背を向け、彼女は住居としている神社の中へと入っていく。
それについていきながら破月は語りかけ続ける。
「我の嫁となれば苦労はさせん。あんな奴らにお前のその才能はもったいないぞ」
「うるさいわね、余計な口出ししないでって言っているでしょう」
「むう、なぜだ。なぜ我の嫁になるのが嫌なのだ。苦労はさせんし、可愛がるし、イイ思いもさせてやれるというのに」
勝手に隣を歩く彼を、真白は睨め上げる。
「その視線が気持ち悪いのよ。また踏みつけにされたいのかしら?」
「はっはっはっ、それは怖いなあ。それでお前が満足するなら満更でもないぞ? どうか我の子を孕んでおくれ」
ついに直接的なことを言い始めた彼に、真白は猫のように飛び退りながら己の体を抱いた。
「……鳥肌が立ったわ。やっぱりあんたは退治しないといけないみたいね」
「はっはっは」
そうして食材を貯蔵している厨に逃げ込んだ彼女は、彼を極力視界に入れぬようにしながら食材を並べ始める。
「ふむ、甘藷か」
「……カビる前に食べておかないといけないもの」
それは救荒作物として伝播している紫色の芋。甘藷であった。
彼女は村とは独立して暮らしているため、あやかし退治の報酬としてこれらを多く所望し、保存食として利用しているのである。
しかし今回は雨でその多くが濡れてしまっていたため、保存食とするよりも焼いてすぐに食べてしまうことにしたのだろう。
「ほほう、お前が焼いてくれるのか? それはそれは美味いだろうなあ」
しかし、破月は高慢な態度を崩さない。
またもやうんざりとした顔をした真白は大きな溜め息を吐いた。
「あんたにやる食材なんてないわよ」
「そ、そうなのか?」
当たり前である。
「無条件で施しを受けられると思わないことね」
「我は貢がれるのが当たり前の地位ぞ」
「あっそ、そう思うならなおさら私とは合わないわね。さようならー」
手を振って彼女は作業に戻る。
そして甘藷をいくつか籠に入れ、境内へ戻るように歩き始める。
「よいではないか! 食わせておくれ!」
「頼む態度ってもんがなってないわよ。あとどっか行って」
「未来の嫁の飯を食わずしてなにが夫か!」
「承諾なんてしてないわ。むしろあんたなんか願い下げよ。嫌いなの、視界にも入れたくないから去りなさい」
「そ、そこまで言うのか!? こ、こうなったら無理にでも組み敷いてしまう必要が……」
「できるもんならやってみなさいよ、このっ、欲情トカゲ!」
「グホァッ!?」
そして我慢が効かなくなったのだろう。
彼女はぽいっと籠を上に放り投げ、次いでふわりと羽織をはためかせながら空中に浮かび上がり、そのまま後ろに回転をして破月の顎を蹴り上げる。
それから、仰け反るように廊下に倒れた破月の上に着地する。
彼女が手を差し出せば、投げられた籠が元通りにその腕の中に収まった。
鮮やかなその手並に彼は満身創痍になりながらも「ほう」と感心する。
「うむむ、いや、それにしてもこのほっそりとした白い脚のどこにそんな力があるというのやら」
真白と破月の視線が合う。
もちろん、彼の視線は彼を踏みつける彼女を下から見上げる形となっていた。
「なっ、覗くな!」
「真白よ、さすがにそれは痛いのだが」
顔面を踏みつけられ、目を覆い隠された破月が呟く。
「あんたがしつこすぎるのよ!」
「我よりも強い女子は滅多におらなんだ。強い子を孕んでくれる女子でないと意味がないからなあ。執着するのも致し方ないだろう?」
明け透けなまでに最低な発言である。
これがあるからこそ、真白の拒絶が強くなるのだと彼は理解していないのだ。
「……っ、お呼びじゃないわ! あんたみたいなやつ、大っ嫌いよ!」
廊下に真白の大声が響いていく。
近くの木々から、声に驚いた雀が飛び立っていった。
「ふんっ」
そうして倒れたままの彼を置いて、真白は早足で廊下を進む。
「……それに、あんたは私がいいんじゃなくて、強い女なら誰でもいいだけじゃないの」
真白のか細い呟き声は、誰にも届くことなく空気に溶けていくのだった。




