触らぬ空に祟りなし
好奇心に忠実に過ごして満足して帰宅して。
ご飯食べてお風呂入って、満足感と毛布に包まれながら眠りにつこうとしていた時、また彼から連絡があった。
……彼は私と違って、まだ活動時間内なんだろう。
『なあ、外、見た?』
興奮気味の声が遠い存在に感じる。ねむい。
「うん。見てる。すごいね。外が見えるよ」
『眠い所ごめん。でもこれは見ないと絶対損するから!空の穴、見てみ?』
……ちょっぴり眠気が飛んだから、家のベランダに出て身を乗り出す。
「……え、なにあれ」
『な?びっくりしたろ』
空の向こう側は、青く無かった。黒かった。
そして、その黒い中に白く、ちらちらと光る粒が、浮いていた。
『時々あの光の粒、揺れるんだよ』
興奮気味の彼の声が段々、頭にはっきり入ってくる。
じっと光の粒を見つめていたら、たしかにちらちらと、光が揺れる。
「すごい」
『な?あれ、すごいよな?』
「うん、すごい。……すごいきれい」
ああ、これは確かに、睡眠を妨害されただけの価値があった。
遠く遠くに輝く光の粒がなんなのかは分からないけれど、綺麗なのは確かで。
昼間見た時とは違う色、違う綺麗さを見せてくれる空の向こう側の、なんてサービス精神旺盛なこと。
『絶対みたいだろうと思って、起こした。反省はしていない!』
無駄に偉そうな彼にいつもだったら多少腹が立つんだろうけど、今日はこんなに綺麗で不思議なものが見れたんだから特別。
「うん。見れて良かった」
『そっか。よかった』
偉そうな事言っておいて、こう返したらほっとしたらしく、彼の声の調子が和らぐ。
こういう所が憎み切れないんだよなあ。
『じゃ、また明日。おやすみ』
「ん。おやすみなさい」
……寝る前に、もう少しだけ空の向こう側を眺めてから、寝ようかな。
翌日も休校だった。
怠惰な学生その1としては嬉しいけれど、空に穴が開いたぐらいで……しかも、その結果、あんなに綺麗なものが見えてる、っていうのに……休校にするほどの事なんだろうか、とも思う。
この調子じゃ、明日も……今週いっぱいぐらい、休校になるだろう。そうしたら古典の小テストはお流れに違いないからもう単語帳は投げ捨てた。
読まずに積んであった本でも読んで1日を潰しきろうと張り切ってたら、午後6時頃、彼から連絡があった。
『空の穴』
「うん、見てる。凄いね。今度は……なんだろ。薄紅色?」
彼から連絡が入った時点でベランダに移動済みだ。
そしたら、案の定……空の向こう側は、薄紅色に煙るようで、凄く綺麗だった。
『なんなんだろうな。これ。時間経過で色が変わってるみたいだけど』
「まさか1日中眺めてたりしたわけじゃないでしょ?」
『そのまさかだ。暇な学生を舐めるなよ?』
……これが彼じゃなくて他の誰かだったら嘘だって笑い飛ばせるんだけど、彼だからやりかねない。
『午前8時ぐらいからずっと見てたけど、だんだん青が濃くなるかんじで、それから、午後4時ぐらいから色が変わってきたな。ちょっと薄く黄色がかってくる、っていうか』
ある意味、究極の時間の使い方だよね、それ。
とことん無駄で、とことん有意義、っていうか。
「これ、またあの黒に光の粒が光る模様になるかな」
『どうだろうな。日によっても違うのかもしれないし……』
私は昨日の夜見たあの模様、凄く好きだから、もう見られないんだとしたら凄く残念。
『ま、今日も観察してみればいいじゃん』
「うん。そうする」
彼からの連絡はそれで終了。
……彼に倣って薄紅色に輝く空の向こう側をのんびり眺めてたら、それはだんだんすみれ色になって、濃い青になっていって、そして、濃紺に変わっていった。
そこにまた、光の粒が輝き始める。
……成程。これは、1日中眺めちゃうわけだ。
私達の期待と予想を裏切って、次の日は休校にならなかった。
そして、私の予想と期待を裏切って、古典の小テストは実施された。結果なんて言わずもがな。
「真面目に勉強しないからだろ」
「君に言われたくない」
彼のクラスでも古典の小テストがあったはずだけど、彼は飄々としてるから、結果はそんなに悪く無かったのかもしれない。
「俺は真面目に勉強したからな。前回の点数を上回ったとも」
……あ、前言撤回。
彼の前回の古典の小テストの点数は100点満点で10点だった。
「聞いて驚け、15点だ」
「わあすごーい」
私は75点だった。真面目にやれば100点を十分狙えるテストで15点、って。
「その代わりと言っちゃなんだけど、空の向こう側の24時間観察記録ができたから、俺は満足」
見せてくれたノートには、時刻とその時の空の向こう側の様子がイラスト付きで書きこまれている。
「そういえば、ニュースでもやってたね。空の向こう側の時間経過による変化」
少ない情報をニュースで何度も何度も繰り返すものだから、新鮮味が無くなってしまう。
そんなに寄ってたかって同じことを言わなくたっていいじゃない、と思うんだけれど。
「ニュースより俺の方が詳しかった」
「そりゃ、24時間延々と観察してた暇人に敵う人はそうそう居ないよ」
無駄に自慢げな彼を促しつつ、駅への道を、傘をさして歩く。
「……しかし、今日も降ってるなあ」
今日も空が降る。そんなにどしゃどしゃ降ってるわけじゃないけれど、それでもこの短期間で、また空が降ってる。
「また穴、開くかもね」
「しかし二番煎じとなるとなあ……そこまでのインパクトも無いっていうか」
私達は、空に穴が開くなんて思ったことも無かった。
空は恒久的にずっとそこにあるものだと思ってた。
なのに穴が開いたから、私たちの意識……空はずっとそこにある、っていう意識に、凄い衝撃を加えていった訳だけど……2発目、だったら、『1度あることは2度ある』『2度あることは3度ある』『1匹見つけたら10匹居ると思え』の理論で、幾らでも起こるんじゃないか、っていうか……また空に穴が開いても、そこまで不思議に思わないと思う。
「……このまま空に穴が開いていったらどうなるんだろうな」
「……空、無くなっちゃうね」
無くなっちゃったら……どうなるんだろう。
考えてみる。
漆黒の空に、光の粒が無数に零れて瞬いて。
……きっと、凄く綺麗に違いない。
「それ、いいなあ」
「うん、いいかもなあ」
見上げる限りどこまでもずっと、あの美しい模様が見られるんだとしたら、それはそれは綺麗に違いない。うっとり。
「……しかし、なんで2000年前の人達は空なんて作ったんだろうなあ」
「空の向こう側を隠しておいて……こう、驚きと共に見せる為?」
一応、『空に穴が開くのはそういう予定だったから』説に則って話を進める。
「んー……しかしだな、それだったら、空なんて只の板でいいじゃん?ほら、空って少しずつ作り変えながら新しくなってる訳で。だから空も降ってきてるんだし……」
「2000年もただの板がもたない、っていうことじゃないの?」
「だとしたら、なんで2000年ももたせる必要があったんだ、ってならないか?200年ぐらいでもいい気がするけどなあ」
確かに。
人間なんてどんなに生きたって精々100年ちょっとなんだから、200年もすれば、空の向こう側を見た事が無い人しかいなくなる。
「……200年位だと、まだ、空の向こう側の記録が残ってた、とか?」
だから2000年、なんていう長い時間……人が死んで、人の記憶が死んで、記録も全部死ぬ位の時間が必要だった、とか?
「驚きの為にそこまでするかあ?……というか、2000年前時点で人は空の目的、分かって……あれ、2000年前の人って、何のために空があるのか、分かってたのか?」
2000年前に空はできたらしい。
2000年前からしか私たちの歴史ははっきりしてない。
2000年よりも前は、私たちの知らない空白の数千年間だ。
……歴史を今に伝える人たちと、空を作った人たちは、別の世代なんじゃないだろうか。
そこで丁度、二分されているんじゃないだろうか。
「あるいは、空の向こう側からの危険を防ぐために空を作った、っていうのはどうだ?」
急に話が飛んだから頭が追い付かない。
「空の向こう側からは未知の殺人光線が飛んで来る、とか。で、空はそれから俺達を守るシェルター」
「じゃあ穴空いちゃ駄目じゃん。2000年前の技術教信者的にはそれはまずいんじゃないの?」
そう返すと、敬虔な信者はぐぬぬ、と少し考えて、それから閃いた、とばかりに新しく理論展開を始めた。
「空の向こうでは2000年前に地上を離れて空の向こう側に移り住んだ人たちが戦ってるんだよ。多分。で、その長い戦いが終わったから空の解体作業が始まってる」
「まーファンタジック。空の上に人が居るんだったら、壊しちゃまずいじゃん、空」
自分の立ってる足場を崩していく、ってことでしょ?って聞いたら、それは織り込み済みだったらしく、彼は胸を張って答えた。
「いや、空の上には2000年前に地上から失われた古代技術が残ってるから大丈夫」
「なんで空の上の人達は技術を独占しちゃったのよ」
「うーん、2000年前の技術は空の上でしか使えない、とか……?」
「2000年前には空が無かったでしょうが」
そんな下らない推測を延々と垂れ流しながら歩いて、駅のホームについた。
2日来なかっただけなんだけど、ちょっと懐かしい気がするから不思議。
先一昨日、此処から私達は空に穴が開くのを見たんだよなあ。
「……あ、なんか綺麗」
空の穴から、光が差してるように見えた。
空が発する光とは別物の、真っ直ぐで強い光。
「空が降ってるから、空の破片に光が反射して見えてるのか」
道理で前回、気づかなかった訳だ。
「空の向こうも光ってるんだね」
「……というか、空の向こう側が黒く見えない時点で、空の向こう側には光が反射する何かがあるわけで……あ!もしや、空って多重構造なのか!?」
……よく分かんないから説明してもらった。
彼曰く。
私達は光を見ている。うん。それはなんとなく覚えてる。理科でやった。
ものに反射した光が目に入って、それで私達は『見る』ことができる。
空の向こう側が綺麗な水色に見えたり、薄紅色に見えたりしている以上、私達には空の向こう側が『見えて』いるんだし、だとすれば、空の向こう側には光と、その光を反射する何かがあるんだろう、って。
だから、彼は『空の多重構造説』を提唱した。
つまり、この赤い空が砕け落ちて、今度は空の向こう側にある……次の空、が、いままでの空の役目を果たすのだ、っていう。
今の空が劣化してきたから、次の空になるんだ、っていう。
……いや、だとすると、また疑問は最初に戻ってきちゃうんだけど……。
「なんで空って、必要なの?」
「……さあ……」
次の日。
ニュースは大騒ぎだった。
空の向こう側から光が差してくることに気付いた研究者が、その光をレンズで集めてみた。
そうしたら、光を集めていた紙が、突然燃えたんだそうだ。
『空の穴から差す光は我々にとって危険をもたらす恐れがあります。皆さん、くれぐれも不用意に光を浴びないように気を付けてください』
……そして、学校はまた休校になった。