開示された真相の究明(1)
翌日のホームルーム、暗澹とした表情で渡辺が口を開いた。
「今朝、市川君の親御さんから、涼弥君の行方が昨夜から分からないと連絡を受けました」
それを聞いた実の頭にぽかんと空白ができる。その僅かな間隙を、地下壕の闇底、鎮魂のために設えられた祠の存在が隙間風のように抜けた。
祟り。
その単語が実の頭に根を下ろす。
陽平がいなくなり、涼弥がいなくなった。この一連する友人の失踪は、地下壕を荒らしたことに憤った霊魂たちの祟りではないのだろうか。それならば、次は自分や浩次、玲もその犠牲になるのでは……
そのような非現実な空想を、ぶるぶると振り払う。
――幽霊なんているわけない。それに、あそこは完成前に戦争が終わっちゃったから、使われたことがないって大谷くんも言ってたし、祟りなんてあるわけない。
顔にじんわりと陰りを落とし、自分一人ででも陽平を救いに行けばよかったと悔恨に揉まれながら、涼弥はどこへ行ってしまったのだろうと実は考える。
「誰か、市川君の行方に心当たりのある人はいませんか?」
渡辺の目は明らかに実たちのことを見ていた。
その表情は立て続けに起きた出来事に疲労しているようで、目の下できた濃い隈と元々のくたびれた風貌とが相まってより一層疲弊が顕著になっている。彼のネクタイを止めているピンが「お前は二人の行方を知っているのだろう?」と問い詰めてくるかのように鋭く照り、実は無意識にその視線から逃れるようにしてうつむき、ズボンの裾を強く掴んだ。浩次と玲はどのような顔をしてこの話を聞いているのだろうかと思い、後ろを振り返ろうとも考えたが、空席になった涼弥と陽平の席を見てしまうことが恐ろしく、彼にそれをさせなかった。
背中に一本の鉄槍が刺さったかのように、実は身動ぎせず凝然と授業を前にする。教師の口から出る単語は、するすると耳を抜け、まったく頭に残らない。緊張した全身とは異なり、時は漫然と通過して放課後がやってくる。その頃になってようやく、実は冷静に分析を行える状態にまで回復していた。
――涼弥くんはどうなってしまったのだろう?
そもそもの原因と思われる陽平の消失にまで立ち戻る。
闇に消えた陽平のことを内密にしようと、口を割ることを禁じた涼弥。昨日、担任の渡辺にそのことが露見しそうになると彼は、「俺が何とかする」と言って陽平の家にプリントを届けに行った。そこで何があったのか……何かがあったのだろう、今度は涼弥がどこかへ消えてしまった。
隠蔽しようとした涼弥が、陽平を亡き者にした『犯人』ではないのだろうかと実は思っていた。しかし、今度はその涼弥がいなくなった。
それならば、と再び顧みる。
陽平を亡き者にした誰かが、あの場にいた三人の内にいたとする。自分の犯行でないことは分かっている。玲はあのとき秘密基地にいなかったから除外するとして、残るは浩次であるのだが、洞窟での怯えきった姿を思い出すに彼が実行したとは考えにくい。
――あれがすべて周到な演技だとしたら?
そのような器用なことが浩次にできるのかは怪しいが、可能性としては十分に考えられるだろう。そうなると範囲を広げなければならない。あの場にいなかった玲の犯行であるとも考えられるだろう。何て言ったってあの暗闇だ。こっそり後を着いてきていたことも……?
次々に可能性が出没し、実は頭を抱える。
――待って。前に読んだミステリー小説では被害者が犯人だった。だったらどうなるだろう? あれはすべて大谷くんの自演で、真の狙いは涼弥くんを消してしまうことだった……いや、そもそも根本から違うのかも。
陽平が語った、暗闇に沈んだ人が獣になった物語を思い起こす。
――そう言えばあのとき、獣の鳴き声のようなものを聞いたがする。あれは一体?
ここに来て実は自分の犯行を初めて疑う。もしかしたら、獣になってしまった自分が無意識の内に罪を犯していたってこともあるのではないかと、疑心暗鬼の沼にはまり始める。一度その淵に踏み入ってしまうと、容易には抜け出せない。
「実、ちょっといいかい」
氷柱のように冷徹な語気が、混沌とした頭を抱えた実に突き刺さった。
机の前には玲が立っていた。その横には引き攣った顔をした浩次の姿もある。
瞬発的に実は視点を下げた。どのような可能性があろうとも、自分の犯行ではないと信じるのなら、もっとも現実的な解答は、浩次が犯人であることであった。目の前に殺人犯がいる。それを思うと恐ろしくなり、彼の爪先から髪先までを冷たい緊張感が行き渡る。
「実、浩次。今日のキミたちは何か様子がおかしい。それは、涼弥の行方が分からないことと何か関係があるのかい?」
浩次の方をなるべく見ないように、実は恐る恐る頭を上げる。
――全部、話してしまおう。
自分すら信じられないのだ。誰を疑っても仕方ない、とすべて話してしまうことにした。
「たぶん、関係していると思う。本当は一昨日、僕と涼弥くんと江ノ島くんと、大谷くんの四人で、あの秘密基地に行ったんだ」
実は一昨日の一幕を訥々と語り始める。
◆
実が平坦な声で一昨日の恐ろしい出来事を語った。言葉足らずで、所々つっかえながらであったが、あのときのことを彼なりの視点で克明に描写した。何カ所か口を挟みたくなるところがあったけれど、浩次は最後まで大人しく聞いていた。
「僕たちの誰かが、大谷くんをあの水場に突き落したんだ」
実が落としていた顔を上げ、浩次をぐっと睨んだ。悪を糾弾するかのような力強さが籠められた瞳を向けられ、自分には卑しいことなど何もないはずなのに、浩次は思わずたじろいだ。
「俺じゃない……」
厚い喉から捻り出されたその声には、明らかな狼狽と逡巡の色が含まれていた。このままでは、自分が犯人にさせられてしまう。浩次は、自分が潔白であることの証明を必死になって探し、それを言葉にして吐き出す。
「そうだ、俺はあのとき一番遠くにいたじゃないか!」
取り乱した浩次とは対照的に、実は能面のような顔をして静かに反駁をした。
「そういうことを言う奴が一番怪しいじゃないか」
目の前にいるのが本当に実なのかと疑った。いつもオドオドとして人目を避けているような奴が、こうも食い掛かってくるのか、と。
「君たちは――」
下唇に手を当て、ずっと黙り込んでいた玲が口を開く。
「君たちは、勘違いをしているよ」
「えっ?」と浩次と実の声が重なった。
「陽平はちゃんと生きているよ。昨日、ボクと涼弥が陽平の家にまで確認しに行った」
「え……? えッ!?」
再び浩次と実が声を重ねてもらした。玲は間を置いて沈思黙考し、「仕方ないか」と呟いてから続けた。
「それは、ボクらが考えた悪戯だよ」
浩次は声を出して驚いた。やはり実も同様の反応を示した。
「えっと、それは、つまり、どういうことなの?」
「だから、さっきも言っただろう。陽平は生きている」
「え、じゃあ、あれは! 誰かが争うような音は?!」
「陽平と涼弥の自演だろう」
「あの水の音は何だったんだよ? 俺は確かに聞いたぞ」
「君が河原から持ってきた大きな石があったろう。僕が聞いた話では、あれを落とすと陽平が言っていた」
玲は一度深呼吸をし、「本当は、あの日――伍物語をやったあの日、陽平が最後の明かりを落としたときに、その悪戯を実行する予定だったんだよ」
浩次は、伍物語の最後に明かりを落とすことを必死に拒んでいた玲を思い出し、「じゃあ、なんであのとき内田は止めたんだよ?」と疑問をぶつけた。
玲は苦々しそうに言う。
「あれは……陽平の話があのときの状況に被っていたということもあったし、何か嫌な予感がしたんだよ」
その答えに嘘はなさそうであった。
体中の空気を絞り出したかのような深い息と一緒に、「よかった」という安堵の声が実の口からこぼれた。浩次も脱力して、どんと教壇の端に座り込む。
玲は、その悪戯のことを涼弥から口止めをされていたのだろう。それを律儀に守っていたため、今まで黙っていたのだ。
「今回のはやけに手が込んでるな。……で、市川はどこで何やってるんだよ?」
やっと肩に乗った重りが落ちた、というように全身の肉を緩ませ、座り込んだ浩次は玲を見上げて言った。
「分からない」
再び唇に触れながら重々しく玲が口にしたのを聞いて浩次は目を見開く。玲の眉には渓谷を思わせる皺が寄り、見るからに気難しい顔となった。
「ボクが聞いていた計画は、明かりを消して陽平が誰かに落とされたかのように工作をする。涼弥がライトを点ける前に陽平はどこかに身を隠し、君たちが取り乱す様を見て楽しむ。良きところで、陽平が現れてネタばらしをする、といったものだったんだ。先ほど実から聞いた話では、浩次が逃げ出してしまったそうじゃないか。それで計画を変更したのかもしれない」
逃げ出した、ということに反論したかったが、話が逸れてしまいそうだったので浩次は飲みこんで堪える。
「でも、江ノ島くんが逃げ出したあと涼弥くんも慌てて追っていったから、大谷くんと相談するような時間はなかったようだったけど……」
実がそう述べると、一時は訪れていた朗らかな雰囲気が引き潮のように何処へと流れ去っていき、残された凪の静寂から切迫した海面にも似た、いずれ来るであろう動乱の予兆のようなものをひしひしと感じながら三人は沈黙した。
涼弥があのとき何を考えていたのか何て分かるはずがない。浩次は考えることを投げ出そうとし、ふと、頭をよぎったことを何気なく口にした。
「市川って、何かやばいことを仕出かしたとき、口止めするような奴だったけ?」
浩次は想像する。涼弥が何かを大きな失敗を仕出かす。それを隠そうとするだろうか? するかもしれない。するかもしれないが――
「するとしたら、より状況が楽しいものへと転がるようにする、よな」
「うん、涼弥くんならそうする」
間髪入れずに実が答えた。
「僕たちが三年生の時に、大谷くんが起こした立て籠もり事件のときだって、あんな面白いことどうして自分が思いつかなかったのかって、頭を掻きむしりながら悔しがっていたほどだよ。涼弥くんは、誰かに怒られるとか、そういうのはまったく気にしない、自分の楽しみを重視するタイプの人だと思う」
ならば実も浩次も、涼弥の巧みな演技に騙されたのだろう。あのとき涼弥は何かを思いつき、浩次と実に口封じを行った。それは、折角の目論みが水泡に帰してしまうことを阻止したかったという思いの表れだったのだろう。浩次の逃亡によって乱れた策略を、何とかして次に繋げられないかと思案したからこそ、あの涼弥とも思えない、逃避的な態度を演じるに至ったのだ。そのような涼弥を実は不審そうに見ていたようであったけれど、自分はまんまとしてやられたと思うと浩次の胸には少しだけ悔しさが滲んだ。
「それと」
実が前置きをして続ける。
「涼弥くんってさ、大谷くんのことをどこか尊敬するような目で見るときがあるよね……頼りにしてるっていうか、大谷くんを通して誰かを見ているような憧れの視線で」
浩次にも思い当たる節があった。
ここ一番のときに起用する代打のような、あの伍物語が良い例だと思う。ああいった五人で何かをするとき、決まって陽平の順番は最後になる。偶然そうなるときもあるけれど、多くの場合は涼弥がそうなるように仕組んでいたように思われた。
「――そうか」
二人の話を聞いて、玲は何か考え付いたのか涼しげな声で言う。
「彼は、洞窟から追って来ない陽平を不思議にも思ったが、何か新たな悪戯を思いついたのだと勘繰ったんだ。いや、陽平ならきっと何かするであろうと期待したのかもしれない。とにかく、彼は、陽平が出てこないのは、作戦の失敗を取り返そうとして新しい何かを画策しているのだと推測したんだ」
「それで、あんな柄でもない逃げ腰なことを言ったのか?」
「分からない。分からないけれど、その可能性は極めて高いはずだ」
そう断定した玲に、浩次はまだ残る疑問を投げる。
「だとして、内田。大谷は学校を休んで何をしてるんだよ? 大谷が学校を休んでいることも、市川が行方不明になったのも、全部、大谷が考えた新しい悪戯ってやつなのかよ?」
玲の表情に影がさし、問い詰めから逃げるように視線を斜め下に落とした。
「陽平が休んでいるのは、涼弥のこととは関係ないと思う」
「関係ないって」
浩次は立ち上がり玲の肩を掴む。
「じゃあ、大谷は洞窟に残って何をしてたんだよ。お前は、昨日学校の帰りに大谷に会いにいったんだろ? そのときあいつは何て言ってたんだよ?!」
小さく華奢な肩が僅かに振動させ、玲は浩次から顔を反らす。
「陽平は、いいんだ。今は、涼弥の手掛かりを探そう」
その語尾は、目の細かい布に濾されたかのように消えていき、後半はほとんど何を言っているのか聞こえなかった。煮え切らない浩次は舌を打つ。
玲と陽平。浩次が陽平と出会ったのは、三年生のときであったが、そのときも玲は他クラスであるはずの陽平の元へ頻繁に訪れていた。友達にしては近すぎる二人の関係。仲が良いと茶化せば二人同時に怒り、どちらかを馬鹿にすると関係のないはずの片側が怒ってくる。友達がまったくいなかった浩次は、その二人の関係に嫉妬を覚えたこともあった。嫉妬を抱いてしまうほどの片割れが、このように言っているのだ。何か思うところがあるのかもしれない。
「分かったよ。今は市川の手掛かりを探そう。――それでいいよな?」
浩次は実に尋ねた。実は「いいよ」と頷いて席から立ち上がり、浩次の前にまで歩み寄った。
そして、「江ノ島くん。ごめん」と小さな頭を下げた。
「僕は、あの秘密基地での出来事で、江ノ島くんのことを疑ってたんだ。良く考えもせずに浅はかだったと思う。本当に、ごめん」
深く頭を垂れた実を対応に困った浩次は狼狽し、実に頭を上げさせた。
「いいって、もう終わったことだろ? むしろ、お前は被害者側なんだぞ? 涼弥と陽平が戻ってきたら、一緒にあいつらを締め上げようぜ」
実の目尻には涙が浮かんでいた。
きっと、実も辛かったのだと浩次は思った。暗闇で怪事が起き、友達の誰かを疑わなければならない状況に陥った。臆病だが人一倍心優しい実が、そんな一息に気持ちを切り換えられるはずがなく、精一杯の虚勢を張っていたのだ。それが今、涙とともに破れたのだろう。
「うん」と実が笑う。
「一緒に締め上げよう!」
涙顔の笑顔を見て、浩次の胸にも熱いものが込み上げてきた。それを目頭で受け止めたとき、自分が感動してしまったのだと知った。
――これが、友達か。
長年、狷介的であった性分が氷解していくのを浩次は確かに感じていた。それは、今までの自分が確実に変わってしまうほどの激震であったが、この変化は好転であるはずだと、全身に満ちている暖かいものに心震わせながら彼は目元に力を籠め、溢れてくる温もりを堪えていた。
――笑って、怒って、泣いて。遊んで、ケンカして、仲直りして。一々、態度が変わって面倒くさいと思っていた。どうして自分のやりたいことを曲げてまで、他人に媚を売らなければならないのかと疑問に思っていた。
ようやく、理解できた気がする。
一緒に笑えると、下らないことも面白くなる。
一緒に怒れると、嫌だったことも和らぐ。
一緒に泣けると、悲しかったことがとても些細なことであったと気が付ける。
とても――。
とても大切なものに、やっと気付けたように思えた。
思い返せば、六年生になってからは、悲しいことや詰まらないこと、苛立ちよりも楽しいことの方が増えていた。来ることが億劫だった学校が、楽しみで、楽しみで仕方のないかけがえのないものに変わっていた。
浩次は水膜の張った瞳で実と玲を見、ここにはいない涼弥と陽平を思った。
――全部、こいつらのお陰だったんだ。
身勝手で我が侭で高慢な俺を、彼らだけは呆れることがあっても見放すことはなかった。どうして俺みたいな奴に構ってくれてたのか、それは聞きたくても聞けない。もし、「ただ可哀相だったから」何て言われてしまったら、今の俺なら泣き崩れてしまうかもしれない。でも、こいつらならそんなことは言わないと、よく分からないけどそう思う。それがきっと、友達ってやつなんだ。
言葉にするにはまだ歯痒さを感じるその単語を、浩次は大好きなカレーを食べるかのように大切に飲みこんで胸にしまった。
――ずっと、自分が世界の中心に立っていると思っていた。
それは違った。
俺は一人で地球儀のように、ビー玉のように丸くなっていただけだった。
中心で丸く籠っていた俺をこいつらが引きずり出した。そして、気付かせてくれた。
世界は丸くはないことを。
丸い世界に先はなく、くるくると同じところを回っているだけだと。
やっと至れたこの想いを、もう手放したくない。
「市川を見付けよう。そうしてまた五人で、笑おう」
遠い目で窓の外を眺めていた玲がはっと浩次へ向いた。
「うん、またみんなで笑って遊ぼう」
実が笑う。浩次も笑った。
玲も――僅かに口元を上げたように見えた。
学校が忙しいのに加えて短編を書き始めてしまったので更新するの忘れてました。すみません。
これからもちびちびとアップしていくのでよろしくお願いします。
現在書いている短編の方は、今月末か来月の頭にはアップできると思います。