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第二話

馬車が止まった。


外に出た瞬間、空気が刺さった。

肺の奥まで冷える。皮膚が、きしむ。

私は初めて、寒さそのものに不安を覚えた。


ここは本当に“地の果て”なのだ、と身体が先に理解してしまう。


御者が扉を開き、私に手を差し伸べた。

その動きが――やけに綺麗だった。


私は震えながら地面へ降りる。

次の瞬間、冷気が足首から這い上がり、呼吸が浅くなっていく。

何も感じる余裕がない。


それなのに、男は迷いなく私の半歩前に立ち、風を遮る位置を取った。

レディーファースト。

それも社交の場で見た形だけのものではない。

身体の向き、視線の置き方、間の取り方――騎士階級の動きだ。


おかしい。

追放された悪女に、こんな扱いをする者がいるはずがない。


だが私は寒さに震えて、問いただす声すら出せなかった。


男は私を小屋へと導く。

雪を踏む音だけが、静かな夜に吸い込まれていく。


そして、扉が開いた。


私は、息を止めた。


……まあ。


薄暗いはずの小屋の中は、整っていた。

色も、配置も、匂いさえも。


まるで――公爵家の、私の部屋のようだった。


私はここでようやく思い出した。

私が知っている“家”は、公爵家の屋敷と王宮だけだということを。


外がどれほど荒れていても。

建物がどれほど古びていても。

部屋の中は、きっとこういうものなのだ。


……なるほど。

どこも、家の中は同じなのね。


私はそう結論づけて、少しだけ安心した。


小屋の中は、あたたかかった。

外の寒さが嘘のように、空気がやわらかい。


私は肩に掛けたぼろぼろのマントを握りしめ、ソファーに身を沈めた。

不思議と心地よい。

不思議と、安心してしまう。


――少しだけ。目を閉じるだけ。


そう思ったのに、次の瞬間にはもう、夢の中にいた。


幼い日のレオニード殿下が、こちらを見て笑っている。

その隣には、まだ何も怖くなかった私がいる。


そして、愛する家族達。

無口な父の背中。

優しい兄。

甘えん坊な弟。


私はその光景を、ただ見ていた。

胸が痛いのに、懐かしくて、あたたかい。


ふと目を覚ましたとき、目が涙に濡れていた。

けれど頬には、涙が滑り落ちた跡がない。


――おかしい。


さらにおかしいことに、私は毛布を被っていた。

そして靴を脱いでいる。

さっきまで、脱ぐ余裕などなかったはずなのに。


恐る恐る身体を起こして、足元を見る。

靴はきちんと揃えられていた。


私は、息を呑んだ。


ソファーが、ソファーベッドに変わっている。

さっきまで、こんな形ではなかった。


……どうして。


私は戸惑い、声にならない息を吐いた。


そのときだった。


ぐううう。


恥ずかしい音とともに胃が軋み、先ほどまでの不可解な出来事から、私の思考はすとんと現実へ落ちた。


――食べ物は、どうすればいいのだろう。


私は毛布を押さえ、靴を履いてから立ち上がり、扉へ向かった。

けれど、取っ手に指を掛けたところで、私は動けなくなった。


――外に、人の気配がある。


雪を踏む音も、声もない。

ただ、そこに“いる”気配だけがする。


私は反射的に手を引き、背中を扉から離した。

胸の鼓動がうるさい。


……いまは、出ないほうがいい。


どれくらい待ったのだろう。

やがて、その気配がふっと薄れた。


私は息を止め、そっと扉を開けた。


外は白く、冷たい。

けれど扉のすぐそばに、包みが一つ置かれていた。


布でくるまれたその包みは、見た目は粗末なのに、きちんと結ばれている。

私は迷いながらもそれを持ち上げ、小屋の中へ引き入れた。


中には乾いたパンと、干し肉のようなもの。

それから小さな蜜菓子まで入っていた。


さらに、折りたたまれた紙が一枚。


『新しい村の住民さんへ。引っ越し祝いです。これからよろしくお願い致します。』


……まあ。


なんてこと。

ここの住民は、とても親切なのね。


そしてこの土地は、思っているよりも豊かなのかもしれない。

少なくとも、追放された悪女が飢え死にするような場所ではないのだ。


明日、この土地を少し探索して、お礼を言いに行かなければならないわ。


社交界の方々と違って、きっと仲良くなれる。

そんな気がする。


私はパンをひと口かじり、ふと息を吐いた。


あら――どうしてかしら。

私は悪女として追放されたのに。


あの煌びやかな王宮にいたときよりも、いまのほうが、幸せだわ。


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