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オの物語 『ヒトとケモノ』



 遠雷が轟き頭上から砂粒が降りかかる。毛髪は砂塵で針金のように傷み、鼻腔に埃が溜まりむず痒いことこの上ない。

 この洞穴に籠ってから、どれだけの時間が経ったのだろうか?

 私には正確な時日を断定することができない。その理由は、私がまったく太陽の日差しを浴びていないからである。

 人の一日の始まりは、東空に昇る太陽とともに始まる。朝明けに身を晒し、昨日の穢れを炙り出すことで清い一日が始まるのである。

 ここに籠ってその言葉の意味をようやく咀嚼することができた。陽光を浴びていない体の節々に鬱屈とした澱のようなものがじくじくと停留し、凝固していくように思えて仕方がないのだ。

 眼下でゆらゆらと灯る矮小なロウソクを呆然と眺めることで、少しでもその澱を炙り出そうと先ほどから試みているのだが、澱は一向に溶解しない。


 この鼻息で消し飛んでしまいそうな明かりを中心とし、五人の男が車座になり腰を落としている。無論、私もその内の一人である。

 仄かに浮かび上がる各々の面相は悪鬼の如く悍ましく、他者の瞳を通せば私の姿も悪辣と映っているのだろう。

 どうしてこのような状況に陥ってしまったのか。私は、突然の大雨に見舞われたときのことを静かに想起させた。

 

 私たち五人は、逃げ込むようにしてこの穴蔵に飛び込んだ。しばらくここで雨宿りをしようとロウソクを取り出し、それを五人で囲んだ。言葉を交わすこともなく、朦朧と灯る炎を静々と見つめながら雨が止むのを待った。腹が減ると懐から干し菓子を取り出し腹に収め、喉が乾くとすぐ近く溜まっている湧水を啜った。それ以外の動作は何一つ行わず、何時しか一本のロウソクの行く末を見守ることが、私たちの義務のように思えてきたのだった。

 時折、ごぉおん、と爆撃のような落雷が洞窟内に反響しては、暗闇へと溶けて霧散した。

 このロウソクは何時まで燃え続けるのだろうか?

 私たちは何時まで斯様なことを続けなければならないのか?

 もしかしたら雨はとうの昔に止んでおり、この轟音は何か別の音ではないのだろうか?

 数々の不安を抱いたが、黙然と炎を見つめる他の者の瞳に希求のようなものを垣間見てしまい、一旦外を見に行こう、と口火を切ることを躊躇わせた。せめてこの火が消えるまで待って見よう。そのような誓いを立て、私も彼らと同じように炎を見つめ続けた。



 見守り続けたロウソクも小指の爪ほどとなり、ついに――

 

 消えた。


 それは呆気のないものであった。まるで人生のようだと思い笑いそうになった。

 視界は萎むようにして溶暗し、暗闇となる。

 淡々と続く暗黒。

 目の前に手の平をかざしてもなにも見えない。まるで自分が闇になってしまったかのような錯覚。他の人物の吐息が、自分は自分であると現実に繋ぎ止めていてくれているのだが、微塵の変化もない闇を前に、その呼吸音は自分の妄想ではないのかという不安が腹の底から立ち上ってくる。少し横に手を伸ばせばそこに誰かがいると分かっていても、もし手をやってその手が空を切ったら、という憂慮が頭の隅の方に渦を巻いて体を縛り上げる。誰かがこの静寂を一笑してくれれば、この奇妙な緊張を振り払えるのだけれども、と誰しもがそう思っているのか、自分からは決して声を出さない。その根底には、もし声を出して誰の返答もなかったらという恐怖があるのだろう。

 結局、私も何もできずに闇へと身を浸す。


 暗黒は毛穴から体内へと侵入し、腹の奥に沈殿した。

 次第に動悸は収まり、心身ともに闇に適応を始める。それはぬるま湯に浸かっているかのように心地よく、凝り固まった身体を丁重に解きほぐしてくれているようにも思えた。

 この空間にいる限りは世間の煩悶から隔離され、不変の甘美に酔いしれることができる。そのような興奮に脳髄を麻痺させていると、今度は先ほどまで頼もしく感じていた誰かの気息が鼻に付くようになる。この快楽を他者も味わっているのだと思うと、腹が立ってくる。この空間は私だけのものだと、独占欲が沸々と這い出してくる。一度でもそれを自覚してしまうと、他の存在が無性に気に障ってくる。


 腹の奥の――さらに奥。

 その人間の深潭部で、荒々しく禍々しい気配の生起を実感し、自分にもこのような感情があることに驚愕する。

 その気配は闇を味わうように四足を屈伸させ立ち上がり、脳の片隅で萎縮していた理性を舐める。僅かに知性を得たそれは、本能に従い縄張りを侵す他の者たちの排除を遂行する。

 理性の炎を失くした私は、闇の中で本能に従順な獣となった。



 数週間後、近所の竹藪から気味の悪い雄叫びを聞いた、と近隣住民が地元の警察官に連絡を入れた。警察官はその竹藪に掻き分け、ひっそりと鎮座する洞窟を発見した。

 奇妙な雄叫びはその奥から聞こえてきた。恐々と洞窟に踏み入った警察官は、最奥部でうずくまったみすぼらしい男を見付ける。

 男の周囲に転がる幾つもの白骨と肉片。口元から滴る赤い汁。

 警察官は瞬時に状況を判断し、無線で応援を呼んだ。押っ取り刀で現れた同僚と五人がかりで、錯乱状態の男を取り押さえ、連行した。

 後の現場検証で、この男が四人を殺害したことが明らかになった。

 遺体の損傷は激しく、まるで『獣』に襲われたかのようであった、と当時を知る警察官は語った。




 陽平がゆっくりと息を吸うと、目前の炎も一緒に吸われて揺らめいた。

 その揺らぎを見た玲の胸を、ざわめきが掻き立てた。

 

 ――百物語をすべて語り終えたとき、本当に何か良くないことが起こると聞いたことがある……いや、違う。このざわめきの正体は、恐らく、今陽平が語ったばかりの物語があまりにも現在の状況に即しているからだ。


 陽平が息を吐き出す寸前、玲は手をかざしてそれを止めた。息を吹きかけていた陽平は驚いて目を剥く。

 

「すまない陽平。その明かりを落とすのを止めて貰えないだろうか?」

「どうした、玲。怖気づいたのか?」


 涼弥は珍しいものを見られたと口を歪ませて言った。


「まぁ、そういうことにしておこう。だからすまないが、止めて貰えないだろうか?」

 

 玲の哀願に皆、どのような反応をすればよいのか困惑して互いに顔を見合わせた。そんな中、陽平は眉をしかめ、苛立ちを顕わにしていた。


 昨日、浩次と実を脅かす算段を相談し終えた後の、喜色満面となった陽平の顔が浮かんだ。自分の発案に相当の自信があるようであった。その裏付けに涼弥も絶賛をした。

 玲も期待していたはずだった。それが見事に成功を収めたとき、実と浩次がどのような反応を示すか、考えただけでも胸が踊った。帰り際、そう陽平に伝えたとき、彼ははにかみながら喜んでいた。


 ――けれど、陽平がこのような話をするとは聞いていなかった。


 玲は先ほど陽平が語った話を思い返す。

 暗闇で五人の男たちが囲むロウソクが消えたとき、男の一人が暗闇に溺れ、理性を失くし『獣』となる。獣となった男は、本能に従い縄張りを侵す他の四人を殺害した。


 ――そのようなことが実際に起こるとは、到底考えることができない。でも、もしも、仮にも、万が一にでも、そのような事態が起こってしまったら……それだけは、絶対に嫌だ。


「昨日、ちゃんと打ち合わせしたじゃねぇかよ」


 陽平はこれが作戦の一部だということを、浩次たちに隠す気もないようであった。そのことに本人も気付いていないようで、苛立ちの度合いを言動の端々から計ることができた。

 玲は腹の底で、赤黒くどろどろしたものが動くのを感じる。


「だから、さっきか済まないと謝っているじゃないか」


 その所為なのか、玲の口調は刺々しいものになった。

 陽平は目尻を上げ、こめかみを細かに動かした。下唇を突き出すようにして、今にも飛び出しそうな怒りをかろうじて耐えている。

 それはそうだ、と玲は心の静かな部分で陽平の怒りに共感をしていた。


 ――自分が楽しみにしていたものを横から奪われたら、誰だって怒りを覚えるだろう。

 

 そう共鳴できていても、子どもの癇癪のように何故か陽平に謝り直そうという気持ちにはならず、玲は黙って陽平と反目し続けた。

 

 どのくらいそれが続いたのだろう、ついに陽平の堪忍袋が切れた。

 興奮からだろうか陽平はせん妄者特有の、眼前のものを視点に収めず自身の意識野に説き伏せているかのような具合で、その瞳孔をばっくりと開かせて言った。


「へっ、お前はなんだかんだ口は達者だけど、女々しいよな」


 それを聞いた瞬間、まるで空気を媒介として陽平の興奮が移行したかのように玲の頭は真っ白になった。

 真っ白になり、血が上って真赤に染まっていく。嘔吐のように喉まで駆け上がってきた数々の罵倒を、辛うじて口先で食い止める。鋭く研ぎ澄ませた瞳で陽平を睨みつけ、

「黙れ」

 と唇の堤防を越えたその一言だけを残して、一人で出口を目指した。



               ◆



「お、おい。行っちゃったぞ、いいのかよ」


 浩次があたふたとして言った。

 陽平は渋面を作り「いいんだよ」と吐き捨てる。どうしてあのようなことを口にしてまったのか、自分自身でも分からず滲み出る後悔に苛まれているようにも見えた。

 浩次はどうすればいいのか困り果て、救いを求めて涼弥に視線を投げた。

 涼弥はやれやれと肩を竦める。


「陽平、いいのか?」


 陽平は無視して消えていたライトを点け、ロウソクを無造作に放り投げた。ロウソクは空中で火を落とし、回転しながら水の溜まり場に落ちて沈んでいく。

 明るくなった場にほっとした浩次は、いつもなら一番慌てふためいているはずの実が大人しいことを不思議に思い、呼びかけた。

 正面に座っていた実は、浩次と涼弥の中間を見据えたまま動きを止めていた。幾秒か待ってからもう一度呼ぶと、「なに?」とどこか疲労がうかがえる表情で聞き返してきた。


「いや、何でもないけど。大丈夫か、ぼうっとしてるけど」


 浩次は実の視線を追って振り返る。実は涼弥の背後の人形を見ていたようであった。

 浩次は向き直って、落ち着きなく膝を揺すっていた陽平に言った。


「いいのか大谷。内田とはずっと仲良いんだろ?」


 陽平は膝をぴたりと止める。浩次はそれを見て、ぎくりとした。


「そんなの、関係ないだろ」


 押し殺した咆哮のような陽平の声が、洞窟の内部をぐわんと振動させた。

 彼自身も自分の口から出てきた怒声に驚いたようで、明かりを見つめる顔が気まずそうに歪んだ。

 声は余韻を残しながら暗闇へと溶けて拡散し、場は急激に静まり返る。


 決まりが悪くなった陽平は、ポケットの中に手を突っ込む。指先に触れた紙切れのことを思い出し、折り畳まれたそれを取り出して涼弥に放った。

 受け取った涼弥はそれを広げる。


「おっ。地図、できたのか」

 

 それは、涼弥が懇願して作ることになった地下壕の内の地図であった。

 浩次と実が涼弥の手元をのぞき見て、「おお」と嘆声をもらした。


「大谷くんすごいよ! 僕ならこんなに詳しく描けないよ!」

「確かにこれは、手間がかかってるな。陽平ありがとうな!」

 

 場を和ませようと気を使っているのか、二人は一段と明るく喋っていた。

 

「そう言えば、前から気になってたんだけど」


 浩次は地図を見ながら前々からの疑問を口にした。


「大谷はこの洞窟の入り口、どうやって見つけたんだよ? こんな緑地の奥にあるようなとこ、そう簡単に見つけられないだろ」


 陽平は苦虫を噛みつぶしたような顔を作った。

 小波のように下まぶたを揺らし、接ぎ穂を探しながら口を開閉する。「それは……」と言葉を絞り出したが、それ以降は濁すように口をつぐんだ。

 浩次の所為で再び険悪な空気が流れ始め、即座に涼弥が嘴を容れた。

 

「まー、あれだ! 言いたくないことは誰にでもある!」


 勢いよく立ち上がって、大きく両手を打ち合わせた。


「よし。俺たちも、もう帰ろう! お前たち、片付けをするぞ!」

「そ、そうだね!」

 

 実が散らばった菓子の包装を集める。

 浩次は釈然としなかったが、陽平の沈んだ表情を見て、さすがにこのときばかりは雰囲気を察して辺りに散々しているポテトチップスの袋をまとめる。

 

「陽平、この地図ありがとな! 俺が大切に保管しておくぞ!」

「涼弥くん、一枚しかないんだから失くさないでよ!」

「分かってるよ!」

 

 そう言って涼弥は海賊の人形が抱く宝箱を開き、


「へへっ、宝を隠すなら宝箱ってね」


 そこへ地図をしまい込んだ。

 実と涼弥が陽気にふるまう。その度に陽平の沈痛さがより際立っているように感じた。だから、配分を合せるために浩次は少しだけ暗くふるまうことにした。

 それがたぶん、今できる陽平への気遣いだと思ったから。



ちょっと疲れたので続きはまたあとで更新しておきます。

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