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イの問題児 『市川 涼弥』



 前席に座る実が「分かりません」と声を震わせながら答えたとき、涼弥の脳髄にある方策が駆け回った。


 ――これが成功するときっと面白いだろう。というか、俺が面白ければそれでいい。

 

 成功したときの担任の困惑した顔を楽しみにしながら、涼弥はにやにやと黒板を見つめた。

 彼は今までにも数々の作戦ならぬ悪戯を実行し、周囲の大人たちを惑わせてきた。彼にとってその行為は、自身の好奇心を満たすために敢行してきたにすぎず、大人たちに迷惑をかけているという実感は毛ほどもなかった。

 渡辺が苛立った声音で涼弥に問題を解くように促す。そろそろ不味いかな、と思い涼弥は「分かりません」と応じて再び笑みを浮かべる。

 

 ――さて、成功するかな?

 

 玲は予想通りの冷徹振りで渡辺をいなし、本作戦で唯一の杞憂である浩次が指名される。浩次がのそのそと立ち上がり黒板の前に出たとき、涼弥は心の底から落胆した。

 

 ――俺の策が浩次に妨害されるのは今日に始まったことじゃないけど、一度きつく言っておいた方がいいかもな。

 

 黒板に気味の悪い縮れ毛のようなものを書き殴り、揚々と自席へと戻る浩次に、涼弥はメガネの奥から冷たい目を浴びせた。無論、浩次がこの視線の意味を察せられるようなやつではないと知りながらである。

 物事が思い通りに展開しなかったことで、半ば苛立ちを感じ始めていたそのとき、彼にとって予想外のことが起きた。

 作戦のトリであった陽平が、浩次の解答に難癖をつけ始めたのである。

 涼弥は心臓の高鳴りを止めることができなかった。

 

 ――やっぱり、あいつは一味違う。

 

 陽平の思わぬ行いに涼弥は感激していた。

 涼弥が陽平の存在を認識したのは、小学三年生の時分であった。それまでも同じ悪ガキの一人として聞き知ってはいたが、大して興味を引くようなこともなかったので直接的に接触したことはなかった。

 涼弥が陽平に関心を抱いたその日は、茹だるような暑い夏の日のことであった。

 学校中のトイレットペーパーを一カ所に集め、それらを人質ならぬ『モノジチ』にして体育倉庫に三時間立てこもった挙句、モノジチ解放の交渉に、一日一回の給食を二回にするように要求するという事件が起きた。

 その犯人が、大谷陽平であった。

 そのようなバカの所業を目撃したとき、涼弥の全身に嫉妬にも似た衝撃が迸った。

 自身が目指す人物像に、彼ががっちりと音を立ててはまったのである。

 涼弥が目標とするものを、仮に四字熟語で表すならば、当意即妙や融通無碍、奇想天外がもっとも近しいが、彼の目指しているのは、そのような言葉を超えた自然的な機転、それは、自然災害のように予測不可能で突発性の発想を持つ人物であった。

 その理想とする人物像に陽平が当てはまるように思え、涼弥の中で悪友に近い立ち位置であった陽平の評価は一変した。同朋でありながら一目置く人物となったのである。

 気になるものは自分の目で確かめなければならない性質である涼弥は、事件後ただちに陽平に接触を図り、事件の内情を問い質した。

 陽平は唇を尖らせ不服の体を顕わにしながら、「その方が学校に行く楽しみが増えるだろ」とただそれだけを述べたのだった。

 その返答を聞いた涼弥は拍子抜けしながらも、彼といれば常に新鮮な刺激を受けることができ、自身の成長の助力になると確信した。それ以後、涼弥は陽平と交友を持つようになったのである。



 今回は浩次のお陰で失敗に終わったけれど、結果として想定外の出来事を楽しむことができたので、口では文句を垂れつつも涼弥は大いに満足していた。

 涼弥は空に向けていた顔を何やら騒がしい校庭へと移す。そこでは、低学年らしい数名の男子たちが和気藹々とサッカーゴールの前でボールを転がしていた。

 

 ――あんな、規則に雁字搦めの遊びのどこが面白いんだよ。

 

 白黒の球を蹴る彼らを鼻で笑い、他の奴らはまだ来ないのか、と涼弥は背後の下駄箱へと振り向いた。

 ちょうど陽平と玲が外履きに履きかえているところであった。

 

「あ、来るみたいだね」

 

 実が細い声で言った。

 

「だな。あとは、ブタくんか……あいつ、先生に怒られて涙目になってたろ、どこかで泣いてるんじゃないか?」

 

 言いながら涼弥は昇降口にいる二人に大きく手を振った。二人は何やら話し込んでいるようで、こちらに気付かない。

 

「はは、さすが泣きはしないでしょ」

「いーや、浩次は見かけだけで、心はガラス細工のようにもろいぞ、おーい」

 

 大声で呼ぶと、陽平と玲は驚いた表情をこちらへ向ける。涼弥はさらに声を張り上げ「うぉ――い」と二人を呼び、その学校中に響きそうな大声に実は苦笑をもらしていた。


「よしよし、気付いたか」


 満足げに頷く涼弥のところへやって来た陽平は、ケラケラと笑いながら言う。


「そんな離れてもねぇんだから、馬鹿みたいな大声を上げなくても聞こえてるって」


 玲は「お待たせ」と呟き、陽平の横で付き人のようにたたずんでいる。


「おう、待ってたぜ。まぁ座れや、お二人さん」


 芝居がかった口調で二人を座らせ「浩次は?」と陽平に尋ねる。浩次の名前が出たことに陽平は少しむっとした表情をして、「知らね」と短く答えた。

 涼弥は肩を竦めて実と視線を合わせると、実は微妙な笑みを返してきた。


「玲は、浩次がどうしたか知らないか?」


 床にできた凹凸に指をぐりぐりとねじ込んでいた玲は顔を上げる。


「トイレに入って行くところを見たよ」


 涼弥はにやりと口元を綻ばせて言った。


「あいつ、絶対に泣いてるな」



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