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第十四話

扉を叩く音がした。


強すぎず、弱すぎず。

間隔は正確で、ためらいがない。


――完璧に丁寧なノックだった。


「はい」


そう声をかけ、扉を開けた先にあったのは、

想像していた“来客”の姿とは、あまりにもかけ離れていた。


床に、男がいる。


いや――

正確には、床に額をつけて跪いている。


「きゃっ……!」


思わず、小さな悲鳴が漏れた。


玄関先で、身動きひとつせず地に伏す男。

衣服は整い、立場のある人間だと一目で分かる。

それなのに、その姿勢だけが、あまりにも異様だった。


「ルピウス公爵家のヴァレリア様」


低く、よく通る声。


「初めてお目にかかるというのに、このような姿で失礼を承知しております」


言葉は丁寧だった。

だが、私が何かを言うより先に、男は続けた。


「――まず、謝罪を」


「私は、この国の“核”がどなたであるかに、気づかなかった」


「本来ならば、私が真っ先に。

誰よりも先に、ヴァレリア様を保護すべきでした」


淡々としているようで、どこか熱を帯びた声。

謝罪の言葉は速く、切れ目がない。


「追放という名目で、王族はあなたを切り捨てた。

そして私は――その判断を、止めることができなかった」


一瞬、呼吸が浅くなる。


「……いえ。

私がもっと早く気づいていれば。

私がもっと優秀であれば、止められたはずでした」


「その時の私は、己を有能だと誤認した、ただの凡庸な人間でした」


私は、とっさに片手を少し上げた。

顔を上げるよう言わなければ。

立ってくださいと告げなければ。


そう思ったのに。


男の声は、私に口を挟ませない速さで続く。


「私の能力不足の結果、

ヴァレリア様は、ひと月ものあいだ、この地におひとりで……」


そこで一瞬、声が低く沈んだ。


「――私が来るのは、あまりにも遅すぎました」


「そのような私に、立ったまま言葉を発する資格など、ございません」


私は、完全に困ってしまった。


こんなふうに頭を下げられる経験は、初めてだった。

誰かに、この姿勢を求めたことなど、一度もない。


「……あの」


ようやく声を出しかけた、そのとき。


「ヴァレリア様……?」


背後から、ひょこりと顔が覗く。


ルチアだった。


床に伏す男を見た瞬間、ルチアは目を見開き、

次いで、信じられないものを見るように小さく呟いた。


「……鉄仮面……?」


私は首を傾げる。


ルチアは私の袖をそっと引き、耳元へ口を寄せた。


「ヴァレリア様。この方、この国の宰相です」

「影で“鉄仮面”って呼ばれてる人です」


……まあ。


ちらりと視線を戻すと、

宰相――セルヴェルスは、完璧に聞こえている距離にもかかわらず、

何事もなかったかのように沈黙を貫いていた。


聞こえないふり、ではない。

聞かなかったことにしたのだろう。


私は小さく息を整え、改めて口を開いた。


「……宰相様。どうか、お顔を上げてくださいませ」

「立ってお話しなさっても――」


「いえ」


即答だった。


「私は、赦しを乞いに来たのではありません」


声が、さらに静かになる。


「償いに参りました」


「そして、その償いの形を――あなたに差し出したい」


私は眉を寄せた。


「……償い、ですか?」


「はい」


セルヴェルスは、なお額を床に付けたまま言った。


「ヴァレリア様。私はあなたの“第一国民”になりたい」


「あなたのいる場所を、あなたのために整えたい」

「名簿を作り、人を動かし、金を回し、秩序を作る」

「泥も血も、厄介事も……すべて私が引き受けます」


一息に言い切り、さらに言葉を重ねる。


「決して、ヴァレリア様の御手を、泥のようなものに触れさせません」

「そのために私が、すべてを引き受けます」


私は、言葉を失った。


覚悟があるのは分かる。

けれど――困る。困りすぎる。


「……第一国民、とは。具体的に、どういう意味ですの?」


「大義名分です」


迷いのない声。


「王族が崩れようと、都が枯れようと、秩序は必要です」

「あなたの周囲を、あなたの望む形に整えるための“旗”が」


私は、ゆっくり瞬きをした。


「……私は、国を統治する者ではありませんよ」


それでも、セルヴェルスは動かない。


「それでも、です」


なんて意志の強い方。


私は困ったまま――それでも言わなければと思い、口を開いた。


「本物の紳士は」

「女性を困らせないものだと、聞きましたが……」


一瞬。


空気が止まった。


そして、セルヴェルスの背中が、わずかに震えた。


それでも彼は、顔を上げない。


「……その通りです」


低く、はっきりとした声。


「ですが、ヴァレリア様の元へ、これほど遅れて現れた私は」

「すでに、紳士としての姿を失っております」


「全てを失った哀れな私に、どうか――大義名分をお与えください」


「……大義名分、ですか」


その言葉を、口の中でそっと転がす。


私は、国を統べたいわけでも、

誰かの上に立ちたいわけでもない。


けれど――

この人が、それを必要としていることだけは、よく分かった。


「宰相様」


そう呼んでも、彼は微動だにしない。


「私が“核”だとか、“名分”だとか」

「そういった言葉は、少し大げさに聞こえますわ」


困ったように、微笑む。


「それに私は」

「誰かに命じるつもりも、裁くつもりもありません」


一拍、間を置く。


「……ですから」

「ご自身の信じる“正しさ”のために動かれることまで」

「私が止める理由は、ありません」


それだけを告げた。


宰相の背中が、わずかに震える。


そして――


「……充分です」


低く、確信に満ちた声。


次の瞬間、彼は勢いよく顔を上げた。

その瞳には、もはや迷いはなかった。


「聞いたな、今の言葉を!!」


振り返り、周囲に集まっていた村人たち、

そして王太子と共に来た者たちへ向かって宣言する。


「私は!

ルピウス公爵家ヴァレリア様に、否定されなかった!!」


ルチアが、私の袖を引いた。


「……ヴァレリア様」

「すごく都合のいい解釈をしています」


ええ。

私も、そう思う。


けれど。


「よって私は――」


宰相セルヴェルスは、胸を張った。


「ヴァレリア様の第一国民である!!」


あまりにも晴れやかな声だった。


私は、思わず小さく口を開け、慌てて手で覆う。


「……本当に意志の強い方だわ」


呆れでも、拒絶でもない。

ただの感想だった。


だがセルヴェルスは、その一言を

最大級の賛辞として受け取ったらしい。


満足げに一礼すると、すでに次の仕事の段取りを考え始めていた。


こうして私は、

正式に認めた覚えのないまま――

とても面倒で、とても有能な「第一国民」を得てしまったのだった。

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