第三話
朝だ、と身体が先に知っていた。
意識が浮かび上がる前に、まず、あたたかさがあった。
包み込まれるような柔らかさ。重たくないのに、しっかりと支えられている感覚。
私はまだ目を開けない。まぶたの裏がほんのり明るくて、呼吸が静かだった。
……気持ちいい。
身じろぎをすると、絹のような布が腕に沿ってすべった。
あら。ネグリジェ。
昨日、小屋を探索して、階段があることに気づいたのだった。
外から見れば一階建てでも、普通の家には二階があるものなのね――
私はまたひとつ、世の中の常識を覚えた。
階段の先には、天蓋付きの立派なベッドがあり、
さらに、素敵なネグリジェまで用意されていた。
私は何も疑わずに着替え、そのまま眠ったのだ。
目を開けると、白い天蓋が朝の光を受けて、やわらかく揺れている。
窓から差し込む光は眩しすぎず、空気はひんやりとして澄んでいた。
……なんて、気持ちのいい目覚めなのかしら。
私はベッドから降り、ネグリジェの紐を結び直した。
そのとき、ふと気づく。
……私、ひとりで着替えているわ。
公爵家では、いつも誰かが手を貸してくれた。
襟元を整え、髪を梳き、最後に鏡を持ってきてくれる。
今は、誰もいない。
あら。やっぱり追放されたのね。
そう思ったのに、不思議と涙は出なかった。
ただ、そういうものだと、静かに理解しただけだった。
私はボロボロの防寒マントを纏い、階段を降りた。
扉を開けると、冷たい空気が頬に触れる。
昨日はなんて寒いところかしら、と思ったけれど――
この寒さも、なかなか悪くはないわ。
頬がきゅっとなる感じさえ、少し心地よい。
ああ、なんて静かな朝。
思わず踊り出してしまいそう。
その瞬間だった。
――どどどどどっ。
地面を叩き割るような音が、一直線にこちらへ迫ってくる。
馬だ。しかも、尋常ではない速さ。
雪煙を巻き上げて馬が飛び込み、止まりきれない勢いのまま人が転がり落ちた。
その人はすぐに立ち上がり、ふらつきながらも、私に向かって走ってくる。
そして、私の足元に倒れ込んだ。
「まあ!」
雪煙の中で倒れた人が、ばっと顔を上げた。
髪は砂塵で汚れ、顔に張りついている。
頬も額も黒く薄汚れているけれど――
その大きな栗色の目を見た瞬間、私は息をのんだ。
「聖女様!?」
次の瞬間、喉が裂けるほどの声が響いた。
「ヴァレリア様ーーーーー!!」
聖女は転がるように立ち上がり、私の手を両手で必死に掴んだ。
指は冷たく、震えている。
そして、泣き叫ぶように言った。
「良かったです!良かったです!
会えた!会えた!会えた!
見つけた!見つけた!みつけたあーーーーーーーーー!!!!」
私は、そのあまりに尋常ではない様子に目を瞬いた。
けれど、それはほんの一瞬だった。
すぐに、これは――保護が必要な状況なのだと考える。
巣から落ち、鳴くことしかできなかった鳥の雛。
あの日、狐に食べられそうになり、傷を負って震えていた子猫。
公爵邸で救ってきた数々の小さな命に、
私は、目の前で泣きじゃくる聖女を自然と重ねていた。
「まあ……落ち着いてくださいませ」
私はそっと、聖女の肩に手を添える。
「ここは寒いですわ。まずは、中へ」
こうして、傷を負った聖女様の登場によって、
私の静かな朝は、騒がしい朝へと変わった。




