表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

超自然現象究明会の活動日誌「神かくしの話」

作者: 磐司マリカ

 「先輩は」

 宴席が始まってからこのかた、ただただ俯いてウーロン茶のグラスを傾けていた男がふと口を開いた。大柄な外見に似合わないソフトな声色に少し意表を衝かれる。

 「なに?」

 タバコを銜えたままわたしはそちらを見ることもなく先を促した。そうしないとそのまま黙りこくってしまいそうだったからだ。

 「神隠しって、本当にあると思いますか?」

 なになに、妖怪に名前を取られる映画の話?と茶々を入れようとして顔を上げたが、男のなんともいえない表情を目にすると軽口を叩く気が失せてしまった。

 わたしが所属する”超自然現象究明会”なる怪しいサークルに入会希望の新入生の歓迎会という名目で始まったはずの飲み会は気づけばいつも通り固定メンバーの討論会になってしまっており、主役のはずの新入生は成り行きで入会したわたしの向かい側で居心地悪そうに情けない顔で小さくなっている。まあメンバーとは言っても新入生のこの男を含め総勢七名。大した規模のサークルではないのだが。

 こんな怪しい名称のサークルに入会しようというのだから何がしかの”ネタ”を持っているのだろうとは思っていたが、存外早く聞き出すことが出来そうだ。

 「わたしは”あるわけないと思う”わよ。でもアンタが訊きたいのはそういうことじゃないでしょ?」

 「あの、長谷川です」

 男がわたしの目を遠慮がちに見ながら不思議な回答をした。

 ハセガワ?って何?と思わず聞き返そうとして、ようやく意図を悟る。アンタと呼ばれたのが気になったらしい。そう言われてみれば三十分ほど前に”長谷川健一”と自己紹介されたような気がする。しかしどうにもテンポがずれた男だ。

 「えーと、つまり長谷川君は」

 しょうがないので長谷川のテンポに合わせることにする。どうして二つも学年が上のわたしがこんなに気を遣わなきゃいけないんだという気もするが、どうにもこの一年生には不思議な存在感があるのだ。

 「神隠しに遭った人を知ってるのね?」

 長谷川は少し驚いたような顔をした。それから少し嬉しそうに頷いた。でかい図体に騙されてしまいそうになったけれどちょいっと突かれたら簡単にイイ方にも悪い方にも転がってしまいそうな危うさと、透き通るような純粋さを同時に残している。要するにまだ子供だ。高校を卒業したばかりの頃はわたしもこんな風だったんだろうか。今となってはもう……いやそれは考えるまい。

 「はい……先輩は信じてくれるんですね」

 「いやいや、そういうことじゃないけどさ」

 わたしはまだ半分以上残っているタバコを灰皿に押し付けた。なんだか長い話になりそうだ。

 「だってこんな怪しいサークルに入ろうっていうんだもん、長谷川くんはそれが”神隠し”だと信じてるわけでしょ?わたし個人の考えとしては”神隠し”なんてのは人為的なものでしかありえないと思うよ。つまり、長谷川君は事件に巻き込まれたことがあるかもしれないってことになる。それならちょっと興味あるな」

 「事件、ですか?」

 長谷川は不思議そうな顔でまたウーロン茶に口をつけた。なんでこんな人がこのサークルにいるんだろう、と訝っているに違いない。多分わたし以外のどのメンバーに同じ切り口で話しかけても喜んで”わあ、神隠し神隠し!”と大喜びぎしてくれるだろうからその反応は間違ってはいない。どちらかと言えばわたしの方が場違いな考え方の持ち主なのだ。

 長谷川のグラスを見ると、グラスを傾けてはいるものの殆ど氷しか残っていない。飲み放題なんだからじゃんじゃん頼めばいいのに。と思ってからそういえばおそらくは新入生である長谷川はこういう飲み屋に来るのが初めてなんだなと思い当たった。そういえば慣れないうちは店員を呼ぶのも気後れしていたような覚えがある。今となってはもう……いやいや、それはもういい。考えたってしょうがないことだ。わたしは大きな声で店員を呼び寄せ、梅酒の水割りとウーロン茶を注文してから再びタバコに火をつけながら続けた。

 「そうよ、”神隠し”って要するに”失踪”でしょ?」

 「あ、えーと、神隠しなんです。本当に」

 長谷川は慌てて身を乗り出し、それから申し訳なさそうに首を引っ込めた。長谷川は座っていてもわたしより頭一つ分大きい。足の置き場所にも困っているところを見ると百八十センチ……いや、もっと大きいかもしれない。そんな巨体が居酒屋の小さなテーブルに申し訳なさそうに縮こまる様はなかなかにかわいらしい。

 「何から話せばいいのかわからないんですが……僕がこの大学を選んだのも、その”神隠し”に遭った友人を探したかったからなんです」

 うちのサークルってそんなに有名なんだろうか?いやいや、そんな事はない。そもそも二年前に初めて出来たサークルなんだし。

 店員が威勢のいい声を上げながらウーロン茶と梅酒の水割りをテーブルに置いた。

 わたしは火のついたのタバコを右手に持ったまま左手で梅酒のグラスを傾けた。

 そして、長谷川の長い話が始まった。





 僕の母親は看護士だ。

 当時は看護婦と呼ばれていたが、仕事内容はもちろん変わらない。人手不足なのも昔からだったようだ。

 父と母は僕がまだ一歳になるかならないかの頃に離婚したらしい。そのあたりの事情は母は話したがらないし、僕も訊こうと思ったことがないのでよくは知らない。

 そういったわけで母が再婚するまでの間母の実家で暮らしていたのだが、四~五歳頃までとあって記憶はおぼろげだ。

 ただ、僕には優しかった祖母が母とよく喧嘩をしていたことだけは良く覚えている。今思えば祖母が母に再婚を強く勧めていたのが喧嘩に見えただけかもしれないのだが、二人が喧嘩をするたびに泣いて間に入った覚えがある。

 祖母の家は大正時代に建てられた旧家を何度も増改築して作られたというレンガ造りの洋館で、ひどく広い上壁面を蔦に覆いつくされており、近所の子供達からは「坂の上のお化け屋敷」と呼ばれていた。その外観からだろう、祖母は近所では”偏屈な老人”というレッテルを貼られており、その影響もあってか幼稚園ではなかなか友達が出来なかった。親に何を吹きこまれたのか”お前んちサツジンジケンがあったんだろ?毎晩オバケ出るんだろ?”なんて興味本位であれこれ言ってくる子供までいて、幼稚園に行くのは全く楽しくなかった。

 そんなわけで僕の遊び場は専ら母の勤めていた病院の脇にある小さな公園だった。幼稚園からも自宅からも少し距離があった為知り合いに会うことがなく、子供心に気が楽だったのだろう。

 僕が”まゆずみ ひろのり”という名の友人と出会ったのもこの公園だった。


 「なにしてるの?」

 同じ年頃の少年が僕にそういって声をかけてきたのは僕が小枝で地面に絵を書いているときのことだった。何度かこの公園で見かけたことのある少年だった。いつも巨人の野球帽を被っているので覚えていたのだ。

 「絵を描いているんだよ」

 そういうと、少年は少し困ったような顔をして

 「何の絵?」

 と訊いた。地面に描かれた絵は確かにお世辞にも上手いとはいえなかった。僕は慌てて答えた。

 「恐竜だよ。ヴェロキラプトルって言うんだ。」

 「ヴェ……ヴェロプトル?なに?どんな恐竜なの?」

 少年は興味を惹かれたようだった。僕は得意になってヴェロキラプトルがどんな恐竜か、いかにかっこいいかを語った。休日にジュラシックパークを見に連れて行ってもらった直後だったのだ。

 「肉食恐竜といえばティラノザウルスの方が大きいし有名だけどね、ラプトルの方が足が速くて強いんだよ」

 「へえ、すごいんだねえ」

 少年が目を輝かせて言うので僕は得意げに鼻を鳴らした。

 「ジュラシックパークって映画があるだろ、僕、見に行ったんだ!」

 「本当に!?映画館に行ったの!?すごい!」

 少年は更に身を乗り出して感に堪えないという表情で叫んだ。この辺りにはあまり大きな映画館がない。”映画館に行った”というのは”大きい街まで遊びに行った”事を意味するからだ。僕はこの素直な少年が好きになっていた。

 「ねえ、ここってよく来てるの?今度パンフレット見せてあげるよ」

 「本当に!?絶対来るよ!きっと見せてね!」

 少年は本当に嬉しそうに笑った。

 その時少年の帽子に書いてある名前が読み取れた。ひらがなで”まゆずみ ひろのり”と書いてあった。

 「うん、じゃあ明日持ってくるよヒロくん!」

 と答えると彼は少し戸惑った。彼とすっかり仲良くなったような気になって馴れ馴れしく愛称で呼びかけてしまったけれどよくよく考えてみれば名乗ってもいない相手から名前を呼ばれるのはあまりいい気分ではないかもしれない、と気づいて僕は少し慌てた。

 「あ、ほら、帽子に名前が書いてあったから。ぼくは健一って言うんだ」

 戸惑った表情のままヒロくんは小さく笑って言った。

 「じゃあね、ケンイチ!また明日ここで会おうね」

 「またねヒロくん!」

 ぼくはヒロくんが怒ったわけではないと判って心底ホッとした。ぼくにとってヒロくんは初めて”友達”と呼びたいと望んだ相手だったのだ。


 それからぼくらは毎日のように一緒に遊んだ。

 夏休みで幼稚園は休みだったから、苦手な友達にも会わずに済んで、とにかく楽しかった。

 ぼくらの遊び場は主に公園だった。雨の日は病院の待合室で遊んだ。ヒロくんはあまり走ったりジャングルジムに登ったりするのは得意ではなかったけれど、絵を描くのがとても上手で、ぼくらは画用紙を持ち出して外で絵を描いて遊んだ。

 恐竜、ひまわり、空、虹、お互いの顔。

 こんなにも鮮やかな思い出なのに、何一つ手元に残っていないのはどうしてだろう。もう十五年も前のことなのだから仕方ないのかもしれないが……。もしかしたらまだ祖母の家にあるんだろうか。……いや、もう祖母の家は取り壊されてしまったからいつの間にか処分されてしまったんだろう。


 ある日のことだった。

 僕らはいつものように公園のベンチで喋りながら絵を描いていた。

 「ねえ、ケンイチ蛍見たことある?」

 ヒロくんがそう訊いた。僕は首を横に振った。

 「ヒロくんは見たことあるの?」

 そう訊くとヒロくんは紅潮した顔で頷いた。

 「この公園、夜になると蛍が集まってくるみたいなんだ!昨日見たんだよ。キラキラしてとってもキレイだったよ!だからさ、今日一緒に見ようよ」

 蛍なんて名前は聞いたことはあっても見たことがなかった僕はとても興味を惹かれた。

 「見たいな!」

 そう答えるとヒロくんは嬉しそうに

 「暗くなってからでないと見えないから、晩御飯を食べ終わったらここにおいでよ!」

 と言った。僕はすぐに「うん」と答えようと思ってからその日は母が夜勤明けで珍しく三時頃に仕事を終えるので、その後街に一緒に買物に行く約束だったのを思い出した。

 「今日はお母さんと出かける約束なんだ。明日じゃダメ?」

 ヒロくんはそれを聞くと下を向いて黙りこくってしまった。僕はヒロくんから家族の話を聞いたことがないということにその時になって初めて気がついた。そういえばヒロくんはいつもこの病院の前の公園にいる。近所に住んでいるんだとばかり思っていたけれどもしかして僕と同じように看護婦さんの子供なんだろうか?それとも家族が病院に入院しているんだろうか?

 昨日一体ヒロくんは誰と一緒に蛍を見たんだろう?入院している家族?それとも看護婦のお母さん?それとも……一人だったんだろうか?

 「ねえヒロくん、今日はちょっと難しいけど、明日なら……」

 「明日じゃもう、遅いんだ」

 ヒロくんは見たことがない程悲しそうな顔をしていた。

 「明日にはもう僕は……」




 「子供の思い通りには事は運ばないものです。僕はヒロくんのことが気になって仕方がなかったのに結局予定通り母と一緒に街に買い物に出かけました」

 幼い子供が、しかも自分でも事情がよく判っていないのに母親を説得できるものじゃない。言い出せなかったのだろう。

 「それでもやはりどうにも気がかりだったので帰り道”忘れ物をしたかもしれないから確認したい”と件の公園に立ち寄ってみたのですがヒロくんの姿はなく、蛍も見ることはできませんでした」

 「ヒロくんに会えなかったのは仕方がないとしても本当に蛍がその場所に出るのなら遅い時間でも見れそうなものだよね」

 わたしがそう言うと長谷川は氷がすっかり溶けた烏龍茶を一気に飲み干した。

 「そうですね。後からよくよく考えてみるとその公園に水場があった覚えがないんですよ。もちろんそばに川や湿地もなくて」

 蛍がそんな場所に出るとは思えない。となるとヒロくんが見たのは蛍ではなかったのか。それとも”蛍を見よう”という話自体が口実に過ぎなかったのか。

 「それっきりヒロくんと会うことは二度とありませんでした。あの時ヒロくんが言おうとしていたのは”明日にはこの町を離れる”とか、そう言った類の事だったのではないかと思うんですが」

 「普通に考えればそうだろうね。……で、それが神隠しの話なの?」

 おそらくはヒロ少年は親御さんの退院に伴って病院に姿を見せなくなったのだろう。ちっとも不思議なところがないではないか。

 「いなかったんです」

 「え?」

 意味がわからない。

 「そんな少年、誰も知らなかったんです。僕と毎日のように一緒に遊んでいたというのに。母も、顔見知りのおじいちゃんも、看護婦さんたちも、僕はずっと一人で遊んでいたと口をそろえて言うんです。終いには僕は虚言癖のある子供として疎まれるようになってしまいました」

 「寂しいからかまって欲しいんだ、と思われてしまったわけか」

 「そんなところでしょうね。でも確かにヒロくんはいたんです。その証拠に明らかに僕の絵ではない絵が確かにスケッチブックに残っていましたし……そのスケッチブックももうどこかに行ってしまったんですが」

 大人たちはその”明らかな証拠”ですら寂しさから来る”ごっこ遊び”の一環と見做したのだろう。今この話を聞いているわたしにしてもいわゆる解離性同一性障害というやつだったんじゃないかという気がしてしまう。

 「もちろん僕もあまり食い下がることはしませんでした。聞き分けのいい子供でいたかったし、誰かが信じてくれたとしてももうヒロくんには会えないだろうことは判っていましたし。ただ、誰かにわかってもらいたかった僕は祖母に相談したんです」



 「友達が、いなくなっちゃったっていうの?」

 ぼくは頷いた。お母さんにはこれ以上言っても心配をかけるだけだ。

 「お話聞かせて頂戴」

 おばあちゃんはそう言って温かいココアを入れてくれた。ぼくは半べそをかきながらおばあちゃんにヒロくんとの間にあった一切合財を話した。

 じーっと机の向かい側でぼくの話を聞いてくれたおばあちゃんは、全部聞き終えると

 「それはね、ケンちゃん、神隠しだよ。その子は神隠しに遭ったんだ」

 と低い声で言った。

 「もうその子の話を誰にもしてはいけないよ」

 結局おばあちゃんも他の大人と一緒なんだ。いもしない子供の話なんかするじゃないって事なんだな、と僕は理解した。そう思ったらおばあちゃんだけは僕の味方になってくれるだろうと勝手に信じていた自分が情けなくなってきて、悲しくて仕方がなくなった。

 「おばあちゃんも信じてくれないの?」

 僕が泣きながらそう言うとおばあちゃんはそっと僕の肩に手を置いて、ささやくような声で言った。

 「違うよ、信じているから言うんだよ。ケンちゃんまで連れて行かれてしまうかもしれないからね」

 「連れて行かれる、って、誰に?」

 僕も小さな声で訊いた。

 「●●●●に……」



 「小さな声でしたし、祖母も誰かに聞き咎められるのを恐れていた感じがありましたので聞き取れなかったんですが、聞き返すことも出来ませんでした。とにかく祖母はヒロ君がいなくなったのは”神隠し”のせいだと断定しました」

 「んー、断定、ねえ」

 わたしは半信半疑だ。長谷川の祖母は単に何かを知っていたのではないだろうか。通りかかった店員を呼び止めてもう一杯烏龍茶と、わたしには今度はウイスキーのロックを頼んだ。

 「さっきからすごく不思議なんですけど」

 長谷川がおずおずと口を開いた。

 「先輩は超常現象を信じていないんですか?こんなサークルに入っているのに?」

 それを訊かれるのが一番面倒なんだけども。

 「んー、どうなんだろ」

 私はその質問をスルーすることにした。

 「あのさ、その帽子」

 「へっ?」

 「ヒロくんが被ってたっていう、巨人の帽子。それほんとにその子のだったの?」

 長谷川は目をぱちくりさせた。

 「ロゴが古かったりとか年の割に使い古してたとかなんかそういう特徴なかった?」

 更にそう続けると、長谷川は細い目を限界まで見開いた。驚いているんだろう多分。

 「先輩はなんですか、つまりその、ヒロくんはヒロくんじゃなかったんじゃないかと、そう言いたいんですか?」

 ご明察。意外と頭の回転早いじゃないか、と思ってからそういえば新入生であり未成年者の長谷川は一滴も酒を飲んでいないのだと思い当たった。そりゃ酒でフラフラしてるわたしよりは回転早いに違いない。

 「そそ、んでもって、お祖母さんはヒロくんの名前に心当たりがあった。とまあそゆことじゃないの?」

 長谷川はなんとも言えない表情でフリーズしている。うん、前言撤回。コイツ廻りが悪いわ。

 「人の家の事情に口を挟むつもりは全くないんだけどさ、子供がまだ一歳になるかならないかって頃に敢えて離婚するのって、まあたいがい原因が分かりそうなものじゃない?」

 わたしの偏見も入っているかもしれないが奥さんがマタニティブルーと戦っている間に旦那様はアバンチュール、なんて話はよく聞く。

 「その病院って、特別何かの医療で有名だったりとかしたんじゃないの?」

 「え?あ、ええ、ハイ。肝臓の移植に関して第一人者の先生がいたとかで政治家や俳優さんなんかも入院していたと聞きました」

 長谷川はどうしてわかったんだ?というような不思議な顔でそう答えた。

 「うん、そしたらまあ。多分ヒロくんは……多分本名違う名前だと思うけど長谷川くんの異母兄弟だろうね」

 「はい!?異母兄弟って……え!?」

 「だって長谷川くんは多分その”まゆずみひろのり”って名前の人を見つけたからこの大学に来たんでしょ?年齢が合わないな、と思いながら……じゃない?多分その人長谷川くんのお父さんだと思うよ」

 長谷川は顎が外れそうな間抜けな顔をしたまま固まった。

 父親のお古の野球帽を被った少年が異母兄弟である長谷川に声をかけたのは、もしかすると彼が自分の兄弟である事を知っていたからではないんだろうか。

 

 「え。じゃあこの黛っていう教授に会えば……」

 長谷川はその黛なる人物が自分の”父親”であるかもしれないという事は取り敢えず置いておくことにしたらしい。

 「またヒロくんに会える、ってことなんでしょうか」

 わたしは新しいタバコに火をつけながら答えた。

 「残念だけどそれはもう出来ないと思うよ」

 おそらくはヒロくんは長谷川を蛍に誘った次の日に手術を受けたのだろう。肝臓に関連した疾病の難しい手術。その時にうまく行かなかったのか、術後に合併症などの問題が生じたのか、そこまではさすがに判らないけれどヒロくんは命を落としてしまった。

 「どうして分かるんですか?」

 長谷川は納得行かない、という顔をした。

 「だって彼、ずいぶん幼いもの。小学生にはなってないんじゃないかな」

 「は?」

 「でもって、長谷川くんになんとなく似てるもん」

 「へ!?」

 そう、私がこのサークルにいる理由はコレだ。というか、私がこういう体質だというのがバレたせいでこのサークルが出来た、というのが正しい。

 ヒロくんは入院中で、たびたびひっそりと病室を抜けだしていたのだろう。そう考えると長谷川の記憶ほどヒロくんと頻繁に遊べたわけはない。周りの人間がヒロくんの姿を見ていなかったのは簡単なことで、ヒロくんが大人に見つからないようにこっそり長谷川に会いに来ていたからだ。

 「湿地も水場もないところに蛍はいない。となれば蛍は口実だったとしよう。じゃあヒロくんは本当は何がしたかったんだと思う?」

 さっきからフリーズしたままだった長谷川は自分に質問を向けられたことでようやく少し表情を動かした。

 暗くなってから、夕飯が終わってからの待ち合わせ。手術前の最後の日。彼が意図していたのはおそらくは……。

 「もしかして僕と、父親を引きあわせたかったんでしょうか?」

 そう、おそらくはそれが正解なのだろう。

 気の迷いからの浮気で子供を作ってしまい、正妻と別れて暮らすことになった男。全くもって愚かなことだが、息子の立場からしたらどうだっただろう?身体が弱い自分のせいで本来一緒に居られたはずの息子から父親を奪ってしまった。そんな風に考えてしまったのではないだろうか。ある意味それはそれで自己中心的な考え方でもあるのだが……四歳児が考えたとすれば不自然なまでに大人びた考え方だといえるだろう。それほどまでにそんなにも幼い子供が悩み苦しんでいたというのは気の毒でならない。

 「とは言えもう確認する方法もないか」

 わたしはそう言いながらもう一杯梅酒のロックを頼んだ。長谷川はじっと氷の溶けきった烏龍茶のグラスを見つめていた。



 それから一週間後。

 サークル棟の3F北側にある”超自然現象究明会”のサークル室に長谷川がひょっこり現れた。なんだかスッキリした顔をしている。

 「先輩、この間はありがとうございました!色々解ったので、よろしかったらお話聞いて下さい」

 心なしか口調もハキハキしている。

 「うん、そこ座んなよ」

 わたしはそう言いながらテーブルの向かい側をポッキーで指した。長谷川はサークル棟前の自販機で買ってきたと思しきコーヒーをわたしの方に差し出しながらそこに座った。

 うーんわたし缶コーヒーはホットで甘党なんだけどな。と思いながらも長谷川から受け取った冷たいブラックコーヒーの缶を遠慮無く開ける。

 「で、何が解ったの?」

 「まず、この学校にいらっしゃる黛先生は同姓同名の別人でした」

 じゃあ長谷川はうちのサークルに入らなかったら何のためにこの大学に入ったか全く判らなくなるところだったわけか。

 「ですが、まゆずみひろのりは確かに僕の父親の名前でした。母にその名を尋ねたらびっくりしてましたよ」

 じゃあ最初からお母さんに訊いてみればよかったじゃないか、という気もしてしまうが、この間わたしと”神隠し”の話をするまでは彼にとってはヒロくんの話はタブーだったのだろう。

 「そればかりか母はヒロくん……ケイイチという名前だったらしいんですが。彼のお母様とも連絡を取っていたらしくて。そもそもヒロくんがあの病院に入院することになったのも母の口利きだったとか」

 ケンイチとケイイチか。どちらにも長男の名前を付けたマユズミヒロノリの真意は判らないが、第三者のわたしからみるとひどく無神経に思える。

 「そこまでオープンだったなら普通に紹介してくれればよかったのにね」

 わたしが不満げに口を挟むと長谷川も我が意を得たり、と言った表情を見せた。

 「僕も全く同じことを母に言ったのですが、母曰く祖母の手前そういうわけにも行かなかったそうで」

 「なるほど、そういう微妙な関係があったからお祖母さんとお母さんが度々もめていたのかもしれないね」

 お祖母さんの立場からしてみたら娘を裏切ったとんでもない男なわけで、そんな男とどういうわけか親密に連絡を取り合っていたら小言の一つも言いたくなるだろう。わたしだって同じ立場だったら間違いなく文句を言う。

 「母が言うには”男として信用出来ないから二度と夫婦として一緒に暮らしたりは出来ないが、困っていたから友人として手助けをしようと思った”ということらしいんですけれどね」

 なんという侠気。ちょっとわたしには理解できない心理だ。

 「ヒロくん……つまりケイイチくんですが、彼は手術後に意識が戻ることなく合併症で亡くなったらしいです」

 そんな小さい子供が。随分と昔のことだと判っていながら痛ましさに暗澹たる気持ちになる。

 「あー、ケイイチって、もしかして”蛍”っていう字書くのか」

 「はい、”蛍”って、そういう事だったみたいですね」

 もしくは腎臓の症状の悪化から視力に異常を来した彼の目には夜の公園に蛍が集っているように見えたのかもしれない……が、さすがにこればかりはわたしにも判らない。

 すっきりした顔の長谷川の背後でケイイチくんがふんわり笑う気配があった。

 「で、どーすんの?」

 私は残ったコーヒーを飲み干してからそう訊いた。

 「え?何がですか?」

 長谷川はミルクティを飲みながら心底不思議そうだ。

 「いやさ、要するに”神隠し”じゃなかったわけでしょ?こんな怪しいサークルに入る理由、もうなくない?」

 就職活動の時にサークル活動について訊かれたらなんて答えるつもりなんだろ。正直に答えたらあからさまにマイナスだと思うんだけど。ってわたしもか。

 「それを言ったら僕、この大学にいる理由ないじゃないですか」

 確かに教授の名前を見て驚いたからって別に大学に入る必要なかったんじゃないかとはわたしも思った。 

 「まあ、きっかけは確かに黛先生のお名前だったんですけど、色々調べていたら本当に興味のある学部が見つかったんで、じゃあ、っていう流れだったんですよね。これも何かの縁だったってことじゃないでしょうか。それに僕この学校で先輩に出会わなかったら神隠しのことも信じてたでしょうし、ある意味運命的だって言えるんじゃないですか?」

 運命って言葉をホイホイ使う奴はどうにも信用ならない。とはいえこと今回の件についていえばそんな気になるのも解らなくはない。

 「というわけで、今後共宜しくお願いします先輩」

 こうして”超自然現象究明会”のメンバーは八人になった。このサークルに残留しているメンバーは私以外の全員が何らかの”神秘現象”に出会い、それが神秘現象ではないとわたしに看過された人間だ。こんな風にして少しずつメンバーが増えていくのだろうか?せっかくだから何か大学生らしい活動もしたいものだけど。

 「カナ、となり町の廃工場のウワサ、知ってる?」

 サークル代表者の湊サキが話が落ち着いたと見るや声をかけてきた。きっとこんな活動でも、十年、二十年後には楽しかった思い出になるに違いない。

 「知らない。どんな話?」

 わたしは飲み終えたコーヒーの缶をベコベコ言わせながら聞き返した。


<了>

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ