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ウの問題児 『内田 玲』



 実と涼弥が出て行ったのを確認してから、玲は読んでいた文庫をランドセルにしまい、帰り支度を始めた。

 黒板の前に三人の女子たちがてんとう虫のように集まっている。先ほどの騒動の話題や、放課後はどこに遊びにいくかなどの談笑が耳に付き、玲は何気なさを装いながらその様子をうかがった。その視線を察知した女生徒は、ひそひそと声を潜めて言葉を交わした後、固まって教室から出て行った。

 玲は別段気にも留めないでその固まりを見送り、席を立って陽平のもとへ歩み寄る。


「また馬鹿なことをしたね」


 陽平は小さく鼻で笑い、ランドセルをひょいと背負う。半袖から出る腕に痛ましい青あざを見付け、玲はそこから目を背けるように視点をずらした。


「俺は間違いを正したから良いことをしたんだぜ?」

「あの騒動で彼が、自分の字は恐ろしく汚いということを自覚したのなら、それはきっと良いことなんだろうね」

「あいつは気付かねぇだろ、『空気』読めないし」

 

 吐き捨てるようにそう言った陽平を連れて玲は廊下へ出る。

 

「たしかに彼はものすごく状況認識能力が欠けているね。その癖、自己の能力を過信している」

 

 ガランとした廊下の先に、のそりのそりと闊歩する話題の張本人である浩次の後姿を見付けた。

 「どうする?」と並行する陽平に尋ねた。

 

「んー、今はまだ顔を合わせたくねぇな」

 

 苦々しい表情をして陽平は脇に折れ、階段を下りて行ってしまった。残った玲はしばらく思案顔でその場に立ち、やがて身を翻して牛歩する浩次の方を追った。

 浩次は廊下を直進してトイレに入ろうとしたので、玲は慌てて呼び止める。振り返った浩次の表情は、どこか暗く目元が赤く腫れていた。

 

「なにか用かよ」

 

 その無骨な態度に、玲は若干苛立った口調で告げる。

 

「みんな待っていると思うから、キミも早く来るんだよ」

 

 浩次は「分かってるよ」と吐き捨て、水色のドアを押してトイレの中へと消えた。

 玲はふんっ、と鼻から息を吹き、足早にその場から立ち去った。駆け足で階段を下り、職員室付近で陽平に追いつく。

 陽平は玲の横顔を一見し「どうだった?」と、さも関心がないかのように装って尋ねてきたが、本当のところは浩次のことを心配しているのだと傍目からでも容易にうかがえた。

 

「いつも通りの彼だったよ。恐らく、ボクがどうして声をかけたのかでさえ理解していないだろうね」

 

 そっか、と陽平は自分の下駄箱から履き古したスニーカーを取り出す。玲も外靴を逆さにして中に入っていた砂利を吐き出させてから、上履きと入れ替える。

 開け放たれた昇降口の向こうに、空を見上げている涼弥と実の背が見えた。

 

「陽平、ちょっと聞いてもいいかな」

 

 「んー、なんだぁ?」と陽平は解けかけた靴ひもを結び直し、おざなりに返した。

 玲はずっと疑問に思っていたことを口にする。

 

「どうして、あのようなことをしたんだい?」

 

 陽平の手が止まった。玲はもう一度、今度は取り違いのないように尋ねた。

 

「どうして、浩次を挑発するようなことをしたんだい?」

 

 屈んでいるため彼がどのような表情で聞いたのか分からない。けれど、付き合いの長い玲には、何となくその面持ちを予測することができた。

 

「あのままじゃ、あいつはただの笑いものだったろ」


 陽平は靴ひも結びを再開して喋り出した。

 

「しかも、涼弥の作戦もかき乱した。涼弥はそういうのを嫌うからなぁ。あそこで放っておいたら、あいつ、涼弥からウザがられて、俺たちからも孤立するんじゃないかって思ってな」

 

 靴ひもを結び終えた陽平が立ち上がり、玲へと振り向く。その顔は万遍の笑みだった。

 

「しっかし、殴ることはねぇよな。ああ、顔が痛ぇー」


 玲が口を開こうとすると、外から大音声が響いてきた。


「あ。あいつら、あんなところにいるぞ」


 陽平がケタケタと笑いながら先に行ってしまったので、玲は喉元まで上がってきた言葉を口の中で小さく呟いて消化した。


 ――キミは、本当に強いね。


 昇降口を塞ぐようにしてふんぞり返っていた涼弥に座るよう催促されたので、玲もその場に正座して通行妨害の仲間に参加することにした。


「玲は、浩次がどうしたか知らないか?」


 ズボンの膝にアリがよじ登ってきたのでそいつを摘み上げ、近くにあった床の穴にぐりぐりとねじ込んでいると涼弥がそう尋ねてきた。


「トイレに入って行くところを見たよ」


 涼弥は「あいつ、絶対に泣いてるな」とメガネの奥の瞳を細めた。玲も絶対にそうだと思ったが、特に口を挟まず、いつもの通り会話をぼんやりと聞くことにした。


「まったく、浩次くんには困ったものだねぇ。俺様の妙策が見事にぶっ潰されてしまったよ、まったく」


 口癖の「まったく」を連呼しながら毒づく涼弥。その横にいる実が空笑をして言った。


「涼弥くんはさっさきからそればっかりだね。江ノ島くんだって悪気があってやってるんじゃないんだしさ」

「そこだよ、そこ」


 涼弥は上体を乗り出して続ける。


「故意にやっていないところがあいつの悪いところなんだよ。悪意があって俺の作戦を妨害してくるなら、まだ対処できるからいいんだよ。浩次はまったく気付かずに邪魔をしてくるだろ? それがなぁー」


 涼弥は後ろに倒れ込み、会話に参加してこない陽平の顔色をさり気なくうかがっているようであった。陽平はどこか上の空で、浩次との悶着の尾をまだ引きずっているふうである。

 玲は涼弥をきつく睨み無言の一撃を加えた。涼弥はそれを敏感に察して、


「あー、まぁそうだな。俺が勝手に考えたことだし、浩次を責めても仕方ないよな」


 と取って付けたように浩次を気遣った。


「そうそう。涼弥くんがちゃんと説明すれば、江ノ島くんもきっと『遠慮』してくれるよ」


 そこは自重させるんだ、と玲は実にツッコミを入れそうになったがぐっと辛抱する。


 ――彼は意外と腹黒いのかもしれないな……


 玲が心のメモ帳にそう記入していると、仰向けに倒れていた涼弥が「来た」とぼそりと口にした。



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