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熊の討伐に出ている間に、道場だった建物は里の人達が掃除をしてくれていて、俺はそこで一夜を過ごした。
そしてもう、ここには懐かしさ以外は何も残っていないと再確認する。
或いは、あの日と同じように熊を討伐すれば、鬼がここにやってくるかもしれないと心の隅で思っていたけれど、そんな事もなかったし。
毛皮や肉、胆は里が引き取って、討伐の謝礼は里長が銭で払ってくれた。
もちろん毛皮や肉、胆の価値に比べれば少ない額だが、毛皮は荷として嵩張るし、肉や胆は早めに加工処理をしなければ駄目になる。
これから神武八州を旅する俺には、大きな荷を抱える余裕も、肉や胆を加工する時間もないから、銭での謝礼は非常に有難い。
こうした里では町まで物を売りに行くか、行商人が訪れた時に物を買い取って貰うしか銭は手に入らないから貴重な筈なのに。
恐らく里長は、俺がこれから旅をするという話を聞いて、荷を増やさないようにと気をまわしてくれたんだろう。
里を出た俺は、一旦東に一日引き返してから、大きな街道を使って北西に向かう。
向かうのは、白景という名の国にある穂玖詞寺。
何でもここの住職が非常に世情に通じた人物で、多くの伝手を持ち、人々に頼りにされてるらしい。
もう少し具体的に言えば、持ち込まれた依頼に対し、伝手を使って人を派遣するという仲介業、口入屋の真似事をしてるという。
柳才師もここの住職に頼まれて、幾度か腕の立つ門弟を送ったそうだ。
そのような人物だからあの鬼に繋がる情報を何か持っているかもしれないし、そうでなくとも仕事の斡旋を受けたり、西国の詳しい状況は聞けるだろう。
大きな街道だけあって、行き交う人はそれなりに多く、整備され、踏み固められた道は歩き易い。
武芸者である俺の足は普通よりも早く、幾人もの旅人を抜かしていく。
特に急ぎの旅ではないけれど、移動の時間は短いに越した事はないから。
ただ、そんな俺でも見た事のない景色には目を奪われ、歩を緩める時もある。
街道を歩いて一週間、白景の国に足を踏み入れると、街道のすぐ傍に大きな湖が広がっていた。
白景という国の名の由来は、国土の半分を占める湖に、冬の時期の朝には真っ白な雪山が鏡のように映し出される姿から来てるらしいけれど、冬にはまだ幾らかの時間があるこの季節でも、湖に移った山の姿は美しい。
目的地である穂玖詞寺はもうそんなに遠くないが、ここを急いで通り過ぎるのは何だか勿体ない気がして、暫し足を止めて湖に映った山と、本物の山を見比べて、景色を堪能してから、再び穂玖詞寺を目指して歩く。
遠くに船から湖に網を打っているのが見えた。
白景の主な産業は湖での漁業と、それから湖というよりは、湖から下流に伸びた河川を使用しての輸送業だ。
なんでも都の近くを流れる川も、元を辿ればこの白景の湖に繋がっていて、西国から都に運ばれる荷も、一部は一旦ここに集められ、船で川を下って都に向かうという。
だからだろうか、辿り着いた白景の町は、実に栄えていて人々の表情にも活気がある。
もちろん都に比べると発展の度合いは落ちるだろうけれど、そもそも神武八州の中心である都と比較の対象になるってだけで十分に凄い。
更に人々の活気という点では、明らかにこちらが上だ。
都のように人々の所作は洗練されていないけれど、だからこそ剥き出しの活力のような物を力強く感じられる。
そんな白景の町を見下ろせる小高い丘の上に、穂玖詞寺はあった。
丘を上がる坂は門前町になっていて、町の中心部に負けず劣らず栄えてる。
いや、流石に雰囲気は、町に比べれば幾分静かか。
坂を上り切って振り返れば、白景の町と、それから白景の国主が住まう壮麗な城が一望できた。
門を潜って、掃き掃除をしていた一人の僧侶に柳才師からの紹介だと告げ、住職への紹介状を手渡す。
すると僧侶は、
「確認を取ってきます。少しお待ちください」
と丁寧に一礼をして、急ぎ足で、しかし走る事なく本堂の方へと歩き去った。
一つ気になったのは、その所作に殆ど隙がなかった事だ。
あれは間違いなく、何らかの武芸を学んだ者の動きだろう。
ぐるりと辺りを見回せば、高い門塀に囲まれた穂玖詞寺は、まるで堅牢な砦のようにも感じる。
いや、実際にそうなのかもしれない。
あちらのスペースは練兵所で、あれは物見櫓、あそこの段差も敵を迎え撃つ為の土塁と考えると、この穂玖詞寺は砦に必要な要素を一通り備えているように見えた。
これは一体、何に対しての備えだろうか。
殆どの物、いやそれが者であっても、多くの場合は存在理由を持っている。
それがどんなに碌でもない理由であってもだ。
例えば米は、人が喰う為に栽培される。
食べるに適した品種を選び、或いはそうした品種を掛け合わせてより食に向くように改良し、栽培されて存在していた。
子は大きな枠で言えば、種の存続の為に生み出される。
これは獣であっても人であっても変わらない。
人の場合は、更に別の存在理由、例えば俺だったら光陰流を継ぐ為に、というのがあったりもするし、その辺りは人によってまちまちだが、どんな子も種を存続させるという本能によって誕生してる事実に違いはないだろう。
さて、では寺は何のために生み出されたのか。
それは僧侶の修行の場であり、人々の信仰を集める対象、心の安寧の為だと思う。
ではそこに、どうして何かと戦う為の備えが必要とされるのか。
理由がなければ、こんな備えは必要にならない筈。
……近くに町があるのに、妖怪の類が砦攻めなんてする筈もないし、またここの備えが妖怪との戦いに役立つとも思えなかった。
すると想定された戦う相手は、当然ながら人間の兵だ。
最も近くで兵を抱えるのは白景の国主だが、これは別に必ずしも穂玖詞寺が国主と不仲であるって意味ではなくて、他国からの侵略に備えているのかもしれない。
ただそれでも、穂玖詞寺が兵力やらそれを養う財力やらを有してて、多くの面で白景の国の中で独立した存在である事は、どうやら間違いがなさそうである。
そんな穂玖詞寺を纏めている住職は、一体どんな人物なのか。
興味が膨らんでいく事を感じながら、俺は先程の僧侶が戻って来るのをジッと待つ。




