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 現実と虚構の境とはまさしくこの事を言うのだと感じた。

 僕が見ている者はれっきとして僕の目の前に存在する。そして、触れると金属やらプラスチックやらの感触が有る。ただそれが存在すると他者に伝えるのは、クオリアと同じであり、唯一共有できるものとはソースコードしかないのである、

 我考える故に我あり。知識は力なり。

 という哲学者の有名な言葉はあるが、その言葉自体にどれだけの意味があるのかと問うたのがウィトゲンシュタインであり、哲学とは言葉遊びであるといった故に、言語哲学と分析哲学の切り込みになったのは誰もが知る事実なのだが、やはりそれでも私たちにどれだけの意味があるのか語れる者はほぼ皆無というのが哲学が哲学ゆえの理由であり、数学が数学たる由縁でもある。

 哲学は学問の王にして家畜 数学は学問の女王にして奴隷という言葉が有ることからして、学問そのものに何らかの意味を見出すよりは、その学問の知識を使って何をやりたいのかを見出すことが賢明であり、日常に必要な事ではないのだろう。

 なら僕がソースコードを書き、それをこんな仮想現実で試すことは何の意味が有るのだろう?

 自己満足? 金儲け? はたまた一部の人からの羨望と称賛を受ける為?

 物事に人一人が出来ることなどたかが知れている。それぐらいは高校に進学する程度の年数生きていりゃ、どっかで気付くものである。しかし世の中ではどうもこれに気付かない愚か者もいるし、それが大人と呼ぶべき(実際に在ってみると呼びたくない奴らばかりだが)人たちにいると目を塞ぎたくなる。

 だいたいそういう奴らは波風を立てたくもなく、厄介ごとを抱え込みたくないこちらの気持ちなど考慮もせずにやたらめったら、自分の好き勝手な事を言い、バイキングで食い散らかす客の態度を取る。

 かと思えば、黙っているこちらの年に一二度の冒険とも言うべき行動を瑕疵(言いがかりかもしれないが)として吹聴して回るのだから気分が悪い。

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