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女神は言った。娘を護ってくれと。
青年は言った。娘を護ると。
そして少女は言った。
「……痛い」と。
青年が夢から覚め勢いよくとび起きると、先程までの出来事を思い返す暇もなく鈍い音と共に激痛に襲われた。
身体を起こした拍子に何かに額をぶつけたようだ。
ココナッツの実を頭で割る超人の真似を実行した時の様な激痛だ。
それはきっと多くの人が体験したことがあるだろうあの痛みだろう。
人間誰しも必ず通る道だ。
もし、まだ体験がない人がいたら自分の机に向かって思いっきり頭をぶつけてみるといいだろ。
同じような痛みを得ることができるはずだ。
「――――っつぅあぁぁあ!!」
青年はたまらず額を抑えうずくまり、激痛との壮絶な戦いを数十秒耐えた。
ようやく痛みの引いた頭で青年はぶつかった何かを確かめるために周囲を見回す。
水平線が見える海、鬱蒼と茂る森、どこまでも続く砂浜。
ありふれた様な風景でありながらどこか神秘的な風景。
そして、それはそこにあった。
いや、いたと表現した方がいいだろうか。
涙目の青年が見つけたのは
金髪のダンゴムシだった。
正確には先程の青年と同じように額を抑え、丸まりうつ伏せになっているダンゴ……ではなく少女だった。
青年は気づいた。
この少女はきっと、ダンゴムシになりたかったんだろうなぁと。
「……違いますから。」
抗議するように涙声で呟いた少女の額は
ぽっこり腫れていた。
タンコブが出来てはいるものの、その少女は見目麗しい。
青年と並べば肩くらいの身長ではあるが、それでも150前後はあるだろう。透き通るような白い肌、膝まで伸びた金髪、琥珀色がかった大きな瞳、スッと通った鼻、バランスのいい唇、大人びているようでどこかあどけなさを残す相貌。
「もしかして、あんたが女神さまの娘さん?」
青年は額をさすりながら質問を投げかけた。
「……はい。あなたは、母が言ってた護り手さんですか?」
少女はまだ痛みが残っているのか、両手で額を抑えながら答えた。
「ああ、そうだ。幸田武って名前だ。」
「コードゥアティケシィ?」
「あだ名はシャイだからそっちでもいい。」
決して内気などという不名誉なあだ名ではない。
某道具を出してくれる猫型ロボットマンガの登場人物と名前が酷似しており、濁点が欠けた乱暴者の称号として手に入れたあだ名だ。
つまりシャイアンの略だ。
だが青年は乱暴者というわけではない。
背は高いが太ってはいないし。
どちらかというと映画版の方だろう。
綺麗なシャイアン。
そんなとこだ。
「わかりました。ではシャイとお呼びしますね。」
少女はあだ名で呼ぶことにしたようだ。
「ああ。それで、あんたの名前は?」
「名前は……ありません。」
ない。
それはシャイの一般常識からは考えられない返答だった。
この異世界において、地球のそれも一部地域の一般常識など通用するとは思えないが名前がないというのはあり得るのだろうか?
「それはいったい……。」
「私のいた場所では、個体を特定する記号というのは必要なかったんです。」
「なるほど、わからん。が、名前がないことは理解できた。」
名前がない。
その言葉だけで、空気が重くなる気がするのだが少女は特に言いづらそうにするわけでもなく淡々とその言葉を口にしていた。
「俺は、あんたのことをなんて呼べばいいんだ?」
確かに少女のいた場所では必要なかったのだろう。
しかし、彼と同じように異世界へと送られた少女には今後必ず必要になる物だ。
なにより、シャイが困るのだ。
いつまでも、あんたなんて呼び方はしたくない。
少女は困ったような顔をし、しばらく考え込んだ後上目遣いで俺を見てこう言った。
「シャイに、付けてほしいです。名前。」
その仕草に、シャイは図らずもドキッとしてしまった。
名前をつけるというものは、いざやってみろと言われると案外難しい物だ。
ある意味、その人物の全てを表す記号となるのだ。
慎重にならざるを得ない。
いくつもの名前が浮かんでは消えていく。
悩み続けるシャイに、これ以上ないだろうという名前が閃いた。
少女に対しての第一印象をフンダンに盛り込んだこの傑作!
「聞いて驚け、俺のネーミングセンスの粋を結集した自信作を!」
「金髪ダンゴムシ!」
「ネーミングセンスのあり得なさに驚きました!」
少女は、肩から掛けていたカバンを思い切り振りかぶり、シャイを殴った。
すごく、痛い。
「じゃあ、ユーラテ というのはどうだ?」
「ユーラテ……それは、どういう名前なんですか?」
少し以外だったように目を丸くして、説明を求める少女。
しかし、少女の右手にはカバンが握られている。
腰が引けたように少しずつ少女から距離を取りながらシャイは説明した。
「ユーラテっていうのは、リトアニア神話っていう俺の世界のお話に出てくる女神の名前だ。その女神が流した涙は、ちょうどあんたの瞳の様な色をした綺麗な琥珀になったと言われている。」
「名前の響きも気に入りましたが、その意味もまたピッタリな気がします。」
自分の名前を何回も何回も呟く。
そして、花のように微笑みながら少女は宣言した。
「私は、ユーラテです!」