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 苦い敗北感と共に大学を後にした健二の足は、考えるまでもなくいつもの場所へと向かっていた。講義の後のテニスが大学での日常なら、今向いている足の先が健二にとってのもう一つの生き甲斐とも言える日常だった。


 始めるタイミングとしてはここだろうと前々から思っていた健二は、大学への入学を機に一人暮らしを始めた。

 別に実家での生活が特別窮屈だったわけではない。だが、一度自立の一歩としてそういった経験はしておくべきだろうという考えがあった。そんな高尚な考えの中に、一人という自由の魅力さが全く混じっていなかったと聞かれれば否定は出来なかったが。


 新しい我が家は大学から二駅離れた場所にある。大学に近いに越した事はないと思ったが、わざわざ少し離れた場所に決めたのには理由があった。

 一人暮らしという自立に当たってバイトは必須事項だった。とはいえ、バイトで全てを賄えるとは自分自身も両親も思っていなかったので、仕送りという考えにお互い異論はなかった。両親は「まだ学生なんだから当然の出費だ」と言ってくれたが、将来的には就職したら家にお金を入れるつもりだったので健二からすれば前借しているという感覚だった。

 そんな思いを持ちながら住居とバイトを探していた時、一店の古着屋が目に入った。何気なく入ったその店を見回していると、レジに座っていた白髪のシブイおじさんの奥に控えめに貼られたバイト募集の張り紙を見つけた。ぼやーっとその張り紙を見ていた所、


「手伝ってくれんのかい?」


 と子供のような笑顔で聞いてくるものだから、思わず健二は、はいと頷いてしまった。

 だが不思議と後悔はなかった。そして結果としてこのバイトでの経験が後のアパレル業界への就職にも繋がったのだから、むしろこの店には感謝している。

 そんな住む部屋の前にバイトが決まってしまうというおかしな流れから、バイト先と大学の中間に位置する今の部屋に住む事を決めたのだった。


 健二が向かっているのはそのバイト先の近くにあるスーパーだった。日頃の食生活で大変お世話になっている店ではあるが、健二は売り場には入らず併設されている憩いのスペースに腰を下ろした。


 ――まだ少し早いな。


 腕時計を確認し、時間を埋める為に鞄から小説を取り出しページをめくった。







「お待たせ」


 待ち人の声に健二はぱたんと小説を閉じた。顔をあげずともそこに誰が、そしてどんな顔で立っているのかまで明確にイメージ出来た。視線をあげるとイメージと現実が綺麗に重なった。

 健二の前に、見下ろす形で一人の女性が立っていた。

 茶色がかったロングヘアー、白のTシャツにスキニーの黒パンツ。細い一重の目元には想像通りの暖かい優しい目があった。


「ああ、お疲れ」


 健二は本を鞄に仕舞い、その場から立ち上がった。


「さてと、今日のメニューはどうしましょうか」


 健二の彼女、江ノ上理沙えのうえりさは軽い足取りで店内へと入って行った。



 健二と理沙との付き合いは中学時代にまで遡る。男女の付き合いをしている者は周りにも多くいるが、健二達程長く付き合っている者は珍しく、理沙との話が出る度に周囲からは、「結婚はいつか」の決まり文句が飛び出た。

 健二自身も最近になって明確に結婚を意識するようになっていた。高校の頃までは冗談程度で受け流していたが、社会人手前。結婚の二文字は現実の色を強く帯び始めていた。ここまで長い付き合いになると、互いにそこにいて当たり前の存在だった。このまま結婚というのは、普通に考えれば当然の答えだと健二自身も思っていた。

 今はまだ健二も理沙もそれぞれ一人暮らしで、互いの時間を縫って顔を会わせ一方の家に泊まる、そんな通い婚のような生活だった。だが中学、高校、大学と二人の生活の距離は着実に近付いている。まだちゃんと話せていないが、そろそろ一度、同棲しようかと健二は考えていた。


「あ、今日のメイン親子丼にしよっか?」


 笑顔でそう尋ねる理沙の顔がいつでもそこにある未来を考え、健二は微笑み返した。


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