Part 1-3 奇跡
Weatherford, West-TX. 11th Aug 1998
1998年8月11日 テキサス州西部ウェザーフォード
焔の巻き返しにこの娘が掠われる。
そう感じた瞬間、ザカライア・ウエンズディはつかんでいた不審者を横に投げ飛ばし、両腕で顔を庇いながら出口を求めさ迷う幼子の元へ駆け寄った。
髪が縮れ、腕や肩のコットンシャツに火が立ち上っても彼は女の子を助けたいが一心で脚を繰り出し顔を焼かれると覚悟して庇っていた両腕を振り下ろしその子に伸ばし抱きしめた一閃────。
まるでそこが別世界の様な気がした。
周囲は劫火に覆われているのに高原にいる涼しさに理解及ばぬ彼が眼を游がした刹那、女の子が乗っていたステイションワゴンの隣の車のガソリンタンクが誘爆し白と赤と橙のハレーションが何もかもを覆い尽くした。
それでもザカライアはその子を抱きしめ放さなかった。
その火焔地獄が次の瞬間、渦を巻き始め彼の足下からひき剥がされると、上空へと立ち上り踊る焔の渦が急速に吸い上げられ消えていった。
直後、急にあらゆる音が押し寄せてきた。
人の喚く声や、悲鳴、大声で誰かを気遣うそれらの音に彼は我に返えると、女の子を力強く抱きしめて声をかけていた。
「もう大丈夫だから──心配はいらないんだよ」
優しく言い聞かせながら、彼の見つめる先に後部ドアの開いた真っ黒に煤け燻ったステイションワゴンが煙を幾筋も登らせていた。
その前席に取り残された真っ黒に焼けた幼子の両親の姿を絶対に見せてはならぬとザカライア・ウエンズディは女の子をしっかりと抱き寄せていた。
「あなた! ザック!」
妻の声に彼が顔を振り向けると、その先に突き飛ばした男が真っ赤に焼けた皮膚を曝し呻いていた。
いったい何だったんだあれは?
まるでハリケーンの目にいたような静粛と安寧。不審者の男よりも自分の方が爆発したステイションワゴンにずっと近かった。周囲十数台の車も焼け焦がれ酷い有り様なのに。
救急車の開いた後部ドアの間に腰掛けた彼は、救護士に女の子と一緒に簡単な症状を尋ねられ、彼はともかく幼子がまったく髪の毛1つ焦がしていない事に彼が戸惑っていると駆けつけてきた保安官の1人が彼に尋ねた。
「それでザカライアさん、あんなに激しく焼けた車の間際でどうやってその子を火傷1つ負わせずに庇えたんだ?」
「まぐれです──そうとしか答えようがない。神が許さなかったんだ。この子が傷つくのを」
両肩をすくめた年配の保安官から、とりあえず病院で治療を受け事情聴取に協力してくれと彼ら夫妻は言い渡され、承知した彼に膝に載せた女の子が淡く青いくりくりした瞳を輝かせ彼に尋ねた。
「マーマとダーディは?」
彼が返答に詰まると、脇に立っているクラリッサが両膝を折り女の子の視線に顔を下ろすと優しく言って聞かせた。
「そうね。どこに行ったのかしらね。戻ってくるまで叔母さんと叔父さんがあなたのそばにいるから心配しないでヴィクトリア」
女の子は頷き夫妻にこぼした。
「────」
その瞬間、ガンショー会場の建物を飛び越して一機の小型レシプロ機が爆音で幼子の声をかき消し白い翼を翻し急上昇を始めた。
ザカライア・ウエンズディの膝に載っ女の子は顔を上げ上空で曲芸飛行を始めたスタント機を瞳を輝かせ見つめていた。
民政員から正式な通知を受けた時に彼は妻の喜び様に驚いた。
警察と児童福祉課の職員がかなり念入りに調べたが、ヴィクトリアには焼け死んだ両親以外に親族はおらず、ザカライア・ウエンズディはコネを使い後援をしている州知事の口利きで女の子を養女として迎えた。
ヴィクはあの日以来、両親がいつ戻るのだと困るような質問は口に出さずに、ウエンズディ家の邸宅住まいを始めた。
彼ら夫妻は自分達の子となったヴィクをたいそう可愛がり、欲しがりそうなものを何でも買い与えた。ヴィクは何か買ってもらうとその時は喜ぶが、すぐに大人しくなってしまう。そうして何かが欲しいとは決して口に出さない。
そんな幼子がある日、夫妻と3人で散歩中に農地へ農薬を撒きにゆく高翼のレシプロ機をじっと見つめる事にザカライアは気づいた。
「ヴィク、飛行機が好きか?」
「うん。お空とびたい。お空だいすき」
ヴィクトリア・ウエンズディと正式な名になり1ヶ月目、ザカライア・ウエンズディは自家用機のセスナ182スカイレーンに初めて娘を乗せ大空に上がった。
まだ4歳の幼女がその才覚を彼ら夫妻に焼きつける一歩前にいた。