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אריה האלוהים 神のライオン  作者: 水色奈月
Chapter #2
7/19

Part 2-2 Azure Crest 蒼穹の紋章

Aspermont North Northeast Margaret Sky West TX., USA 11:05 Sep 14th 1998


1998年9月14日11:05 アメリカ合衆国テキサス州西部アスペルモント北北東マーガレット上空



 突然に眼の前で止まった回転翼にザカライア・ウエンズディは背にどっと汗が吹きだした。



 彼はまずエンジン再始動の手順を記憶から手繰り寄せた。セスナは両翼内に燃料タンクがあり、通常その両側から燃料を送り込む。



 片側の燃料が極度に少ないなど様々な理由から左右どちらのパイプラインも選べる。彼は片側のタンクが空になり燃料供給系が空気を吸い込んだのを危惧した。もしもそうなら燃料供給系を切り替えても再始動は不可能に近い。



 だが整備士のデイヴ・アルドリッチは満タンだと言っていた。セレクタが両供給(BOTH)になっているのを確認し大気速度計を見た。



 機速が落ちると急激に高度を失う失速の危険性があった。



 わずかに操縦桿(ヨーク)を押し出すと風圧が上がりプロペラが回転を始める。ザカライアは再始動の手順に従いスターターを回してみた。



「あなた、大丈夫なの?」



 数回試したがエンジンが再始動する気配がなく後席から妻のクラリッサが身を乗りだして彼に尋ねた。



「心配するな。大丈夫だ。空港まで滑空(グライド)すればいいから」



 妻を安心させたもののエンジンが止まったままどこまで飛べるかまったくわからなかった。いいや、確か滑空で飛べる距離の出し方があったはずだ。それを思い出せずに彼は内心焦った。



「だいじょうぶだよダディ。高さはどれくらい?」



 驚いたザカライアは左の席にいるヴィクトリアへ振り向いて見つめてしまった。娘は座席に立ったままメーターバイザー越しに前を見ていた。



「今────2千8百フィート──だ」



「うん、だと4マイルは飛べるよ」





 ザカライアは娘が言っている事が一瞬理解できなかった。数秒ヴィクを見つめ、彼は娘が言ってるのは最長滑空距離だと気づいた。もっとも効率の良い姿勢で滑空した場合の距離なのだ。



「うーん、ダディ、押し過ぎ」



「えっ!?」



 彼が慌てて操縦桿(ヨーク)を引くと、ヴィクトリアが怒った。



「だめだめ、ダディ! 引きすぎ! 飛べる時間は増えるけど近くまでしか飛べないし、やりすぎると翼の上で空気が渦を巻いて離れてしまうよ」



 ザカライアはヴィクに驚き続けた。滑空飛行(グライド)の最長飛行時間は最長飛行距離よりも低い速度になる事を思いだした。5歳の娘が本当に理解し言っているのだ。



「ダディ、わたしが操るあいだに降りる場所を探して」



 娘に操縦桿(ヨーク)を任せ彼は横から手を伸ばし機長席のコントロールパネルの液晶モニタに直近の空港を呼び出させた。



「一番近い空港だと北西にチルドレス空港があるが────駄目だ。遠すぎる42マイル(:約68km)もある」



「それじゃあ、近くに下りましょ」



 娘の提案を否定する理由はなかった。無事に下りられればこの際、空港でなくてもかまわない。



「不時着か! よしヴィク操縦を代わる」



 そう告げザカライアは娘から操縦を引き継ぐと地上を近場から順に見渡した。真下は長方形の農地がパッチワークの様に広がっている。衝撃はあるだろうがどこにでも下ろせそうだった。だが真東の600ヤードほど先に農地にはさまれた南北に走る農道が眼に止まった。そちらへ急激に操縦桿(ヨーク)を切ろうとしてヴィッキーからたしなめられた。



「ダディ、あぶないよ。遅く飛んで翼をかたむけ過ぎると翼の上の空気がバイバイってはなれちゃう。そうなったら飛ぶのにけっこう力がいるし、浮いている力が急になくなるから低いところまで落ちるよ」



 その遠回りな言い方にザカライアは今一つピンとこなかった。翼の上の空気がバイバイ? それって境界層剥離(はくり)──!!──失速(ストール)の事だ!


「ヴィク、お前どこで、いいや誰に失速(ストール)を教わったんだ?」



「すとーる? ストローのこと? しらな──い。近いからゆっくりと大回りしましょ」



 ああ、そうだったと彼は操縦桿(ヨーク)を戻し右のペダルにかけていた力を抜いた。そうして緩やかな旋回を始めた。



 その間にも高度はどんどん下がり続け1300フィート(:約400m)にまで落ちていた。



「ヴィク、今、高度1300、あとどれくらい飛べるかわかるか?」



「1.9マイル(:約3km)も飛べるから大丈夫だよ」



 即答した!? こいつどうなってるんだとザカライアは驚き、ベテランのパイロットみたくすらすらと答える娘に聞きたい事が山ほど膨れ上がった。だが娘の言葉に勇気づけられ彼はもう十分に落ち着きを取り戻していた。機首側に農道が入ってくるとザカライアはその農道に合わせ飛行コースを微調整し始めた。



 幸いにその農道を走る車はいない。



 下ろすなら今だと彼は思った。



「よし、下ろすぞ。ヴィク、シートに座りなさい。2人ともシートベルトを」



 妻と娘が返事をし、ヴィクは座りベルトをして眼の前の計器類をじっと見つめ首を傾げた。その様に気づいたザカライアは娘に尋ねた。



「ヴィク、計器の見方がわからなかったのか?」



「うん、ぜんぜんわかんな──い」



 計器も読めない5歳の子供がどうして高度から滑空(グライド)距離がわかったのだ!? 滑空(グライド)距離は向かい風や追い風、さらには機体重量も関係し、ベテランでも様々な誤解をしている。それだけではない。ヴィクは失速(ストール)の意味を知っている。旋回する航空機の失速(ストール)速度は高くなり、それまで直線で飛べていた速度では左右の翼が不均等に揚力を失う。その結果、スパイラル──錐揉きりもみ状態で急激に落ちる事を彼は唐突に思いだした。



 見ると農道が目前に迫っていた。



 急激に高度を落としすぎたとザカライアは操縦桿(ヨーク)を引こうとした。だがヴィクが隣の席でその操縦桿(ヨーク)を力を込めて押し込んでいた。



「ヴィク、落としすぎたんだ!」



「ダディ、まだだめ! もっとスピードがいるの! 道に何かいるの!」



 道に!? ザカライアがキャノピィの先に視線を戻したその時、農地からトラクターが入り込んで止まった。それが娘に見えるはずがなかった。シートに座ったヴィクはメーターバイザー越しには何も見えていないのだ。







「ダディ、今よ! 上がるの! シルフ、風をちょうだい!」







 娘が彼に命じた直後、緩やかに空転していたプロペラが突然狂った様にうなり回転しだしザカライアは思い切って操縦桿(ヨーク)を引いた。



 刹那、前方のトラクターと農道が急激に下へ消え眼前に青い空が広がった。



 その寸秒、彼は座席から身体が浮き上がるのを感じシートベルトに押さえ込まれ、軽い衝撃と共にキャビンが上下に揺れると眼の前にずっと先に続く道が見えザカライアは地上に止まっている事に気づきつぶやいた。





「着地────したぞ」





 確かに着地していた。だがまったく滑走しなかったのは間違いなかった。



 迎え角を大きく取り過ぎた。完全な失速(ストール)状態におちいったはずだった。



 ザカライアは緩やかな回転に戻ったプロペラを見つめ風に──向かい風に抱き下ろされた事に気づいた。瞬発的な突風に乗り前進していた速力と完全に釣り合った状態で軟着陸したのだ。



「大丈夫か、ヴィク!? クラリス!?」



 我に返り彼は娘と妻の身を案じた。



「私は大丈夫よ、ヴィクトリア、あなた今、シルフに風を下さいと──シルフって誰なの──?」



 座席の間から身を乗りだしたクラリッサ・ウエンズディが尋ねると、左の座席に座るヴィッキーが夫妻に振り向いた。





「わたしのお友だち。シルフィード──風の民、スルヴェストル」









 ウエンズディ夫妻は無邪気に答える幼子の首からあおい優美な紋章(クレスト)が消えかかるのを確かに眼にした。












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