第六話(聖女視点)
ヴァレリアは、当たり前のように言った。
疲れを落とすために、湯に浸かりましょう、と。
ルチアは思わず足を止めた。
――え? お風呂?
この寒村で?
この状況で?
半信半疑のまま案内された先で、ルチアは完全に言葉を失った。
扉の向こうにあったのは、寒村とは到底思えない、豪奢な浴室だった。
石造りの浴槽。
磨き上げられた床。
湯気の立ち方まで整っている。
王都の上流階級の館と比べても、遜色がない。
いや、それ以上かもしれない。
混乱するルチアの隣で、ヴァレリアは何の疑問も持たずに言った。
「どこのお風呂も、見た目は同じなのね」
その言葉に、ルチアは内心で悲鳴を上げた。
――違う。全然違う。
これは“普通”ではない。
さらに追い打ちをかけるように、ヴァレリアは湯気に顔をほころばせる。
「ダマスクローズの香り……
やはり、この香りのお風呂は癒されますね」
深くて、甘くて、少しだけスパイシー。
胸や腹の奥へ、静かに落ちてくる香り。
――これが、ダマスクローズ。
ルチアは息を呑んだ。
ヴァレリア様の日常に、当たり前に存在する香りなのだろう。
だが、この寒村でこれは明らかに異常だ。
ここはおかしい。
そして、その異常の中心にいるのは――ヴァレリア様なのだ。
手を引かれるまま湯に浸かった瞬間、ルチアの身体は正直に反応した。
重かった手足が軽くなり、呼吸が深くなる。
不思議だった。
無理に祈らなくても、力が内側から湧いてくる。
今なら、普段よりも強い癒しが使える。
はっきりと、そう分かった。
――やはり。
私の考えは、間違っていなかった。
この人がいる場所が、聖地なのだ。
そして今この瞬間、ここは確かに聖地になっていた。
湯から上がったあと、ヴァレリア様が少し困ったように言った。
「どうしましょう……
わたくし、髪の乾かし方が分かりません」
その一言で、ルチアの身体は自然と動いていた。
タオルを取り、髪を包み、指で水気を取る。
湯冷めしないように気を配り、声の調子にも注意する。
気づけばそれは、
“聖女”の振る舞いではなく――
“侍女”の振る舞いだった。
――これが、私のずっとしたかったこと。
役目を見つけ、果たせる喜びに、
ルチアの瞳は自然と潤んでいた。
その瞬間だった。
ずっと背中に感じていた、張りつめた気配。
この寒村に満ちていた、無言の殺意。
それが、すっと消えた。
はっきりと、消えた。
ルチアは息を止め、内心で呟く。
……認められた?
この寒村の黒幕に。
少なくとも、今すぐ殺されることはなくなった。
そう理解した瞬間、胸の奥がわずかに緩んだ。
完全な安全ではない。
けれど、ここに居ることは――許された。
ルチアは静かに息を吐き、決意を固める。
私は、この方の侍女になる。
それが、私が生き残る道であり、
そして――私が信じた“聖地”を守る唯一の方法なのだから。




