第四話
聖女を小屋の中へ招き入れると、外の冷気が扉の向こうへ閉じ込められた。
不思議なことに、この小屋は寒村の家とは思えないほど温かい。
私は聖女をソファへ座らせ、毛布を肩に掛けた。
それだけで十分なはずなのに、聖女はまだ私の袖を離さない。指先が小刻みに震えている。
「……お水を――」
そう言いかけた瞬間、聖女はぶんぶんと首を振った。
息を吸う音が大きくなる。胸が上下し、目だけが妙に輝いていた。
「私だけは……私だけは、ヴァレリア様の本当を知っていました!」
言葉が、私の返事を待たずに溢れ出す。
「ヴァレリア様こそが本物なんです!」
「私だけは最初から、ヴァレリア様の味方でした!」
「他の無能の人間共とは違うんです!!!」
――まあ。
私は目を瞬いた。
けれど、止める言葉が見つからない。止めてはいけない気もした。
聖女は胸元の毛布を握りしめ、縋るように続ける。
「私だけがあなたの味方でした!」
聖女は一度、息を吸った。
喉が鳴る音が、やけに大きく響く。
「……私だけ、だったんです」
その声は、先ほどよりも低く、静かだった。
「王都はこれから地獄になるでしょうが、それは私たちには関係のないこと!」
「二人で幸せになりましょう!」
その声は熱っぽく、けれど嬉しそうでもあった。
「いま! 私、幸せです!」
聖女はまるで祈るように目を見開く。
「ああ、どんどん体が楽になっていく……」
「視界がクリアだわ!」
「ああ、視力が上がった!」
「多分、身体能力も!」
私は言葉を失って、ただ聖女を見つめた。
聖女は天井を仰ぎ、恍惚とした笑みを浮かべる。
「ああ……世界が光り輝いている!!!」
――ばたんっ。
聖女は、糸が切れたように倒れた。
「まあ!」
私は慌てて身を乗り出す。
けれど、聖女の呼吸はまだある。浅いが、確かに生きている。
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
どれほど多くの重荷を、ひとりで背負ってこられたのだろう。
どれほど多くの人々を、助けてこられたのだろうか。
こんなふうになるまで。
こんなふうに、すべてを使い切ってしまうまで。
――聖女様は、ひとりで国を守ろうとしていたのね。
私はそっと膝をつき、乱れた髪を指先で整えた。
そして、毛布を掛け直す。
「大丈夫ですよ。ここでは、休んでくださいませ」
私は聖女様の汚れた頬に目を留め、胸がちくりと痛んだ。
砂と汗が混じって、せっかくの栗色の髪も絡まっている。
水と、布を持ってこなければ。
そう思い、隣の部屋へ向かう。
開けっぱなしになっていた扉が、ぱたんと閉まった。
「風かしら?」
扉を開けようとして――止まる。
「あら……?」
扉が、開かない。
押しても引いても、びくともしない。
私は首を傾げるだけで、恐怖を覚えることはなかった。ただ、不思議だと思っただけだ。
しばらくして。
まるで何事もなかったかのように、扉は静かに開いた。
「……?」
私は部屋へ戻る。
そこには、先ほどまで床に倒れていたはずの聖女様が、ソファーベッドに横たえられていた。
顔も手も綺麗に拭われ、髪も整えられている。呼吸は穏やかで、眠っているようだった。
「……あら?」
私は小さく呟く。
私が拭こうと思っていたのに。
けれど、誰がしたのかは分からない。
問いただす相手も、ここにはいない。
私はただ、そっと毛布を整え、聖女様の様子を確かめる。
静かな小屋に朝の光が差し込み、眠る聖女様は、まるで何事もなかったかのように穏やかだった。




