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住職への面会が叶ったのは、俺が穂玖詞寺に到着した翌日の事。
いや、もちろんあのまま、一晩中待たされてたって訳じゃない。
単に旅の疲れもあるだろうからと、まずはそれを落として欲しいと客人用の宿所で一宿の世話になったのだ。
そして翌朝、昨日の僧に呼ばれて身支度を整えて案内されれば、そこは昨日も見た練兵所で、十数人の若い僧が長い棒を槍に見立てて振っている。
その若い僧達を指導しているのは、四十か、五十か、体格の良さと身に纏う覇気の強さから年の頃は判別がつかないけれど、明らかに熟練、いや、達人の風情を醸し出す僧だった。
……どうやらあの僧が、俺が面会を求めていた住職らしい。
なんというか、思っていた人物像とまるで違っていて、ちょっと戸惑う。
「おはよう。君が伯殿の紹介状を持ってきた、風神流、光陰流の四木・壮史君だね。私は芳信だ。伯殿が旅に出す事を嘆いた才の持ち主だと聞いて、昨日から君に合うのを楽しみにしていたよ」
芳信と名乗った僧、芳信和尚がこちらを向いて喋ると、まるでそこで炎が燃えてるような熱を感じる。
そんな錯覚を覚えるくらいに、芳信和尚の放つ気が強いのだ。
だけどその事が、戸惑った俺の心を落ち着かせた。
武芸者としての道を歩いていれば、強い気なんて浴び慣れている。
或いは強い気の持ち主を前に惑ったままでは死に繋がるかもしれないと武術家の本能が判断して、ひとまず戸惑いを捨てさせたのかもしれない。
「ほう、いい反応だ。では一手交えてみようか。我々のような人間は、話すよりもこちらの方が相手を理解しやすい。それに、伯殿にも頼まれているからね」
芳信和尚の言葉に俺は頷く。
恐らくこの為に、一晩休んで旅の疲れを取れと言われたんだろう。
話をするだけなら、別に昨日でも良かったのだから。
相手は明らかに格上で俺にとっては不利だけれども、他流派の達人が稽古をつけてくれる事なんて滅多にないのだから、これは喜ぶべきだった。
また柳才師もそれを望んでいるというのなら、否やがあろう筈もない。
周囲を見回せば、修練に励んでいた若い僧達は、……若いと言っても俺よりも年上だろう者も多いが、皆が手を止めてこちらを見ている。
稽古であっても、あまり無様な姿を見せれば、風神流の名に傷が付くか。
恩人である柳才師の面子を、俺が潰す訳にはいかなかった。
武器は、槍代わりの長い棒や木刀が並べられた置き場から自分で選ぶ。
芳信和尚が手にしているのは長い棒、つまりは槍術、或いは杖術の使い手だ。
俺は少し悩んでから、木刀を手に取る。
ここの僧は皆、棒を手にしていたから、槍術の使い手ばかりなんだろう。
実際、置かれていた木刀はどれもあまり使われた様子がない。
握り心地、重量、それから気を流してみても、特に問題は感じなかったから、手入れはされているんだろうけれども。
だとすれば当然ながら、若い僧達に指導する芳信和尚は槍の相手に慣れてる筈だ。
ただでさえ格上の相手なのだから、相手が慣れ親しんだ武器、間合いで差し合いをしても俺に勝ち目がある訳がない。
ならば木刀を選んだ方が、幾らかはマシだろう。
木刀を手に振り返れば、芳信和尚は二ッと笑い、それからすぐに表情を消して、ピタリと棒の先をこちらに向けて構えた。
彼我の距離は随分と遠いが、俺が武器を得た以上は、もう手合わせは始まったって事だろう。
先程まで、あんなに強く放たれていた芳信和尚の気が全く感じられなくて、俺は小さく舌を打つ。
これでは、相手の動きを予測する事は難しい。
命ある者が動く時、そこには予兆が生まれる。
踏み込もうとする場合は、先に重心が移動するし、視線も動く。
これは動作ばかりじゃなくて、心もそうだし気もそうだ。
心に関しては語れる程の実力を俺は持たないのでさて置くが、気は動作以上に予兆が大きい。
例えば攻撃に移る瞬間、放たれる気が強くなったり、防御をしようとした瞬間、その箇所に気が集まったり。
これは別に、気の使い手である武芸者だけに起こる事ではなくて、命ある者ならば誰しもが気を持っていて、その予兆を発生させてる。
寧ろ武芸者は、その気を察して相手の動きを読む事ができる為、逆に自分の動きを読まれぬように気の予兆を消す事に熱心だった。
だから武芸者同士の戦いでは、相手の気からどれだけ動きを読むか、動きを読まれぬようにどれだけ気の予兆を隠すかというのは非常に大きな要素なのだが、……まさか全く気を感じなくなるなんて。
本来、こんな事はあり得ない。
幾ら気の動きを制御しても、命がある限り身体は気を発してるのだから。
では一体何故?
これが柳才師が俺に見せたかったものなんだろうか?
芳信和尚が間合いを詰めてくる様子はないので、一旦俺は考える。
何らかのカラクリは必ずある筈だ。
相手が妖怪であるなら気を発したりしないが、代わりに陰気を放つのでやはり動きは読めるのだけれど……。
考えられる事があるとするなら、相手が僧でもある事だった。
ここの僧は、何故だか武芸者のように己を鍛えて武技を磨いていて、気も扱えるようだけれども、本来ならば僧が扱うのは精神的な力である法力だ。
ならば寺を預かる程の高位の僧である芳信和尚なら、法力を扱えて不思議はないというか、扱えて然るべきだろう。
するとこれは法力を使った術?
いや……、或いはもっと単純に、法力を身体の周囲に張り巡らせて、気が漏れ出さぬように閉じ込めているのか。
法力や呪力といった、精神的な力を扱えぬ俺にそれを見破る術はないけれど……、意識を集中させてみれば、確かに芳信和尚の周囲に、何かがあるような気配を感じた。
これは、非常に強力な技だ。
予兆を完全に消せるなら、武芸者同士の戦いで、一方的に優位に立てる。
もちろん気以外の予兆、動作や心の方はこの技ではどうにもならないけれど、自分の強みを理解しているだろう芳信和尚が、よりそれを活かす為に他の予兆を減らす努力をしていない筈がない。
つまり俺には、芳信和尚の動きを読む事は不可能だった。
ならばどうする。
ここで木刀を手放して、相手の技の見事さを褒め称えて手合わせを放棄するのか?
それもまさかだ。
相手が格上で、こちらが不利である事なんて最初からわかってた。
その不利さの度合いが、より酷くなっただけ。
寧ろ相手の得意とする戦術が理解できた事で、こちらの戦い方も自然と決まる。
読み合いは捨てた。
一方的に読まれるが、そこはもう気にしない。
俺は気を全開にして、身体能力を跳ね上げる。
相手がこちらの動きが読んでも対応しきれぬくらいに、速度を、動きの量を増やして、力でねじ伏せる。
地を蹴り、遥かに遠かった間合いを数瞬で踏み潰して襲い掛かる俺に、
「私の技を一目で理解したのか。思い切りもいい。だが無謀でもある。伯殿が嘆く訳だ。これ程の才覚が死地に向かおうとしているとは……」
芳信和尚はそう呟く。
そして互いの得物が数合打ち合った後、膂力と動きの速さを、読みと技量でいなされた俺の意識は、芳信和尚の手でストンと断たれた。




