ざわめく森
ざわざわと、寒気の厳しい朝に木々が薙いでいた。
そんな森の中を白く小さな影がぴょんぴょんと跳ねて駆けていく。風に追われるように急ぎ足で、小さな小さな白い影がまるでなにかから逃げ去るように。
ざわり、ざわりと木々が騒めく。
そんな森に〝黒い風〟か〝黒い雲〟としか言いようのないものが飛来する。
ぶうん。ぶうんと無数の羽音が響き、揺れる木々を取り囲んでは数秒程で通り過ぎていく。
黒い雲が通った後に残る木々には、枯れ葉ひとつとして残らない。
そうして黒い雲はひとつひとつ、森の木々を禿頭にしながら進んでをいくのである。白く小さな影を目指して。
「冗談じゃねぇや!」
森の中を白く小さな影が跳ね駆ける。
小さな小さな、けれどどこか普通とは違い口先が嘴のようになったウサギが、黒い雲の悪態を吐きながら駆けていく。どこまでも。
ウサギと黒い雲が通ったあとに、緑はなにも残らない。
そんな状態にどうしようもないと嘆きながら、ウサギは遠くへ遠くへと逃げていくのであった。
◇
「はあ? ……町を挟んだ村で、畑が壊滅した? それどころか森まで? どういうことよそれ」
「そ、それが、我々にも分からんのです。すみません巫女様」
神社の境内に少女の声が響き渡る。聞こえようによっては怒気のこもったようなその声に、目の前にいた年嵩の男性は萎縮したように声を詰まらせている。
鶴のような羽織を着た少女――真白は怒っているわけではない。ただただ素直に驚いて大声が出てしまっただけなのである。しかし、彼女の力が強大であり、得体の知れないものであることを知っている村人にとっては、その彼女を怒らせてしまったかもしれないというだけでも恐怖なのだ。
それはひとえに真白の人となりを知らない……いや、知ろうとしないからこそのすれ違いである。出会って数週間としか経っておらず、更には人ではない破月でも、彼女がそんなことで怒るような短気な人間でないことはよく分かっているのだから。
「ええ、けれど分かったわ。調査すればいいのね。なにか変なやつの仕業だった場合、この村にも被害が出たら困るでしょうし」
「ええ、ええ、あっちの人らは食料が根こそぎなくなっちまったんで途方に暮れているんです。俺達もなんとかしてやりてぇが、そんな余裕はないですから……」
「ええ、そうよね。私に売る食料すらないんですもの。仕方ないことだわ」
当然のように言った真白に、村人の男が口籠る。
そしてどこか申し訳なさそうに、しかし彼女が怒っているのだと思い萎縮して体を震わせた。
「へ、へえすみません。本当にすみません。なかなか巫女様に食べ物をお渡しすることができず……」
「いいのよ。なにもあなた達が食べる分まで取ろうだなんて思わないわ。私は山菜もあるし……まあなんとかなるわよ」
真白にとっては事実を言っているだけだ。真白が買い求めようとしても村人達は彼女に食料を売ることがない。彼女が食いつないでいくためには村人達からのお願いと依頼を聞いて怪異を討伐するしかないのだ。
しかし、食料が貴重であるというのは村人達の真っ赤な嘘である。不気味で得体の知れない才能を持つ彼女を、無償で手元に置いておきたいだけなのだ。それも手に負えなくなれば食料を盾に脅して言うことを聞かざるを得ない状態にしている。ひどい扱いではあるが、村人達にとって猛獣と同義である彼女の手綱を握るのは必要なことだ。
彼女はそれを知らず……いや、分かっていながら心に留めないようにしているからこそ、本気で食料がないのなら仕方がないと言っている。別に目の前の男を責めるつもりなどなかったのだ。彼がただ勘違いをしているだけで、真白は嫌味を言うくらいなら正直に辛辣な言葉を投げかける。彼女はそういう性格なのだ。これも彼女と少し接していれば分かることにすぎない。
日々どれだけ、真白のことを蔑ろにしているのかが窺い知れる話だ。
「でも、その食料さえなくなるのは本当に困るわ。じゃあ私は調査してくるから、あんた達はしっかりと貯蔵してある分は鍵をかけてしまっておきなさい」
「は、はい。ありがとうございます」
村人に忠告をし、話を終わらせる。
逃げるように山を降りていく様子を見送り、彼女は溜め息を吐いた。
「なあ、真白よ。あのような無礼な者の願いなど聞いてやる謂れはなかろう」
「私が好きでやってるんだから口出ししないでちょうだい」
今のやりとりを黙って眺めていた男……破月がひょっこりと神社の中より顔を出す。すっかりと馴染みの顔となってしまった彼に、真白は嫌そうな顔をして返事をする。それでも無視をしないあたり、一応気にかけてはいるようだ。
冷たい風が二人の間を駆け抜けていく。
真白の黒髪がそれに釣られて揺れ、破月はそんな彼女の元へと歩み寄った。
「ほら、冷えてしまうだろう? 一旦中へお入り」
「ここはあんたの家じゃないのよ? 何様のつもり?」
「家主が先日のように風邪をひいてしまっては困る故にな」
「んっ、そ、それは……悪かったわよ」
「なに、謝る必要はない。押しかけているのは我だからな」
「自覚あるならここに来るのをやめてほしいのだけれど」
「それは無理だ」
爽やかな笑顔で真白の両手を握り込み、顔を近づける破月。
そんな二人の間に小さな影が「たたたっ」と走り寄った。
「こらー! 真白様が困っているでしょう! あなたは強引すぎます!」
つい先日から神社の住民となった座敷童……〝玉章遊幸〟である。
「はっはっはっ、すまなんだ。どれ、べっこう飴をやるから見逃してはくれないか?」
「え、餌付けで引き下がるとは思わないでください!」
「それに、私はこれから調査なの。口説いていないでさっさと帰りなさい」
遊幸の頭を撫でてやりながら、真白が凛として言う。
しかし破月はめげずに笑顔のまま断った。
「その調査とやら、心配ゆえ我も同行しよう」
「嫌よ」
「嫌と言ってもついて行くから問題などないぞ」
「は?」
そんな調子で口喧嘩を続けつつ、結局最後には折れる真白なのであった。




