地獄への上京
橘圭吾は起きた時から違和感を感じていた。
彼の魔術力はさほど高くはないが、教わった通り感じ取れる程に何かが蠢いているのを圭吾は感じ取った。それは遥か南、東京。首都圏の辺りである。
圭吾はベッドから降り、自分の部屋を出て、リビングへに入った。時計の針は七時を指そうとしている。キッチンで朝食の準備をしている父親と目が合った。外は快晴であった。
「おはよう」
「――おはよう」
素っ気ない朝の挨拶を済ませ、圭吾は慌ただしくテレビの電源を付ける。テレビに映るのはいつもの朝のニュース番組だった。占いコーナーをやっている。
「どうした? 圭吾」
父親がいつもと様子が違う圭吾に問う。圭吾は父親に真面目な表情を見せた。
「……父さん」
「んっ?」
「俺、行くよ」
「そうか……でも、本当にお前がするべき事なのか?」
「きっとそうだと思う。それに母さんとの約束だからね」
「そうか……お金は大丈夫か?」
「ああ、大丈夫。それと悪いけどNinja借りるよ」
「わかった」
川崎重工業のバイクであるNinjaは父親の趣味である。型式は250R。2008年発売の黒いNinjaだ。
圭吾は急いで自室に戻り、準備をする。寝ぐせが付いた黒髪を直し、パジャマから私服に着替え、ショルダーバックに必要な物を詰め込み、ミリタリーコートを羽織った。
そしてログハウスの実家を出ると、隣の倉庫に向かう。圭吾は倉庫からNinjaを押し出した。すると、そこへ父親が食パンを乗せた皿を持って来ていた。
「朝飯は大事だぞ。食べてけ」
どこか悲しげな父親だった。圭吾は黙って、食パンを手に取り、それを口に運んだ。
「何か来るのか?」
「ああ……父さん、もし東京に大事な人がいるなら東京から離れろって伝えた方がいい」
「何の根拠も無しに伝えるのはな」
「確かにそうだけど、起きてからでは遅いよ」
「そうだな……忠告ありがとう圭吾」
「じゃあ、行くよ」
圭吾はNinjaのエンジンをかけた。爆音が森林に囲まれた山奥に響く。圭吾はフルフェイスのヘルメットを被り、バイクを走らせる。砂利道を少し進んで県道に出たNinjaは勢い良く加速した。
父親は見えなくなるまで見送り続けるのであった。
東北から約四時間。東北自動車道で東京に向かっていた圭吾は渋滞にはまっていた。場所は浦和インターチェンジ付近であるが、黄金週間後半に差しかかった今日、ややUターンラッシュの渋滞に圭吾は苛立っていた。
(このままでは東京に入る前に起きてしまう――)
圭吾は東京に近付く毎に感じていた何かがこの一時間の内に急激に大きくなった事に危機感を募らせる。おそらく、あと数時間もしない内に何かが起こると圭吾は予測した。
(なんとかあと一時間のうちに東京に入りたいな)
圭吾は高速による東京到着を諦め、一般道での東京に入る事を決めた。圭吾は浦和インターチェンジで東北自動車道を降りる為、渋滞している車の間を掻い潜り、左側に位置する出口に入った。
そして国道122号線 (岩槻街道)に入り、そのまま直進する。岩槻街道はそのまま豊島区まで繋がっており、まだ比較的すいていた為、スムーズに行けると圭吾は考えた。
案の定目立った渋滞も無く、高速降りて約30分後、新荒川大橋まで辿り付いた時、最初の異変は始まった。圭吾は凄まじい物が地下からあがってくるのを感じ、危機感と緊張が大きく高まった。
「来る」
さらにその何かは複数に分かれていく感じを圭吾は感じた。それは10程度ではない100、1000以上の感触である。
(かなり大量な物が東京の地下を蠢いている……)
バイクを運転しながら、感じ取る圭吾。額には汗が滲む。新荒川大橋を過ぎてついに東京北区に入った圭吾は、一番大きい力が蠢いている地区を探る為、路肩にバイクを止め、目を瞑って集中した。
圭吾の実力ではさほど広い範囲を察知できないが、東京の地下に蠢いている力はかなり大きく。圭吾でも察知する事は可能だった。
この感じはまだ南。20キロぐらいか
圭吾はスマホを取り出し、地図アプリを起動させてここから約20キロ南に位置する地区を探す。
ここから南に20キロ圏内は……世田谷、品川、港区、渋谷、中央ぐらいか
圭吾はその中からとりあえず渋谷まで向かう事を決め、バイクを再び走らせる。そして赤羽岩淵の丁字路の信号機で止まる車列で止まった時、ついに異変は目に見える形で現れた。
東京メトロの赤羽岩淵駅の一番出入口から、裸の子供達が出て来たのだ。通行人達はその異様な姿に驚き、そして中から逃げてきた女性が血まみれになりがらも逃げて来た姿に恐怖を覚えた。
「きゃーーーーー!!! 誰か助けて!」
地下から逃げて来た熟年女性が必死に通行人に助けを求めるが、遅かった。裸の子供の一匹がうつ伏せの熟年女性に襲いかかって跨り、歯を立てて女性の肩をむさぼり食った。
「キャアアアアッーー!!!」
その光景を目の当たりした若い女性の通行人が悲鳴を上げる。熟年女性はあまりの痛さに悲鳴を上げる事も出来ず、ただ服を引きちぎられ、肉を食われるだけであった。一番出入口から次々出てくる裸の子供達は口の周りや手に血を付けていた。それはつまり、既に地下の駅は地獄と化している事を意味する。
通行人や止まっていた車に次々襲いかかる裸の子供達。その光景をバイクの上で見た圭吾は、恐ろしくなりながらも、奴らの正体を一発で看破した。
(こいつは……グール!!!!)
グールは人の死体を食らう魔物である。アラブの伝承に登場する怪物であり、フィクションではアンデットモンスターとしてよく登場するモンスターである。
走っていた車に飛び乗ったり、停車している車の運転手を捕まえようとフロントガラスを数匹で叩くグールに人々は恐れ、我先にと逃げ出していく。それを奇声を発しながら、追うグール達の姿はまさに異様な光景だ。
(グールだが、明らかに人工的な細工を施されている感じだ。ジョンの言う通りこれは……)
圭吾は路肩にバイクを置き、ヘルメットを脱ぎ捨て、ショルダーバックから小さな日本刀を取り出す。魔術にて小型化した日本刀を圭吾は元の大きさに戻した。
坂本竜馬が愛用した刀“陸奥守吉行”の模擬刀だ。通販で手に入れたこの刀は、殺傷能力を持たないが、圭吾が施した魔術効果により圭吾が持つ時のみ、真剣と化す。
圭吾は逃げ惑う人達の間を掻い潜り、グールと対峙する。圭吾を標的と定めた血まみれのグールの一匹が、圭吾に飛びかかる。
圭吾は最初の攻撃を回避し、日本刀を構える。
「きぃいいいやああああああああっ!!!!」
奇声を発し、威嚇するグール。異様で興奮する怪物に対し圭吾は冷静だった。再び飛びかかってきたグールをすれ違いざまに斬りつけ、グールは真っ二つになる。赤い血が周囲に飛び散った。
「ふう……」
自身の刀と魔術が通用する事に一安心する圭吾。圭吾はパニックになっている北本通りに進む。既にグールは何十体も次々一番出入口で出てきていた。
俊敏なグールに通行人は次々襲われ、助けを求めていていたが、圭吾は無視する。
(ここで時間を食うわけにはいかない。早く本丸を討たなければ――)
圭吾は自身に掛けていた魔術を発動する。身体強化魔術だ。圭吾は反対側の歩道向けてに走り出す。既に車の流れは止まっていた。圭吾はとても早い速さで北本通りを横断する。車を避け、グールを蹴散らし、無事圭吾は四車線の道路を渡り切った。
(このまま行けば赤羽駅周辺か……人口密度が多いところは避けて通るか)
グールは地下から現れ、人々を襲う事を考えると人口密度が多い個所は避けて通のが得策だろう。圭吾はなるべく駅など避けて進んでいく事を決め、大きな力を感じる南へと走る速度を速めたのであった。
東京に到着して二時間。既には時計の針は二時を過ぎて辺りで圭吾は池袋のサンシャインシティまで到着した。既にサンシャインの至る所には、引き裂かれ血まみれの衣類が散乱し、まだ乾いていない血だまりが多数あった。これがあの東京かと思えるぐらいに人の気配は無くなっている事に圭吾は少し恐怖を覚えた。
ここまで来る途中に、何人もの人に助けを求められた圭吾ではあったが、それを無視してここまで来た。圭吾は人助けに来たわけではない。この地獄の元凶を叩きに来たのだ。それは東京の地下深くに居座っており、見つけ出すのは容易ではないが、必ず見つけ出し、破壊すると決心している。でなければ、ここまで見捨ててきた人々に顔向けできない。圭吾は心の痛みを押さえながら、渋谷に向けて歩き出す。
「きぃやあああああ!」
圭吾は奇声を聞き、警戒する。まだ、生き残っている人をグールが見つけたのだ。圭吾は周囲を見渡し、物陰に隠れる。圭吾はここに来るまでグール数十匹と対峙して、グールの特徴をある程度分析していた。
グールは鼻が利く事、見かけによらず怪力を持ち合わせおり、油断して近付き反撃に合う者がいた。そして短距離選手の様な走りで追ってくる事。奇声を発するのは威嚇及び仲間を呼ぶためと人間に対しての心理的効果を狙ったものである事、非常に耳も良い事。
これらの特徴は明らかに本来のグールとは異なる特徴である。そして導き出される結論は、やはり人為的に作為を施された魔物、あるいは人工魔物の可能性があるという事だった。
(やはりこれは侵略なのか……)
こちらの世界にある物を手に入れる為、近々侵略作戦を繰り広げるのではないかと半年前ジョンから聞いていた圭吾であったが、その時は半信半疑であった。
しかし、今、現に起こっているこの殺戮は紛れもない魔術による物だ。もう疑う余地などなく、紛れもない侵略作戦だと圭吾は確信した。
感知魔術にてグールが離れた事を知った圭吾は物陰から飛び出す。少しでも早く渋谷に到着しようと圭吾は走り出した。
圭吾はついに四時間近くかけて渋谷の井の頭通りに到着した。グール達を避けつつ、力が強く感じられる個所の一つに到着した圭吾はひとまず一安心してため息をついた。とはいえ、渋谷の井の頭通りも乗り捨てられた車が多数存在し、信号機に激突した車はフロントガラスが血にまみれて曲がったボンネットからは火が吹いていた。ここまで来るのに散々見て来た血まみれた衣類は当然の如く散乱しており、至る所に乾いた血まだまりがあった。
圭吾は感知魔術で周囲を探り、ミリタリーコートのフードを被った。グール達のほとんどは建物に入りこんでいる事を感知した圭吾は渋谷駅に向けて歩き出す。
若者の街と言われた渋谷のその面影はない。完全に地獄な様相に、圭吾は少し悲しい気持ちが現れたのか、その顔は悲哀が感じられた。
(こうなるんなら……こうなる前に来ればよかったぜ)
スクランブル交差点に差し掛かった圭吾は交差点を見渡す。乗り捨てられた車やバイク、破かれた衣類類や持ち物、血だまりが交差点を埋め尽くしており、あの世界的に有名な交差点は無残な姿を晒していた。
「きぃゃあああああああああああっ!!!」
突然のグールの声に驚きながらも、圭吾は辺りを見渡した。建物から次々出てくるグール達に見つからぬ様、圭吾は物陰に隠れた。そしてその後を追い、スクランブル交差点を超えてハチ公前広場に辿りついた圭吾に目に映ったのは、若い女とそれに抱きかかえられる小さな女の子であった。グール達に囲まれ、明らかに獲物とされていた。
ここに来るまで散々見捨ててきた。その中には幼い子供もおり、心が痛まない訳では無い、しかし、魔力と体力を消費する事を考えると見捨てる事が最善だった。この先の渋谷駅の地下を調べる為にも最低限戦闘は避けるべきである。
しかし、圭吾は何人か助ければ罪悪感は薄まるのではないかという思いが胸を突く。実に自己本位的な考えだと自己嫌悪してしまう圭吾だったが、時間はあまり残されていない様子やグールの駆除を考えて、圭吾は決意するのであった。
圭吾は近くに横たわっていた原付バイクを片手で持ち上げる。身体強化魔術により軽々と持ち上げた原付を片手で抱えたまま、圭吾はグール達に向けて走り出した――