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そして、蠢く闇(1)



 玲が学校で陽平と顔を合わせたとき、腹の底から怒りが込み上げてきたのと同時に、胸の奥では謝りたいという気持ちもせり出してきた。

 二つの感情はない交ぜになり有耶無耶な態度を示す結果になってしまった。

 陽平の態度も玲と同様のものであった。

 いつも通りなのだけれど、どこかぎこちない。

 まるで初デートの心境だ、と玲は苦笑したが、自分はまだそのような経験を積んでいないので本当にそうなのかどうかは分からなかった。


 授業中、黒板の前に出て問題を解き終えた涼弥が、憮然と教卓の前に立って、見せつけるようにして鼻をほじり始めた。

 その意味を知らない生徒たちは大笑いし、教室はどっと笑いに包まれる。担任は、珍しく従ったと思ったらこの有様だよ、というような心労な表情をして、涼弥へ席に戻るように言った。

 涼弥は一人ずつ確認を取りながら席に戻って来る。玲は涼弥と目を合せないよう膝の上に置いた文庫を見つめる。そうすることで今日は行かないと態度で表した。

 それを見た涼弥の顔には、いつもの扇情的な笑みの中に少しだけ優しさを包容した微笑みをして席に着いた。

 変な意地を張らず素直に頭を下げ謝ってしまえばいい。玲は何度もそのように思ったが、無駄に高い矜持がそれを邪魔した。

 

 そうこう煩悶している間に放課後が来て、涼弥の席に集い陽平たちは教室から出て行った。玲は教室に残って文庫を読むが、いくらページを捲っても文字は文字のままで、意味は意味をなさず、物語は物語ることなく頭から抜けていってしまう。その空隙に入ろうと、まだ残っている生徒たちの囁きが耳に付く。それが腹立たしくて教室を出ることにした。


 教卓の横を通りすぎるときに、教壇に名簿が落ちているのを見つけて足を止めた。

 平静なら無視していたはずだけれど、今は何かをして気を紛らわせていたい。玲は名簿を拾って職員室へ届けることにした。


 階段を下りる足取りは鈍重だった。

 地球の重力が増加したのだ、と突拍子もない言い訳をしてみるも、途端にやる瀬無さが押し寄せる。


 ――やっぱり、謝りに行こう。


 そう決意すると、たちまち体が軽くなった。たったそれだけで重力から逃れられるなんて、人は気難しいことばかり考えているけれど本当は単純なのだと実感する。


 ――自身の薄っぺらさを隠すために、難しいことを考えて理屈を築き、その重みで大地にすがっているんだ。

 なにものにも捕らわれない人は、きっと空を飛ぶことができるのだろう。


 玲は空に思いを馳せ、軽やかに階段からジャンプした。



               ◆



 秘密基地には、普段と異なる重々しい空気が充満していた。

 昨日の伍物語の終盤に起きた陽平と玲のケンカ。二人が今も和解できていないという状態が、それぞれの心底でわだかまっているようであった。


 ――どうにか仲直りさせられないかな。

 

 皓皓と発光するライトを前にした実は、どうにかして二人の仲裁役になれないか、とあれこれ考えてみては自分には荷が重すぎると気を落としていた。

 そのような雰囲気を払拭しようとしたのか、涼弥が口から白い歯をのぞかせて提案した。

 

 「昨日の続き、しないか?」


 卑しさを含んだお得意の笑みを見て、実と浩次の顔が凍つき、ソファーに座っていた陽平からはため息がもれた。


「な、なんで、わざわざそんなことをするんだよ?」


 声を上擦らせた浩次に、さも当たり前のことを述べるかのように涼弥は「面白そうだからだよ」と口にして言い添える。

 

「今のご時世、何処も彼処も灯りばかりだろ? 繁華街に行けばギラギラに光る看板とかネオンの電飾があるし、深夜になっても住宅街のいたるところに街灯が灯っている。たとえ、世界中が大停電に見舞われて明かりが消えても、空には月とか星がある。だから本当の暗闇ってのは、滅多に体験できないものなんだよ」


 ライトを前にして涼弥は鷹揚に両手を広げる。下から照らす乳白色の光が舞台のフットライトのようで、その姿は貫録のある役者のようだと実はにわかに思った。


「俺たちにはこの場所があって、本当の暗闇ってやつを体験する環境が整ってるんだぜ? やらない手はないだろうが」


 涼弥なりに陽平を気遣っての提案なのだと実は思った。

 実の心中では、この涼弥の発想が魅力的だと思う気持ちと、真っ暗闇に接したときの恐怖心とが互いに譲らずせめぎ合い拮抗をしていた。その決着はついにつかず、自分では決めあぐねて他の二人の反応を待つことにした。

 浩次は引き攣った笑みを浮かべている。この様子では、彼も流れに身を任せるといった感じだろう。陽平は憮然と腕を組み涼弥に視線をくれていた。そもそもこの話題に興味がなさそうにも、涼弥の突飛な申し出に呆れているようにも見えた。

 

 ややあって陽平が、「いいぜ、やろう」と口にしたことで実の決意も固まった。


「僕も、いいよ」


 「浩次は?」と涼弥は黙っている浩次に振る。

 浩次は実と陽平の顔をきょろきょろと見比べて、もう覆らないと知ったのか、がっくりと項を垂れた。


「――よし。いいか、消すぞ」


 涼弥がライトの前にしゃがみ込み、一人一人に確認をとる。

 ソファーに横になった陽平は「さっさとしようぜ」と気怠そうに応じ、涼弥の傍にいる実は、闇に備えるかのように何度も瞬きをした。そんな実を見て浩次は「お前は本当に弱虫だな。だらしない」と強がりながらも、震える肩を必死に押しとどめているのか、彼の肘は不自然に動いていた。

 

 涼弥は煌々と輝くキャンプ用の大型ライトを抱え上げ、再び三人へと目線を流した。

 大きく頷く陽平。目を瞑っている実。頬を引きつらせている浩次。それぞれの面相の輪郭が際立って緊張の一端が垣間見えた。

 涼弥は生唾を飲んでから、ライトの電源を落とした。



「――――――。」



 目隠しをされたかのように視界が消え、突き放されたかのように音が消えた。

 すぐにそれぞれの呼吸音が、まるで耳元で喘いでいるかのようにはっきりと届くようになった。普段なら気色の悪いことこの上ないけれど、一切の光のない暗黒の世界では、それが心強くなって聞こえてくる。

 

 実の目は、何も見えていない闇の中でけたたましく稼動した。

 自分を見つめる視線が完全に遮断された空間。今まではどこかしらに明かりがあり、完全な闇ではなかったが、今それを体感した実の体中を恍惚に近い感覚が満たした。実は、ここが本来自分の要るべき場所なのだ、と密かに思う。

 自分と闇との境界がどこなのか、水に垂らした血液のように判断できなくなった。

 血は水の中で煙のようにゆらゆらと踊り、多すぎる水量に圧倒されて霧消する。そのようなイメージを抱きながら、膨大なものと一体になる感覚に脳が陶酔をしていた。

 実は自分の口角に手をやってみた。三日月のように鋭く長く吊り上っていて、自分は声をもらさないように静かに笑っているのだと知った。

 獣のように耳まで裂けた自分の口をたどるようにしてなぞる。これが本来の自分なのだと思うと、満腔に自信が満ち満ちてくる。今の自分ならどんなことでもできる。くつくつと肩を震わせながら、実は笑いを噛み殺す。

 

『ガ――』

 

 涎を滴らせた獣の声で、実ははっと我に返った。

 口に触ってみても、ささくれ立った唇が戦慄いているだけで、そこにいるのはいつもの臆病な自分。闇とともに湧き上がってきたあの自尊のような感情は、一体全体なんであったのだろう?

 不思議がる実のすぐ近くから、ザッ、と砂利を踏む音が鳴り全身が粟立ち、心臓が胸から飛び出そうとして暴れ出す。

 

 ――どうして、みんな、なにも喋らないのだろう?

 

 獣になる空想を抱いていて気が付かなかったのだろうか、先ほどから誰も言葉を発していないことに違和感を覚える。

 打ち鳴らした太鼓のように乱れた心臓の音が血管を伝って耳に届く。それに少し遅れて地面を踏む音が、秒針のように正確な間隔で暗く閑寂な地下壕に響いている。

 

 ――誰かが歩いてるのかな? 誰だろう?

 



 砂利の音が止まり、時間も止まる。

 自分の呼吸も血液の流動さえも、何も聞こえない。



「えっ?」



 続いていた空白を埋めたのは小さな声だった。

 それは、唐突に起きた出来事に当惑しているかのような声音であった。激しい擦過音に混じって、犬がケンカしているかのような小さなうめき声が暗闇のどこからか聞こえてくる。



「おい、ふざけるな! 止めろって!」

 

 絶叫に近い金切り声が突然闇を切り裂き、実はとっさに両耳をふさいだ。

 耳の穴にフタをしても、叫びはしつこく鼓膜へと粘りつて離れない。じっとりと頭の中を往復し、耳鳴りとなって実に語りかけてくる。そして、この声は誰かと誰かが掴み合いになって出たものなのではないかという想像に至った。

 けれど、何も見えない暗闇の中で起きている出来事は、想像でしか補うことができない。想像で補完したとしても、何ものか同士が争っているこの気配は、どこか遠い国で起きている戦争のように他人事となって届いてくる。前後不覚の現状がそれをより顕著に思わせ、実の高ぶっていた感情を丸く押し固めていった。

 

「お、おいっ!」


 怒気を孕んだ語調の中に、絶望的な未来の景色でも見てしまったかのような恐怖が含まれていた。それでも、テレビの先に映る戦争や災害を観るかのように、実はその声をぼんやりと傍聴した。本当に起きているのかも分からないことに、慌てふためいても仕方がないと思ったのかもしれない。

 

 激しく争う気配は、金曜の夜にやっているロードショーとなって届いてくる。

 仲の良かったはずの少年たちが、ちょっとした気の違いでケンカに発展してしまう。日々感じていた細かな苛立ちがこれを機に爆発してしまい、掴み合いの乱闘になる。

 硬く握った拳で相手の頬を殴る。負けまいと相手も拳を振るう。まるで鏡の先の自分と殴り合いをしているかのように籠めた力と同じ分量の力が返ってくる。

 争いはいよいよ激化する。

 殴られた勢いで地面に倒れた少年の目の端に、ごつごつとした大きな石が映る。怒りで我を失った少年は、その石を掲げ――


 ひと一人を水に落としたかのような、重たくまとわりつく水音が暗闇の洞窟に響いた。音は茫洋と暗闇に反響し、吸い込まれていく。ばしゃばしゃ、と鯉が跳ねているかのような水の音に交じって、小さく掠れた声がする。それに被さる丸太で殴りつけたかのような打撃音。やがてすべての音が止み、暗闇に明かりが一つ灯った。

 実は、その明かりの前に屈み込んだ陰が誰なのか目を細めて探る。暢気に明順応をした瞳に映ったのは、涼弥の青白い横顔だった。



昨日の一遍にアップしすぎたような気がしたので、これからは少しずつ上げていく予定です。

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