The peaceful afternoon
カチカチと壁掛け時計の音が響く。
この静けさが苦にならなくなったのはいつからだろうか。
唯一響く時計の音も、もう僕を急かす事はなくなった。
僕の隣にいる綾小路先輩に息苦しさを感じなくなったのはいつからだろう。
彼は空色のパジャマを着て、気持ち良さそうに寝ている。
温度を感じ取れないほど微かに、人差し指の先が綾小路先輩の手の皮膚に触れた。
ピクリと揺れたのは僕の神経だろうか。それとも彼の神経だろうか。
夜中でもないのに寝静まっているこの空気が揺れるのを怖がるように、彼は視線だけを僕に向けた。
スヤスヤと寝息をたてるこの空間。それを起こさないように僕もできるだけ静かに手を重ねた。
湯船の温度をそっと足で確かめるように、彼の近くへと躙り寄る。
視線の糸を手繰り寄せながら、じりじり、じりじりと。
やがて糸の終着点を示すかのように、互いの鼻先がついた。
目の前には彼の顔がある。
視界一面を人間の顔が覆っているのは何とも不思議な感覚だ。
手から伝わる温かさとは逆に、触れた鼻先は少し冷たかった。
綾小路先輩の口が、何かを発しようと微かに動いた気がした。
しかし、そこから言葉が出てくる事はない。
静かに頬を撫でる温かい息は彼のものだろうか。それとも彼の頬にはね返った僕のものだろうか。
柔らかいそれが音もなく横髪を揺らす。
次第に音を大きくし始める鼓動を抑えるように、ごくりと唾を飲み込んだ。
鳴らした喉の音が綾小路先輩の耳に吸い込まれたような気がして、彼の目をもう一度ちらっと見やる。
パチリと合ったその視線。さっきまで平気だったそれがなぜか堪えられなくて2人同時に目をそらした。
フローリングの床が視界に映り、窓から差し込んだ日光と木の影がゆらゆらと揺れている。
頬に当たる息がさっきよりも熱くなったように感じた。相変わらずどちらのものか分からない。
きっと彼と僕、両方の肺から出されたものなのだろう。
じんわりと熱をはらんだ瞼をゆっくりと閉じる。
息を吐きながらそっとまた開くと、時計の音が消えた気がした。
お互いの視線を床に逃がしたまま、僕たちはどちらからともなく最後の距離を埋めた。
唇が触れ合う音。
その音はそれはそれは小さなもので、この音もまた2人の間で当たり前になるような気がして僕はそれにひどく安心した。