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虹を渡る人

morico

作者: 岡野 風衣菜

守子はあまりに綺麗な女の子だった。ダサくて有名だった僕らの高校の制服をしゃんと着こなし、黒くて長い髪は毎日きれいに梳かれていた。彼女の周りにはいつだって誰かがいたし、平凡な僕とは違い、勉強もできて笑顔も素敵だった。


守子は女子からも男子からもモテた。その毒気のなく詰まりながらも言葉を選んで話すところや、他の女子みたいに悪口を軽々しく言わないところが、身内を信頼していない女子に好感を得た。男子はほとんど話せないくせに、遠くから守子のことで盛り上がることが多かった。


当の僕はというと、中の下というか下の上ぐらいのグループに属しながら、カースト上位に目を付けられないようにあくまで意図的に、意図的に平凡でい続けている、気でいた。仲間内でこっそり思春期特有のDVD鑑賞会するくらいしか、特に生きがいとかはなかった。




最近、気づいたことがある。守子は5月くらいから昼休みに教室からいなくなるようになった。進級したときにクラス替えがあったから、さすがの守子でも元のクラスが恋しくてエスケープでもしたんだろうと思った。けれど昼休み終わりの守子の背中が水面みたいに緑に光っている気がしたときから、僕は守子から目が離せなくなった。


それから僕は昼休みの前後の守子を、変態がましくも観察することにした。僕らの制服は男女とも上はワイシャツ、下は紺のスカートとズボン。女子は赤い紐みたいなやつをリボン結びにしていた。守子のワイシャツはいつもアイロンをぱりっとかけられて真っ白だった。けれど昼休みから帰ると確かにシャツの色が変わっているのだ。しかも友達と楽しそうに笑っている日ほど、濃い緑になって帰ってくる。たぷんたぷんと波打つワイシャツは誰の気にも留められていなかった。


「浩司ぃ」

のっぺりした声に呼ばれる。


「なーに見てんだよ、そんなに守子が好きなのか?」

僕がつるむような連中はすぐ物事を恋愛に結び付けたがる。


「そんなんじゃねぇよ」

僕は笑いながら返したが、実際そうだった。好きとかじゃない。ただ休み時間が終わるたび緑に濡れる人気者に興味が尽きないだけだった。




ある昼休み、僕はついて行ってみることにした。


4時間目の終了のチャイムが鳴る。数Ⅱの教科書をばたばた閉じる音とペンをかちゃかちゃしまう音に先生の宿題の話がかき消される。女子たちは声を掛け合って椅子を持ち寄り弁当を広げた。守子だけは、その時だけは誰の意識をもすり抜けて、教室から出ていくのだった。僕は追った。


守子は隣のクラスをぐんぐん通り過ぎて階段を下りて校舎を出た。昼休みで騒がしい廊下を何とか抜けながらいつの間にか校門さえ出ていた。


僕らの高校の裏門を出てすぐのところには小さな丘がある。もう荒れてて散々だから人は誰も寄り付かない。夏の夜になると肝試しをするやつがいたりいなかったりするくらいだった。守子はそこに足を踏み入れた。僕は声をかけた。


「なにしてるの」

「散歩」


ちょっと驚いたあと、いつも通りの笑顔を作って守子は言った。まだシャツは白い。たぶんこれからだ。

僕はそう、とだけ返して踵を返した。守子はそれを見とめるとさらに奥へと歩いて行った。僕は守子の影を追って、音を立てない様に後を追った。


さびれていたはずの裏山には、信じられないくらいの生き生きした黄緑色の植物でいっぱいになっていた。守子は山のてっぺんよりかは少し下のあたりで、腰丈の植物を見つめていた。小さな葉をたくさんつけたその植物は、強い日光に照らされてきらきら輝いている。守子は少し悲しそうな笑顔でその植物に触れた。途端、守子の制服に緑のセロファンを透かしたみたいに透明な光が差した。真っ白のワイシャツに緑色の波が揺れる。思わず声を漏らした僕の方へ守子が振り返る。


「見られちゃったか」

「ごめん」

「うーん。話してたの、植物と」

「……言葉が分かるのか」

「なんとなくね。でも、教室にいるよりはずっといい」


そう言って目を細める守子に僕は何も言葉が出なかった。遠くの方から授業五分前のチャイムが聞こえてきて、僕らは一緒に山を下りた。教室までは一言も話さなかったけれど、守子の背中の緑の光は細く切なくちらついたままだった。




クラスの人気者の守子はある種の殻なのだと知ってから、僕はなんだか守子が不憫に思えた。そして守子はクラスでも時々僕に話しかけるようになった。たぶん、口止めの圧力なんだと思う。


違和感は国語の授業の時だった。僕らの古典の先生は厳しい。


「はいじゃぁ、さっき当たった岩本さん。好きな番号を言って」


「13番でーす」


守子の番号だった。どこからかクスクスと笑い声が聞こえて来る。クラスの半分ぐらいの奴らは何が起こったのかわかっていない顔をしていた。岩本はクラスの中でも上位カーストにいる女子だった。髪は指導されないギリギリぐらいの茶髪で、スカートはとても短い。ついこの間まで守子とも普通に話していたような気がしたんだけど。


その問題は守子にも難しいものだったらしく、守子は答えられなかった。先生は、ちゃんと予習したの?と守子を晒すような言い方をする。


「すみません……」


と小さくうなだれる守子を、岩本と周りの女子は好奇に満ちた目で観察していた。


その後の休み時間、岩本は守子の席に駆け寄って、


「ごっめーん、13番ってあんただったんだね」


それだけ言い放って群れるグループに帰っていった。守子は顔色一つ変えていなかった。




3,4限は生物の実験だった。顕微鏡で観察する類のもので、プレパラートの上に試料を乗せてカバーガラスを乗せる。カバーガラスはとても薄い。


「割ったら理科室の掃除手伝えよー」


恰幅の良い男の先生の声に、みんな怯えながら対物レンズを下ろしていく。


守子が顕微鏡を操作している時、岩本と仲の良い男子がふざけて守子の背中にぶつかった。その拍子に守子の顕微鏡のカバーガラスは割れた。


理科の先生は女子生徒に指導を理由に触ることで有名だった。大体の生徒は気持ち悪がっていたし、岩本たちがそれを知らないはずはなかった。


「調子に乗りすぎなんだよ」


もはや誰の声かもわからなかったけど、近くにいた僕には聞こえていた。守子の班とは遠かったから表情はわからなかった。


チャイムが鳴って、守子が先生に放課後来いよ、と言われる。先生は心なしか少し嬉しそうで、それを見た岩本たちも嬉しそうだった。




教室に戻って、みんな席を移動させる。購買に駆け出す奴もいる。守子はもう教室にいなかった。僕は階段を降りて、昇降口を出た。


木の生い茂る丘を登っていくと、僕が踏みしめた草から鼻につく青臭い匂いがした。茎が折れて半透明の汁が滴る。僕にはそれがどことなく血液に似た何かのように感じて、ちょっと身震いした。


守子がいたのは丘のてっぺんの木の陰だった。仰向けになったまま何かを食べている。


「守子、ここにいたのか」

「何しにきたの、何もできないくせに」


守子は起き上がって笑った。口から色んな緑の葉が落ちる。


「君もまさか、なかまだって言うんじゃないでしょう」


守子の目の色はは怒りと、悲しみと、守子自身も言葉にできなない何かでぐちゃぐちゃだった。


「人は言葉が多い。いつだって。言わなくても。ただでさえ自分を守らなきゃ生きていけない時期なのに。なんで他の人から私は殺されなくちゃいけないの。気を遣わなきゃいけないの。私だって私を生きたい。生きたいのに。自分のことを話したら、理解されようとしたらエゴな気がして堪らない。どうやって生きたらいいの。たぶん世の中の若い人は死にたいんじゃない。生きるのが難しすぎたのよ」


守子は普段よりずっと圧のある声で続けた。手のひらで握りつぶされている雑草からは青臭い汁が垂れる。


「なんで教室は殺しあうの。血とかじゃないけど。お互いの自己を測りあって、心のどこかで自分より下だって安心して。自分より上の人種かもしれない危険を感じたら攻撃する。それも見えないように。気持ち悪くて反吐がでる」


守子は続ける。


「そりゃあ自分の物差しをもつことは大事なことだと思う。でも、だからってその価値観を押し付けて自己のマウントをとるのは違うと思う。あぁ、でも私だって今の君にそうしてるね。ごめん」


守子は一呼吸して泣き笑いの顔になった。その笑顔はあまりに苦しそうで、綺麗で、僕はまた立ち尽くしてしまった。


「あぁ、もう」


守子が叫ぶと背後の植物がうねり出した。それは僕ら2人に襲いかかってきて、気がついたら2人で丘から転げ落ちていた。守子はそれからしばらく泣いていたし、僕は守子の髪に絡まった葉っぱたちを遠慮がちにとってやることしかできなかった。黄緑でいっぱいだったはずの丘を見上げると、荒れ果てた枯れ木に変わっていた。



あれから僕は結局特段何かができたわけでもなく、守子とは進級と同時に違うクラスになってしばらく経つ。先生から頼まれたノートの山を抱えながら僕は職員室に向かっていた。ふと髪の長い女子生徒が肩にぶつかった。ノートのバランスを懸命に取りながらその女子の方に目をやる。


「もり…」


僕の声は半端なまま廊下の喧騒に消えた。彼女は哀しそうに僕を一瞥すると友人のもとへと駆けていった。

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