空、下暗し
朝のニュースは、空に穴が開いたことで持ち切りだった。
どこのニュース番組でも空の専門家を……空の専門家と名乗る人なら誰でもいい、とばかりに誰彼かまわず呼び寄せて、それぞれがそれぞれの推測なりなんなりをお茶の間に流した。
『空に穴が開いたのは何故なんでしょうか』
『そうですね、やはり経年変化だと思われます。2000年前の機構が今も動いていたこと自体が奇跡的だったんですよね』
別の番組では『2000年続いたものが突然壊れるのは何かあったからに違いない』って言ってたけどなあ。
『では、今後も空の崩壊は続くのでしょうか?』
『その可能性は非常に高いでしょう。現に、あらゆる機関が空の崩壊に備えているわけですから』
どんなに軽くて脆い空でも、巨大な塊で落ちてきたら被害は0じゃすまない。
……私達が昨日見た空の崩壊は、割と近くで起きていたらしい。そこまで被害は無かったみたいだけれど。
そして、その空落下後に専門家たちが集まって、色々調査しているんだとか。
ニュースの中継では、砕けて白っぽくなった空が積もった……山になったイチゴ味のかき氷みたいな、そういうかんじの映像が流れてくる。
『今後我々にできることは無いのでしょうか』
『そうですね……ええと、今はどこの空が落ちて来るのか、いつ落ちて来るのかも分かりません。ですから、その、研究機関や政府の発信する情報にアンテナを伸ばしておいてください、としか』
キャスターの言葉に、専門家がしどろもどろになりながら答える。
そうだろうなあ。所詮その程度だ。
私達にできることなんて何もないに等しい。
だって空はあまりにも遠くて大きすぎる。
……しかし、専門家だってこの程度の事しか分からないのか。
これだったら、専門家の中に彼が混じってても誰も気づかないかもしれないなあ、なんて。
空が降ってきたから、学校が臨時休校になった。
制服に着替えるギリギリ前に連絡が来て、肩透かしを食らう。
どうせどこに居たって、空が降ってきたらどうしようもないのに、とも思うけど。
単純に古典の小テストが延期になったのは有難いから、パジャマのままなのをこれ幸い、ってことにして、ベッドに潜って昨日全然成果の上がらなかった単語帳を捲る。
数分で飽きた。当然だ。昨日だってすぐ飽きたんだし。
そのまま単語帳を放り出してベッドに寝転ぶ。
寝ころんだまま逆さまに窓の外を見るけれど、この角度からじゃ空に開いた穴は見えない。
いつも通り、赤い空が見えるだけで。
……空に穴が開く、なんて、絶対に大事なのに、それが『臨時休校』としてしか私に還元されないのが悔しい。
でも、私はこれが私にこれ以上還元されないことも知ってる。
彼から連絡があったのは、そんな時だった。
『今何やってる?』
「古典の単語帳見てた」
嘘じゃない。今正に単語帳の表紙、眺めてる。
『どうせ表紙見てるだけ、とかだろ』
思わず窓の外を確認したけれど、当然彼は居ない。
……非常に悔しい。
『で、さ。学校休みじゃん』
「うん」
『暇でしょ?』
「うん」
古典の単語帳はもうこの際どうでもいい。
『ちょっと見に行かない?』
「行く」
何を、なんて言わなくたって分かる。
それから1時間半後。
待ち合わせ時間の15分前に待ち合わせ場所で私たちは合流。
「活動を自粛すべき退屈な休校にも邪魔されない俺達の好奇心に乾杯」
「学生の本分を忘れて休校で退屈になる怠惰な私達に乾杯。さて、行こっか」
「あっちか」
場所は大体調べてきてあるけれど、そんなものは必要ない。
空に開いた穴に向かって歩けばいいだけだから。
「ニュース見た?」
「見た。結局誰も何も分からないんだろ?あれ。専門家の中に俺が混じってもばれないんじゃないかと思った」
「私も思った」
同じこと考えてたみたい。ちょっとおかしいし嬉しい。
「……いや、お前は混じったら流石にばれる」
とか思ってたのに、妙に神妙な顔で彼はそう言う事を言う。
いや、私が彼よりその方面に明るくないのはよく分かってるけれど。
「いや、私が、じゃなくて君が、っていう意味で」
「あ、なんだ、びっくりした。だよなあ」
訂正すると、表情を変えるでも無くそう返してくる。……彼のこういう所は非常に腹立たしいと思う。
「……で、話、戻すけど。そんな専門家に混じってもばれ無さそうな君の意見も聞かせてもらおうかな、って」
どうせ誰が何言っても「確証は何もない」っていう点において等価だし。
「そうだなあ……」
そして、だったら『彼の意見』っていう付加価値が付いたほうが私にとっては価値が高い。だからどうって訳でも無いけど。
「……んー、じゃあ、予め昨日空に穴が開くことは決まってた、っていうのはどうだ?」
「運命は全て定められているのだ、っていう説?」
「じゃなくて、ほら、空って、2000年前に作られた、らしいじゃん」
一応社会科ではそう習った。
「でも、今の技術じゃ空がなんなのかすら良く分からない」
……時々、よくオーパーツが発見されたりことがあるけれど……私達にとって最も身近で最大のオーパーツは空なのだ、ということも理科で習う。
「つまり、2000年より前には俺達の理解の及ばない技術があったわけじゃん」
それも周知の事実。
「で、そんな凄い技術持った人たちが作ったものなんだし、だったら『突然壊れた』よりは、『壊れることが決まってた』って考えた方がいいんじゃないか、って」
「まあ、ロマンティックではあるよね、それ」
限界がある技術だった、って考えるよりは、限界を定められた技術だった、って思う方がロマンティックだよね。
……どんなに凄い技術だったとしても、限界が無い技術なんて無いと思う、とは思っても口に出さない。だって面白くないし。
「ロマンティックかは別としても、俺は2000年前の人類の技術を盲信したい!」
「で、だとしたらなんで昨日、空は壊れたんでしょうか?専門家・兼・2000年前の技術教信者に伺いましょう」
マイクを向けるようなジェスチャーをすると、彼はのってきた。
「そうですねえ、やはり、我々現代人には2000年前の叡智が分かりませんから。今後の空の動向を見て、2000年前の人類の意図が分かれば御の字、といったところでしょう」
「以上、専門家・兼・2000年前の技術教信者さんに伺いました。……結局分からんのかい」
のってきた割にお粗末すぎやしませんか。ねえ。
「だから見に行くんだろうが。……ま、見て分かるような事は無いと思うけど……」
「好奇心を埋める足し位にはなりそうだしね」
空が塊で落ちてきた地点に近づくにつれ、道には砕けた空が増えてくる。
大体、道の脇にかき寄せられてるから歩行の邪魔にはならないんだけど。
「……凄い人だかり」
そこからもう少し歩いた所で、私たちは人だかりに遭遇した。
『ここから先は危険ですので立ち入らないようお願いします』
拡声器でがなる人と、キープ・アウトのテープ。
成程、確かに、こんな所に人を立ち入らせてくれるわけが無かった。
「……どうする?」
空の塊が落ちてきた所、ちょっと見たかった気もするんだけど、これじゃあ仕方ないかな。
「……ここからもうちょい行けば、山、あるんだよな……」
ああ、そういえば。
去年の夏祭りの時、花火見るために一緒に登った覚えがある。
……滅茶苦茶大変だった覚えしかないんだけれど……あの時は浴衣に草履だったから大変だっただけ、かもしれないし、何より、家に帰ってベッドの上で単語帳捲ってるよりはマシだろうし。
「……行ってみる?」
「うん。どうせ帰っても暇だろ」
「うん」
学生の本分なんて、言い訳に使うとき以外にわざわざ思い出してやるほどの物でもない、と思う。
そこから1kmぐらい歩いて、それからその山を登った。
山って言っても、そんなに高くない。丘、とかのほうが近いかも。
途中までは道がなだらかに整備されてるから、登る、って程のものでも無いし。
……ただ、山の中腹にある遺跡から上は、全然整備されてない獣道みたいなのしかないから大変。
それでもジーンズにスニーカーだから楽。浴衣に草履じゃないから、凄く楽!
……っていう喜びを彼に伝えたら……去年、事前に何も言わずに浴衣に草履の私を山に登らせた彼を遠まわしに責めるみたいになってしまって、彼が申し訳なさそうにしていた。
あの夏祭りは彼の中でも3本の指に入る出来の悪さだったらしいから。
ちなみに私の中ではその後の花火が綺麗だったのと、彼との雑談が弾んだのとで、そこまで悪い思い出でもない。
「……っと。ここからなら良く見えるな」
獣道を辿った先は、正に穴場。
地上が少し遠く見えて、空の塊が落ちてきた地点も良く見えた。
……地面に落ちた空の塊は、やっぱり砕けて、白っぽくなってて。
ただ、ニュースで見た時よりも、実物の方が赤っぽい。
イチゴ味のかき氷よりは、トマトジュース掛けたかき氷、に近いかも。
「特筆すべきことも無し、か」
「規模が大きい意外は別に、ってかんじ?」
わざわざ苦労して見に来た割には大したこともない。
ただ、空が大量に積もってるだけ。
「けど、此処からの方が空の向こう側が近いよね」
山に登った価値があるとしたら、むしろこっちかもしれない。
ぽっかりと開いた、空の穴。
その向こう側の青色が、昨日よりもほんの少し近い。
「誤差の範囲だろうけどなあ」
……まあ、そうなんだろうけど。
「こうして見ると、ほんとに綺麗だよな。空の向こう側」
空の赤色も嫌いじゃないけれど、空の向こう側の青色は凄く綺麗だ。
……もし。もし、空に穴が開かなかったら、私たちは空の向こう側にこんなに綺麗な色があるなんてこと、知らずに生きていた。
「2000年前の人達って、なんで空、作ったんだろ」
こんなに綺麗な物を、ずっと隠して。
「……これを見せるために、昨日、穴が開いたのかもなあ」
……うん。それでもいいかな。
ずっと高い位置の青色から目を逸らして地上を見たら、積もって山になってる空が溶けて、水溜りになって・…・。
……凄いものを、見つけた。
「ね、あれ、見て」
「ん?どれ?」
「あそこ。水溜り」
水溜りを示すと、彼の目が少し見開かれる。
水溜りが鏡みたいになって、穴の開いた先……空の向こう側の色を映していた。
「……なあ、水色、ってあるじゃん」
「あ、同じこと思った!」
水は透明だ。色なんて付いてない。
なのに、『水色』は、薄い青色を指す。
それが何故か、小学生の時に先生に聞いて、先生を困らせた事があった。
……その答えが今、分かった。
「……昔は、空、無かったんだもんな」
「だから、水に映る色は、空の向こうの色だったんだ」
こうやって考えれば、空に穴が開かなくても空の向こう側の色が推測できたのかもしれない。
「大発見」
「ね」
地上であくせくと山になった空をなんとかしている人たちは、溶けた空に何が映ってるかなんて、見えてないらしい。
私たちは顔を見合わせて笑った。
「俺達の発見に乾杯」
「有意義な学びをもたらした臨時休校に乾杯」