赤天の霹靂
それからまた、落ちた空の調査が始まって、そこでもオーパーツが幾つか……つまり、生活の痕跡が発見された。
そして、そういう事が分かる頃には休校じゃなくなった。
もう空が落ちてこようが何だろうがどうにもできない以上、気にするだけ無駄、っていう当然の結論に至ったらしい。
……休校になってた間はひたすら退屈だったけれど、休校じゃなくなったらもっと退屈になった。
こう、種類の違う退屈を対比させてみて初めて分かる退屈の退屈さっていうか……。
こうなってみると、休校の時の非日常感ってけっこう貴重だったのかもしれない。
「……この時、皆さんもご存知の始まりのオーパーツ、イザナミとイザナギを人質に取って立てこもったことから、この事件は解決にかなりの時間をかけることになり、翌年1907年まで続くことになりました。ですからまあ、1906年生まれと1907年生まれの人がとても少なかったんですよね。この時の人口減少がその後の保障制度の瓦解に間接的に繋がっていくわけです」
先生が書いた板書を気の抜けた文字で写す。
久しぶりの授業だからか、頭が働かない。それ以前に、私は歴史の授業はあんまり好きじゃない。
どうせなら空白の数千年間について誰か教えてくれればいいのに。
「ここまでで何か質問は」
クラスの中には予期せぬ休み明けの気だるさと無気力感が蔓延していて、先生に質問する人なんて居なかった。
……もともと質問する人なんて居なかったような気もするけど。
「も、やばい。久しぶりの数学が俺の気力を破壊しにかかってきてた。集中力、ごりごり削り取られた……」
理系気味の彼でもこうなんだから、私は言わずもがな。元々抗う気なんて無かったからあっさり寝ましたとも。
「休校の代償は大きかったなあ」
「ますます退屈になるね」
一度、多少でもマシな状況になってしまった分、今が余計に退屈になってしまった。
「それでも空に穴空いてる分、マシかもしれないけど。ほら、まださ、こう、非日常感が」
今日、窓際の席の不真面目な生徒はずっと、窓の外を見ていた。
校舎の窓から空に開いた穴が丁度よく見えるからしょうがない。
「それでも私達に何も起こらないのは変わらないし」
「そうなんだよなあ……」
空に穴が開いても、空の上に人が住んでいても、私たちの生活に還元されることなく終わってしまうなら、退屈にかわりはないのだから。
「空の上、今、どうなってんのかな」
「人が居るとしたら、てんやわんやかもしれないし、お祭り騒ぎかもしれない」
空は空の上の人達の意図するところによって落ちてきているのか、それとも、そうじゃない、只の事故なのか。
「空の上の人たちに会えたら、実に2000年ぶりの感動の再会な訳だけども」
「どうだろう。案外向こうは私達の事、ずっと空の上から監視してたりしたかもしれない」
空の上に居る人たちは、どう考えても私達よりもずっと高い技術を持ってるんだから、空の上から私達を監視する技術があっても全くおかしくない。
「うわ、それ、嫌だな……あ」
小さな音と共に、ぱらぱら、と空が降ってきて、空を見上げた。
「……あれ、落ちて、来る……か!」
彼の言葉を肯定するように、みしみし、と鈍い音が響く。
空には薄く罅が入ったようになっていて、そこから光が漏れていた。
位置は丁度私達の真上……から少しずれた辺り……だろうか。良く分からない。良く分からないけれど、誰かが上げた悲鳴が、私たちのスタートの合図になった。
「走れ!」
彼が私の手を引いて走り出す。
落ちて来る空のサイズなんて分からない。どの程度が巻き込まれるのかも分からない。
今の所、空の落下による死者は3名だ。
そのカウントを自分で増やしたいとは思わない。こんな所で死にたくない。空に潰されて死にました、って、何それ。洒落になんない。
彼が前を見て走ってくれるから、私は上を見て走る。
鈍い音を上げながら、空が空から離れて落ちて来るのが見えた。
……思ったより、空は私達に近い位置に落ちて来るみたいだった。
それこそ、私達を潰しそうな位置に。
「こっちだ!」
急に屈んだ彼に引っ張られて地面を見ると、彼がマンホールの蓋を開ける所だった。
「……これで死んだら俺の事恨んでいいから。でも生きのこったら俺の事崇めろよ!」
私が反応するより先に、彼は私を穴の中に押し込んだ。
私達がマンホールの内壁に取り付けられた梯子に掴まって、彼が蓋を閉め切らない内に、空は落ちてきた。
衝撃。
凄い揺れに耐えて、私は必死に梯子にしがみ付いて、上からばらばら降ってくる赤い欠片がまばらに背を打つのに耐えた。
耐えた。身を縮こまらせて、ひたすら耐えた。
……やがて揺れが収まり、空が降ってこなくなって、やっと顔を上げられた。
「……無事?生きてる?」
私より後にマンホールに入ったせいで、私より上に居た彼に向かって声を掛ける。
「え、死んでたらどうしよう」
「生きてるね。良かった」
彼はいつも通りの調子だった。
とりあえず安心する。
「怪我は?」
「なんも。そっちは?」
彼が振り向いて、「うわあ」みたいな顔になった。
「背中ちょっと痛いけど、軽い打ち身程度だと思う」
「……空、当たったの?」
……私より上の段に居た彼は私より欠片を被っていなかった。
マンホールの蓋は、梯子のある方……私達がしがみ付いてた方向から閉めたらしい。だから空は主に、私達の背後に降った、って事で……そして、私より上に居た彼の方が少ない被害だったみたい。
……まあ、空を浴びたら禿げる、って悩んでる人に降るよりは、特にそういう危機感の無い私に降った方がいいよね、ということで納得した。
「……これ、落ちたら死んでたかもね」
「だなあ」
マンホールの蓋は、重くて開かなかった。
力をもっと入れれば開くのかもしれないけれど、下手に開けたら空が入り込んで私達が埋まりそうだし、やめておくことにした。
「空が光る物質で助かった」
とりあえず、私たちはマンホールの底まで降りた。
マンホールの底には空が積もって、ぼんやり光っている。
外で見たら大したことはないけれど、真っ暗な中で、しかも緊急事態だったら、こんなぼんやりした光でもありがたいものになる。
「とりあえず、このまま救助を待つ、って事になるのかな」
「だな。うん。それ以外にはどうにもならないと思う。地下通って別のマンホールから出られるかなー、とか思ったけど、案外通路、狭くて入れそうもないし、大体、結構空で埋まっちゃってるし」
上も空、下も空。そう考えると、私たちが助かったのは奇跡的かもしれない。
「……とりあえず、生き延びたから崇めておくね」
「おお、崇めろ、崇めろ」
冗談交じりにそんなやり取りをすれば、案外空気が軽くなった。
「……ま、何とかなるんじゃないの」
「そんな気がしてきた」
尤も、前向きになっても、できることが何も無くて、ただ待つだけなんだけれども。
「……暇だな。しりとりでもする?」
「終わらないじゃん、しりとり」
「終わらないからこそこういう時に良いと思うんだがなあ」
「スコップ」
「プラチナ」
「な……ナトリウム」
「虫取り網」
結局、足元の空を弄りながらしりとりして待つことになった。
「み……み……未来」
「イリジウム」
「って、何」
「元素の名前」
そんな名前の元素が本当にあるのかどうか疑わしいけれど、確かめる手段もないし。
「む……むちうち」
「チバニウム」
「って、何」
「元素の名前……え、何?」
なんか、これは嘘のような気がするけれど、確かめる手段もないし。
「む……また?む……む……あ」
む、から始まる単語を考えながら足元を漁っていたら、光る空の中に光らないものを見つけた。
「なんだろこれ」
それの端っこを引っ張ると、ずるり、と引っこ抜けた。
「……リボン?と、何?これ?オーパーツ?」
「……だ、ろう……なあ」
この間拾ったリボンによく似たリボンと、それの先に繋がる、小さな機械みたいなものだった。